コインランドリーで待ちながら。
七緒ひかる
第1話
昨日まで特に不具合もなく動いていた洗濯機がとつぜん壊れた。宮城悠介はきのう洗ったものを思い出す。溜まった白のワイシャツや白のTシャツだけで、変なものは洗っていないはずだった。しかし、翌朝、他のシャツやタンクトップなどを洗おうとして、エラーが出て回らなくなっていた。中古で買ったものだ。いつかは壊れると思っていたが、なんの前触れもなく壊れるのは、身内がとつぜん亡くなったと知らされたときのように、心構えができておらず困惑した。べつに下着や服は余裕があるので、すぐ困るということはないのだが、さすがに今日中には洗っておきたいと思った。
悠介が、コインランドリーに向かうことが出来たのは、けっきょく日付けが変わった深夜だった。朝から大学の講義があり、そしてバイトもあったために、自宅に帰ったのは23時をまわっていて、そこからいろいろと家のことをやっていたら深夜を回っていた。
コインランドリーというものは、24時間営業だと思っていたのだが、意外と閉まっているところも多いようだ。家からいちばん近いコインランドリーは0時に閉店していた。
悠介は洗濯物を70リットルのビニール袋に入れた。どうせ行くならベッドカバーや枕カバーも洗おうと一緒に入れた。それと、ふだん使っているジェルボールの洗剤と、消臭ビーズをレジ袋にいれる。コインランドリーは洗剤不要ではあるが、なんとなくそこの洗剤だけでは洗浄力が劣る気がした。
自転車を走らせる。郊外の住宅街は、人の気配をほとんど感じなかった。駅の前を通ると、すでに終電を終えているため電気は消されている。駅もまた眠るのだと思うと、そんな時間に起きている自分が、すごく悪いことをしているような気がした。
国道に沿って自転車を走らせると、そのコインランドリーはあった。最近のコインランドリーは、オシャレになりつつあるらしい。カフェが併設されていたり、クリーニングや洗濯代行までしてくれるコインランドリーもあるのだという。クリーニングなどの洗濯に関するサービスがコインランドリーにくっついているのは理解できるのだが、カフェが併設されているというのは意味がわからなかった。もちろん、コインランドリーを待つまでの時間を有意義に過ごしてもらいたいという狙いはわかるのだが、悠介にはコインランドリーとカフェがかけ合わさっている姿は違和感しかなかった。
そのコインランドリーは、そんな時代の変化に抗うように存在していた。おそらく上部に『コインランドリー』などと書いてあったビニール看板があったのだろうが、なぜかそれは外れていて、骨組みがむき出しになっていた。台風か老朽化かわからないが、管理者は直す気はないようだ。もしかすると、管理者にすら忘れられているのではないだろうか。
店内にはいると、洗濯機も乾燥機も古く、そしてせまかった。店内の中央に、申し訳程度に木のテーブルがあり、椅子が2つだけあった。明らかに家庭用のものだった。悠介は、コインランドリーの扉をあけて、洗濯物を入れた。そして持ってきた洗剤と消臭ビーズを投入すると、100円玉を突っ込んだ。
ドラム式洗濯機がまわりだし、水と混ざったジェルボール洗剤が溶けて、泡立っていく。ここから洗濯と乾燥でおよそ1時間ほどかかるだろう。その間、特にすることもなかった。店内にはマンガがあったが、興味の引くようなタイトルはなかった。日焼けしてボロボロになった、何十年前のマンガなのか分からない、ゴルフマンガや、野球マンガを読もうという気には到底ならなかった。
悠介は、コンビニに行こうと思い、コインランドリーを出た。歩いて3分くらいのところにコンビニはあって、愛想のなさそうな30代後半くらいの男がレジにいた。雑誌コーナーを見ると、いつも買っているファッション誌が置いてあって、それを購入した。精算を済ませたあと、飲み物を買えばよかったと思ったがそのまま出た。今は喉も渇いていないし、コインランドリーから少し離れたところに自動販売機があったので、そこで買えば良いだろうと思った。
コインランドリーに戻ると、中に女性がいた。年齢は悠介と同い年くらいの、20歳くらいだろうか。ショートカットで、175cmの身長の悠介よりは、15cmくらい低い。Tシャツにカーディガンを羽織りスカートという格好をしていて、ちょうど洗濯カゴの中身を、乾燥機に入れようとしてるところだった。ビニール袋に入った洗濯物を、洗濯カゴにいれて持って来ているようだ。自転車がなかったところを見ると、徒歩圏内に住んでいるのだろう。
「すみません」
悠介は彼女の後ろを通るときにそう声をかけて、椅子に腰をかけた。彼女が、お金を投入する音がして、乾燥機が回りだした。
「あの、ここ座っても良い?」
女性にそう尋ねられ、悠介はうなずいた。いつも思うのだが、こういう場で断る権利はあるのだろうか。新幹線の座席シートを倒すときと一緒でらあくまでも黙って倒すより、聞いたほうがマナーとして正しい気がするから尋ねるだけで、拒否する権利はないような気がする。
「どうぞ」
「ありがと」
女性はそう言うなり、椅子に座った。膝と膝がくっつきそうなくらいの距離に女性がいるという状態に、悠介は恥ずかしさを覚える。それを誤魔化すように、雑誌に集中した。
季節は秋だ。雑誌では冬服のコーディネートが紹介されていた。悠介は、今年はニットを買いたいと思っていた。白のシャツコーデを模索していて、ニットを合わせればカジュアルなスタイルが演出できるだろう。白シャツはその特性上、フォーマルになりすぎるし、合わせ方を間違えると一気にオシャレとはかけ離れてしまうが、着こなしがうまくいけば、大人びた印象を与えることができる。
「へえ、そのニット可愛いね」
顔をあげると、女性が雑誌をのぞき込んでいた。中央と、左右のカラーが違うもので、確かにオシャレなニットだった。
「え? ああ、まあ、そうですね……」
悠介はそう言ったあと、顔を雑誌に戻した。そして、あまりにも愛想のない返事をしてしまったことにうんざりした。自分はどうしてこうもコミュニケーション能力がないのだろうと思った。小学生の頃からそうで、男子とはそれなりに話せるが、女子と話すのが苦手だった。思春期に入り、みんなが恋愛をするようになってからもそれは変わらず、悠介の異性に対するコミュニケーション能力はあまり改善されなかった。
悠介はふと、高校時代のことを思い出した。当時、高校はバスで通っていた。団地のうえにある高校で、主要バスターミナル駅から団地行きのバスを使っていたのだ。
バスはいつも定時にきたし、生徒もいつも定時に並んだ。そういう状況下では、席というものは固定になっていく。誰が決めたわけでもないが、みんなが定位置に座るようになるのだ。悠介も、後ろから2番目の2人がけの座席に座るのが決まりだった。隣はいつもあいていたが、まわりに馴染みのある人間がいないため、誰も座らずいつも空席だった。
そんな秩序の保たれたバス内も、進級にともなって1度壊される。新たな1年生が入ってきてバスを利用し始めるからだ。夏までには、バスを利用する人間が決まってきて新たな秩序が生まれるが、それまでのバス内は、席をめぐる闘いが、静かに繰り広げられる。
悠介はいつも最前列に並んでいたため、その闘いには関係なかったが、席に座れていた人間が立つようになったり、1本あとのバスに乗り換えたり、そもそもバスを利用しなくなったりしていった。
真田という女子もまた、その座席争いに負けた人間だった。いつも悠介の前の1人がけの席にいたが、そこには1年生のガリ勉っぽい男子生徒が座るようになったのだ。彼女は何回か立っていたが、満員状態の中で立つのが辛くなったのか、悠介の隣に断りをいれて座った。その日から真田は毎回、悠介の隣に座るようになった。
バスターミナルから学校まではおよそ30分。悠介は真田と一緒に座っていたが、隣に座ったからと言ってこちらから話すことはなかった。悠介はもともと1年の頃から隣のクラスだった真田を意識はしていたが、自分は学校内ではべつに目立つようなタイプではなかったし、人気者とは程遠い人間だったから、接点はなかった。隣のクラスも混ざる選択授業で席が隣になったこともあったが、そのときも、こちらから話しかけたことはなかった。
バス内でもそれは変わらなかった。真田はときおり話しかけてきたが、悠介から話しかけるようなことはなかった。朝のラッシュで確実に座りたいから隣に座っているだけで、そういう関係性の中で話しかけるのは悪い気がしていたし、向こうが話しかけてくるのも、仕方なく気を遣って話しかけているだけなので、自分から話しかけるべきではないと思っていた。極力、彼女の迷惑にならないように努めようと思っていた。ただでさえ二人で座るようになってすぐ、悠介と真田の交際を噂する声があって、悠介は彼女に対して申し訳無さを感じていたのだ。
しかし、けっきょく悠介はその状況が耐えられなくて、当時マウンテンバイクを買ってもらったこともあって、自転車通学に切り替えた。真田とはそれっきりだった。風の噂で、実は真田が悠介を好きだったらしいという話を聞いたが、真偽はわからない。たぶん嘘なのだろう。交際の噂だって、本人の意思とは関係なく広まっていたのだから。きっと、嫌いではない程度の発言に尾ひれがついて広まったのだろうと思っている。
その後、卒業をむかえたが、恋人は1度もできなかった。卒業のときに友人から、食いついた魚をみすみす逃すなんてバカだよな、と真田のことを蒸し返されたが、そうは思えなかった。
悠介がバス通学をやめて接点がなくなってしばらくして、サッカー部の人間と付き合うようになって、自分を好きだったという噂はやはり嘘だったのだと悠介は思ったのだ。いくら彼女が、男は顔ではなく中身だという人間だったとしても、サッカー部の彼氏と自分では、顔はおろか中身ですら勝ってなどいなかった。勉強にも真面目で、人にやさしく、また面白い。生きてる次元が違っていた。
コインランドリーでは無言の時間が続いていた。洗濯機や乾燥機の音だけが鳴り響いていて、悠介は居心地の悪さを感じていた。さきほど話しかけてきた彼女は、スマホをいじっていた。悠介も知ってるYouTuberの動画を観ているようだった。悠介は、それをきっかけに話しかけようかと思った。彼女だってそうしたのだから、自分がしてもかまわないだろう、と話しかけようとしている自分を正当化しようとした。
決して難しいことではないはずだ。彼女のやり方を真似ればいい。
『あ、俺もそのYouTuber好きなんだよね』
そう言えばいいだけだった。しかし、悠介の頭は理解していても、身体がうまく動かなかった。口を開こうとすると、どうしても躊躇いが生まれてしまう。バンジージャンプを飛ぶ寸前に躊躇いが生まれて踏み出せないみたいだった。
そんな一進一退の時間が続いたとき、彼女がふとスマホを止めて席を立った。そしてそのまま財布を持ってコインランドリーを出ていった。
悠介は、唐突に不安に襲われた。自分が話しかけようとしていたのに気付いて、気持ち悪く感じたのだろうか。
しかし、3分にも満たない時間でふたたび彼女は戻って来た。悠介がそちらを一瞬だけ見たとき、その手には、缶のココアが握られていた。
「ねえ、良かったらいる? そこの自動販売機で買ったら当たっちゃって」
彼女の手元をよく見ると、その手にはココアを2つ持っていた。
「え? あ、いいんですか?」
「うん。ホットココア嫌いじゃない?」
ココアに好き嫌いがあるのだろうかと思いながら、悠介は、大丈夫です、と言った。
「あ、お金……」
「いや、いいよいいよ。当たっちゃっただけだから」
悠介は、すみません、と言ってココアを受け取る。軽く振って、プルタブをあけると一口飲んだ。今までに飲んだココアより美味しく感じる。
不思議なもので、同じ空間で同じものを飲んでいるだけで、悠介は彼女に少しだけ近づけた気がした。
話しかけるなら今だ、と思った。悠介は、嫌われているわけではないようだと安心した。少なくとも飲み物をもらえるくらいには、友好的なようだった。
『この辺に住んでるんですか?』
『このコインランドリーは良く来るんですか?』
悠介はどちらのほうが話が広がりやすいか考えられるくらいには余裕があった。ココアを飲んで少し余裕が出てきたのかもしれない。
だが、いざ話しかけようとしたその瞬間に、心の中に巣食う臆病が、海で死んだ人間の亡霊が生者を海底に引きずり込まんとするように、悠介を引っ張った。
ココアをもらったくらいで、自分が特別だと勘違いするのは違う。他の女性と比べて好意的に見えるだけで、彼女からすれば、自分はただこの場に居合わせただけの、不特定多数の一人でしかないのだという考えが悠介の中に芽生えた。そしてそれは、悠介の中にかすかに芽生えた小さな勇気を無惨にも食い散らかした。
乾燥機の電子音が室内に鳴り響いた。彼女は、ココアを飲み干すと、ビニール袋に洗濯物をいれ、洗濯カゴにいれると、悠介を一瞥することなく出ていった。一人残された悠介は、彼女が出ていくと途端に後悔が襲ってくる。やっぱり話しかけておけばよかったような気がする。しかし、話しかけなくてよかったのだという気持ちも同時に存在していた。
悠介の洗濯が終了した。洗濯機から衣類を取り出すと、彼女が取り出したばかりの乾燥機に放り込もうとして、なんだか自分が気持ち悪いことをしているような気分になってしまい、その隣の乾燥機にいれて回した。
悠介は、激しい喉の乾きを感じる。ココアを飲んだばかりとはいえ、緊張もあってか、喉の乾きを感じていた。悠介は財布を持つと、自動販売機に向かった。そこはさきほど彼女がココアを当てた自動販売機だった。
悠介は小銭をいれて、炭酸飲料を押す。硬貨投入口の隣にある画面が電子音をたてて数字が羅列されていく。悠介は、さきほど彼女が当てた自動販売機で当たるわけはずがないのに、そのルーレットを眺めていた。7が3つ揃う。この手のルーレットで3桁までが同じ数字が揃うのは、確率機のUFOキャッチャーが、景品を持ち上げるまではアームの力が強いのと一緒で、標準仕様だった。
4桁目の数字が表示される。7だった。ありえないことだった。当たり付き自動販売機の確率がどの程度なのか知らないが、2回連続で当たるのはまず起こり得ないのら分かった。悠介は、思わずその場を離れ、彼女が帰った方向を見た。しかし、そこには誰もいない歩道が続いてるだけだった。
コインランドリーで待ちながら。 七緒ひかる @nanao_hikaru358
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