十三 世の終りまで愛されぬ

「あのくそったれ女は『時間と言う名のだまし絵』に束縛された三次元と、同時並列的にあらゆる事象が存在する五次元を中途半端に結合させる存在だってのが坊さんの見解だ」

「それはつまりどういう事だ」

 とむは大きく息を吸って、私をオオヤマネコのような鋭い眼光で見据えた。


「『時間と言う名のだまし絵』の呪縛を解く鍵を持つとは即ち、それぞれが分かれて存在してしかるべき次元同士をひずんだ形で結合させると言う事だ。要するに」

 とむはぐいっと私に顔を近づけた。


「海豚の坊さんが作った潜水艦のおかげで、俺たちが元居た世界に戻る可能性はある。だが下手をしたらあんたが生まれる前の世界に戻る事になるかもしれない。あるいは別の人生を生きるあんたの世界に投げ出されるかもしれない。覚悟しておけ」

 ほのかな予感はあったがいざ覚悟しろと言われると動揺を隠せなかった。


「海豚の坊さんが言うには、タコつぼ渦こそが次元のひずみの入り口だ。だから潜水艦でタコつぼ渦を抜けられれば、出口はどこであれここからは脱出できるだろう」

 ウツボ海の漁師たちに恐れられていたタコつぼ渦に、私の船も引きずり込まれたのだろう。


「とむはここから逃げ出す気はないのか」

「あのくそったれ女は無意識のうちに男を呼びやがる。坊さんの法力を借りて短い時間ながらも人語がしゃべれるのは俺一人だ。坊さんだって法力で人型の男と話せはするが、内容が普通の人間にゃ理解不能だろ。逃げ出せるかよ。」

 とむは真っ黒な革のかんじきを履いた足をダンと床に叩きつけた。




「獣にならずにこのくそったれな腐れ小島から逃げおおせたけりゃ体を許すな。一度たりともだ」

 もとより私にその気はないが、意志に反してきるけえに体を欲しいままにされる可能性は否めない。


「黄金色の毛並みの犬は一度体を貪られても、獣にならなかったのだろう」

 私は探るようにとむを見た。


「まあな。ふらんそわは特別だったから」

 ふらんそわも若いのにかわいそうになあと言いながら、とむはため息をついた。

「ふらんそわと言う名前だったのか。さぞ優しそうな青年だったろうな。あなたと違ってきるけえによく懐いているようだが」

「あれは犬の習い性ってやつだろう」

 とむは鼻をフンと鳴らした。


「あのくそったれ女は、気付けの膏薬とやらを被害者の唇に塗り込める所から始める。あんたも覚えているだろう」

 私は荒めの砂が背中に食い込む中、体が急に重くなったあの感覚を思い起こした。


「それから被害者の唇に塗りこめた気付けの膏薬を舌で押し込み、大量に分泌した唾液と合わせて口内に塗りこめていく。その時頭を押さえられなかったか」

 私はかくかくとうなずいた。

「あれは顔を押さえながら、指で男の頭に呪文を書いているんだ」

 どうりで髪を梳く手つきが尋常ではなかった訳だと、私は妙に納得した。


「呪文を書き切る前に指を振りほどいた男は呪文が完全に発効していない。彼らは呪いが不完全なので獣面人体になっている」

 身動きの取れなかった私はすでに呪文が完全に効いているから、何かの拍子で獣化した際は完全体の獣になるらしい。

 私はぞっとしながらとむの仮説を聞いた。


「男の中には薬や呪いが効いてあの体の虜になるものもいるが、しょせんどいつもこいつも体だけがお目当てだ。ただ男の愛だけは呪いのせいで決して手に入らない」

「つくづく意地の悪い呪いだな」

 私の漏らした感想にとむは同意した。


「あれは男に愛される事に飢えきった上に男に愛される方法を知らない。だから神殿巫女稼業で鍛えた男受けする仕草を、馬鹿の一つ覚えで会う男会う男にして見せる。だが呪いのせいで愛は貰えない。それで結局薬や呪文に頼っては男に体だけを与えて、愛はこの世の終りまでお預けだ」

 心底うんざりした表情でとむはため息をついた。


「結局の所、愛した男にあなただけを永遠に愛してるって言ってもらいたいだけなんだ。乞うても乞うても得られぬ愛の連続に、心が壊れてとんだ化け物になっちまった哀れな女だ。そんな女の体だけをむさぼる男の末路が獣になるってのも、皮肉が効いてるがな」

 とむは自嘲するように乾いた笑いを漏らした。


「だが素性も知らぬ男をいきなり押し倒してくる女を愛するなんて、呪いを抜きにしても無理だ。しかもあいつは年を取らないだけで、どのぐらい生きてるかも分からない化け物だ」

「まあな」

 呪いを掛けられたきるけえには酷な事だとは思うが、いきなり砂浜で人事不省の男の腹にまたがる女が愛される訳がない。


「求める愛がまた与えられないと気付いた時のくそったれ女の絶望と来たら。それでまた男を獣に変える。変える気が無い時でも気が付けば獣に変わっちまってて慌てふためいて泣き叫ぶ。始末に負えねえ」


「しかしいしゅたるの呪いのせいだろう。きるけえばかり責めるのは酷だ」

「責めずにいられるかよ。フランソワなんて、女も知らない敬虔けいけんで純潔な若者だったんだ」


 敬虔で純潔であったと言うふらんそわは、きるけえと体を合わせてもすぐに獣化する事はなかった。

 その理由が分かれば対応策も取れるのではないかと、私はほのかな期待を抱いた。

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