十二 時間と言う名のだまし絵

「時間や空間や俺たちが『有る』って思っている全ての物や概念は、本当の所はただの幻影なんだと」

 海豚いるかの坊さんの受け売りだがなと、とむが苦笑した。


「私たち各人が五感で対象物を『有る』と認識しているに過ぎぬと言う話か。そんな経文きょうもんが確かにあるな」

「あんたも坊さんなのか。俺みたいな船乗りにゃ何度説明されても分からねえ」

「いや、私は坊主ではなく織物商だが、仕事柄神社仏閣との付き合いもあってな」

 私なぞは生臭坊主にもなれはしないほどの俗人だ。

 勝手に誤解されては困ると焦った私は、何度も坊主ではないと繰り返した。


「織物商って事は、船に荷を積んであちこち回ってたのか」

「ああ、そうだ。申し遅れたが、私は名を二瓶十兵衛にへいじゅうべえと申す。桃山幕府御用達の織物商人として諸国を巡っている最中に、嵐に巻き込まれてこの海岸に打ち上げられた次第だ」


「そうかい。俺も似たようなもんだ。大英帝国海軍に潜り込めたまでは良かったが、何の因果か潜水艦の乗組員に引き抜かれたのが運の尽き。気が付いたらあのくそったれ女の生贄いけにえとばかりに、波打ち際に打ち上げられていた」

 はあっと大きなため息をつくと、とむは腰掛にしては大きな台にぼすっと音を立てて座った。




海豚いるかの坊さんは、俺たちは『俺たちだと認識している』肉体の俺たちそのものではないってほざきやがる。どうやら俺たちの肉体があるここ以外にも、別の世界があるらしくてな」

 トムは足で一本の線を描いた。


「例えばこの線を平面の世界としよう。俺たちは平面に高さを加えた立体の世界に『いる』から、その視点から線の世界を理解できる。これと同じように、立体の世界に『いる』俺たちを観察している俺たちも『いる』」

 私は先を促した。


「俺たちの肉体が『いる』ここは三次元、それに時間の要素を加えたものが四次元。そのもう一つ上の世界が五次元な。この五次元って世界には、あらゆる姿の俺たちが同時並列的に存在するらしい」


「織物商の私、僧侶としての私、漁師としての私、それ以外の存在としての私が同時に幾通りも存在すると言う訳だ」


「坊さんの説明からするとそんな理屈になる。それを俺たちの肉体が存在している三次元に映し出す時には、二つの方法があるらしい」

 私はじっととむの言葉に耳を傾けた。


「一つ目はあらゆる姿の中から一つを現出させるやり方」

「もう一つは」

「『時間と言う名のだまし絵』を使うやり方だ。つまり同時並列的に存在する無数の可能性のうちの幾つかを、時系列に沿って展開させることになる」


「つまり織物商としての生涯を選ぶのが一つ目のやり方で、例えば漁師から織物商になり後に出家して僧侶になるのが二つ目のやり方と言う事だな。だがその仮説が正しいならば、時系列に沿って私がここに来るのが先だと思わないか」

 とむは大きくかぶりを振って手を広げた。


「あんた『時間と言う名のだまし絵』って言葉に引っ掛かりを感じないのか」

「確かに『時間と言う名のだまし絵』と言われても、時間は『ある』し時間が『ある』から期日通りに金の回収も出来る訳で」


「そうだろう。朝日と共に文句言いながら起きて、ばさっばさのパン一枚を押し込みながらつまんねえ仕事。お偉いさんがワインやエールを飲むのを横目に、ジンやらグロッグを浴びてクソ見たいな事で喧嘩。それで寝ゲロして床に這いつくばりゃ一日が終わる。船に乗ってりゃ、交代で直ぐにたたき起こされてグロッグで迎え酒。その繰り返しだろ」


 とむの言葉には聞きなれない単語がたくさん出てくるが、どうにもろくでもない毎日を送ってきたらしい。

「それこそが一日の流れで、それが続く毎日は昨日・今日・明日と流れがあるわけだろ。クソみたいな毎日だとしてもだ。それを『時間と言う名のだまし絵』で本当は時間は幻影なんだって言われても、そりゃただの暇人の言葉遊びじゃねえか」

 私は無言でうなずいた。




「坊さんの話として聞いてくれ」

 とむは慎重に言葉を選んでいるようで、しばしの沈黙の後に再び口を開いた。


「俺たち人類は『時間は存在すると言う約束事』に基づいて社会生活を営んでいるから、過去現在未来の時間軸に沿って出来事が起こるように見えるだまし絵が、俺たちの肉体がある三次元世界に現れる」

 私は目線で先を促した。


「そしてだまし絵を見て『時間は存在する』と、社会の構成員それぞれは疑うこともなく過ごす。その繰り返しが『時間の概念』が三次元世界に導入されてから、営々と各世代の人類に受け継がれる。かくして『時間と言う名のだまし絵』が人類を支配する力は益々強固なものとなる」


「その『だまし絵』の呪縛を解く鍵を持つのがきるけえなのか」

 私は思わず身を乗り出した。

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