十四 清らかなるフランソワ
「結局どうしてふらんそわはしばらく無事だったんだ」
「聞いてもあんたは真似できないぜ」
とむは芝居がかったように片方の眉を上げて見せた。
「聞いてみなければ分らんだろう」
「いや、無理だね。グロッグをワンパイント賭けてもいい」
ぐろっぐもわんぱいんとも何の事だか皆目見当もつかなかったが、私はとむの話に水を差さないようにした。
「何てったってフランソワは純潔が過ぎて女に対する扱い方っつうか、とにかく」
とむは、かわいそうに、かわいそうにあんなくそったれ女に、と何度もつぶやきながら話した。
「女性経験が無かったと言うことか」
「経験自体はもちろんの事、普通の男が持っていてしかるべき欲の無い奴だった」
私は頭をぶるりと振った。
「俺がフランソワに気が付いたのは湯屋に人の気配がしてからだった。慌てて駆け付けた時には、フランソワは裸に布を一枚掛けられたままで寝込んでたのさ」
とむはオオヤマネコの姿の時のように、右手をぶんと振った。
「蛙のおっさんと一緒に前足であいつを起こしたら、酷い声を上げてひっくり返っちまってな。どこにいるのかも分からず、見たこともないようなデカい猫と蛙面の人間がいてみろよ」
「そりゃ誰だって驚くな」
「そうだろ。そうしたらあのくそったれ女は澄ました顔して『
ふんと鼻を鳴らすと、とむはオオヤマネコの時のように不意に身を低くした。
「自分で呼びよせておきながら、『あなたの乗られた船は難破して、何とかあなただけはお助けできたのですが』と来たもんだ」
「きるけえは無意識のうちに船を呼び寄せているのか。それとも男が欲しくて意図的にまじないで呼んでいるのか」
とむは猫のような瞳をくりくりと動かした後、私に向き直った。
「完全に無意識だな。だからあの毒牙から逃れるのは至難の業なんだ。あの偉い坊さんですら
とむの言に私はがっくりとうなだれた。
「男が獣に変わる時は、キルケが法悦状態に入った時か男にひどく拒まれて怒りと渇きを感じた時なんだ。猫の女中にいきなり手を出そうとして獣にされた奴もいるが、これは俺の知る限り一人しかいない」
「つまりふらんそわは純潔ゆえにきるけえを法悦に導く事もなければ、敬虔ゆえに神のご意思としてきるけえを受け入れた」
「そうだな。結果的に感情を上下させなかったのが良かったのだろう」
「では私が彼女を怒らせないようにかつ関係を持たぬように誘導できれば」
「そう簡単にいけば良いがね」
とむは皮肉そうに片頬を上げた。
「まさに
「では、なるべくその気にさせなければ良いわけだ」
とむは渋い顔をした。
「至難の業だがな。とにかく奴は愛に飢えている。優しい言葉や態度を見せれば、その場はしのげる。だが、呪いのせいで心と体が一体となった愛情を注ぐのは不可能だから、いずれは渇望が爆発して被害者は獣化させられる」
「とにかく彼女を認めてやれば、少しは間が持つのだろう」
「本心からあんたがその気持ちを持つなら、ある程度は効果があるだろうな。だが甘く見るな。清らかで無垢なる愛によって癒そうとしたフランソワさえ、結局は獣に変えられた」
とむの体はオオヤマネコに戻りつつあった。
「船が出来上がる前に満月が来ちまう。坊さんも急いでくれるとは思うが、満月の夜は特に注意しろ」
とむはそれだけ早口で告げると、完全にオオヤマネコの姿に戻ってぐったりと床に寝込んだ。
ぐにゃりと視界が揺れて、私たちの前に
私は、何か手伝える事は無いのかと聞いてみた。
彼の思念は私の脳内に直接送り込まれた。
「湧水の水を毎日飲めだと。どこに行けば良い」
私の質問に、
「とむ、後で湧水を汲める場所に連れて行ってもらえないか。きるけえの呪力を弱めるのに必要だそうだ」
とむは大儀そうに、しっぽを一振りした。
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