鬼、瑞果欲し枝を削ぐ

ミドリ

第1話

 桃太郎という少年たちによる鬼ヶ島へ赴いての鬼討伐事件については、鬼ヶ島というさして産業もない島で鎖国という楽園を築こうなどという馬鹿げた理想を掲げた父に、そもそもの問題があったのだろうと思う。


 結局は早々に立ち行かなくなり、父が下位種族と馬鹿にしていた人間の元までわざわざ赴き盗賊の真似事をせざるを得ない程追い詰められた我ら一族は、父が敷く圧政に絶望していた。


 そこへやってきた、頬を桃色に染めた何とも可愛らしい少年。それが桃太郎だった。


 犬歯の発達した『犬』と呼ばれている男、小さくちょこまかとする『猿』と呼ばれている男、そしておなごの様に自らを着飾りひらりひらりと舞う『雉』と呼ばれている男。三人とも皆、少年を見る目つきは部下のそれではなかった。


 敬愛という言葉では生ぬるい。盲信的な愛、更にはその先を求めてやまない熱が篭った視線を側近の三人から浴びせられていた桃太郎は、それでもその奥にある想いに気付いてはいない様だった。


 父が討伐された後、名誉ある死を迫られた母がこの世を去り、ひとり息子である私が鬼一族の頭領の座に就いた。私が就任後最初に行なったことは、桃太郎への投降であった。


 そして、忠誠の誓いも。


「君のお父さんを殺して、ごめんね」


 泣きそうな顔で謝罪の言葉を口にする桃太郎を見上げ、ああ、一生この人の傍にいてこの人を守ろうと固く心に誓った。



 鬼ヶ島と本土との間には日に一回の定期便が設けられた。鬼の体力は人間よりも遥かに上だ。その為、労働力を提供する見返りとして食料を得ることになった。


 今すぐにでも本土に移り戻りたかった鬼一族だったが、父の命令下行なわれた悪行による怨嗟の根は深く、頭領であった父が討伐されたからといって鬼一族がすぐに受け入れられる道理はなかった。


「セキ、分かってくれ。それ程に、鬼の脅威は人々の心に傷を残したのだ」


 若様以外の呼び名がなかった私に、私の額から生える赤い角からセキ、と名付けてくれた桃太郎が、桃太郎の実家の縁側で寛ぐ桃太郎に茶を淹れてきた私に向かって済まなそうに言った。


 今日は久々の休息日で、普段着用している桃の紋が入った肩衣は桃太郎の部屋で陰干しされている。藍色の着流をさらりと着こなす様はさすがは桃太郎だと感心せざるを得ないが、問題は本人にその色香の自覚が足りていないことだった。


「……桃太郎様、胸元をお隠し下さいませ」


 私の言葉に、桃太郎はハッとして襟元を正す。


「ご、ごめん」

「私自身は構いませぬが、他の男の目に留まれば危険です。もう少し自覚をお持ちいただけませんと」

「いや、だって俺、男として育てられたし……」


 人間の世は、鬼の世界より遥かに酷なものらしい。おなごの一人歩きなど襲ってくれと言われている様なものらしく、その為、摩訶不思議な巨大な桃の中から生まれてきた桃太郎は、育て親から男として育てられたそうだ。人間の世界では、桃といえば神仙の好物と有名らしく、その様な贈り物を万が一にも悪漢の手で汚されてしまってはという考えからだったらしい。


 それが回り回って私たちを救ってくれたのだから、彼らの判断には感謝しかない。だが、鬼の脅威がなくなり平和が訪れた世界で、次に始まったのは番探しだった。桃太郎は功労者で有名人ではあるが、ただの平民だ。男であったとしたら、どこぞの身分があるところへ婿養子にもいけたのだろう。だが、鬼を退治する様な刀を振り回す嫁など欲しがる豪気な貴族は果たしているのか。そんなところへ嫁にいけば、苦労するだけでは。


 桃太郎を溺愛する育て親の二人は、そうして桃太郎の積極的な婚姻を断念したのだ。そこへ付け入るのが、かつて鬼ヶ島へ桃太郎と赴いた部下の三人の男たちだった。


 『犬』は、とある豪商の次男だった。跡目争いに負け燻っている時に、ひとり鬼ヶ島へ向かう桃太郎に出会った。まだ少年なのに民を救うのだと意気込んでいる姿を見て、同情してしまった。馬鹿だな、勝手に死ねばいい。そうも思ったが、あまりにも真っ直ぐな眼差しに、それまで捻り曲がっていた心が正されるのを感じてしまった。契約の吉備団子を口に含んだ時の心境を私に語った言葉は、こうだ。


「俺ひとりいるだけでも違うかな、そう思ったんだ」


 『猿』は、山賊だった。人を殺すことも厭わなかった。生きていく為には必要だったからだ。これまで人に施しなど受けたことはなく、ただひたすら奪われるのみ。人の心など信じられず、だから最初は桃太郎の吉備団子を食うかという言葉を信じなかった。


 『猿』は飢えていた。腹は常にぺたんこで、その所為か、身長も『猿』が命を奪う人間よりも小さい。だが、桃太郎の横で『犬』がふふんと馬鹿にした様な目つきで吉備団子を口にしようとした時、『猿』の中に生まれて初めて湧いた感情があった。


 その場所に行ってみたい。


 桃太郎と『犬』の関係が、羨ましく思えた。これまでひとりで生きてきた『猿』にとって、誰かと共に過ごすなど愚の骨頂な筈だ。だが、『猿』は気が付けば声に出していた。その時の霧が晴れた様な気分は今でも忘れられない、と私に語った。『猿』はこう言った。


「俺も……仲間に入れてくれないか」


 『雉』は、色子だった。身体が大きく育った後は客を取らなくてもよくなり、裏方へと回される様になった。だが、『雉』は綺麗な着物を着る自分が好きだった。それがなければ、自分にどういった価値があるのか分からなくなった。めんこい、綺麗だと言われない自分に、どんな価値があるというのか。


 これまでの価値観が崩れ落ち、それでも盛時の輝きを忘れ切れずに変わらず着飾る『雉』を周囲は気味悪がり、気が触れたのだと避ける様になった。きちんと働いている、なのに何故蔑まれなければならないのか。そんな時、二人の男を引き連れた、これまで見たどの色子よりも可愛らしい桃色の頬をした少年が、『雉』の勤める茶屋を通りがかった。


 打ち掛けを肩に羽織る『雉』を見て、桃太郎は美しいと言ってくれた。そういう格好が似合うのが羨ましいと。


 『雉』は、この人の傍にいれば毎日褒めてもらえるのではと考えた。だから、契約の吉備団子を受け取ると言ったそうだ。


「貴方の隣にいる為に、貴方を守らせて下さい」と。


 『雉』の口説き文句の様な言葉に、桃太郎の後ろに控える二人の男は『雉』を睨み付けたが、なに、桃太郎の貞操は自分がこいつらの相手をすれば守られるに違いないと考えた。試しに『雉』は二人の男を誘うと、『犬』も『猿』もさしたる抵抗なく『雉』を抱く様になったそうだ。


 桃太郎の貞操は、『雉』の働きによって守られたと言っても過言ではない。その点で、私は『雉』にだけは多大な感謝の念を抱いている。桃太郎の純潔をその身を犠牲にし死守してくれた『雉』には、彼がずっと欲しがっていたものを用意することにした。


 桃太郎の働きによって、各地から貢ぎ物が送られてきていた。その中にあった、清純な桃太郎には似合わなさそうなきつい色合いの反物を使い、『雉』用に仕立てさせた。鬼の女たちは、人間と仲良くなるいい機会だと、桃太郎の里の女たちと一緒に針の腕を磨いた。


 鬼の中に、『雉』をひと目見て気に入った者たちがいた。桃太郎が謝礼に受け取ったものの中には、人里離れた山奥に昔貴族が住んでいた屋敷もあり、そこを桃太郎の避暑地としようという話になった。そうとなれば、その場を管理する人間が必要だ。


 私は、その責任者を『雉』とする様、桃太郎に進言した。それまでには見目麗しい鬼の男たちに連日飽きる程「美しい」と言われ幸福を得ていた『雉』は、その男たちと毎日過ごせるならばと、その任を受けた。


 男たちには、『雉』が飽く様なことがあれば任を解くとやんわりと伝えてある。『雉』の場合は、少し大袈裟に好意を表現する方が効果的だろう。だから思う存分『雉』の前で争え、そう命令をしたお陰か、出立から一年が過ぎた今も、万事恙なく過ごせているとの報告を受けている。


 『猿』は、仲間に飢えていた。元々『猿』は、自分の容姿に自信がなく、桃太郎への恋慕はあったものの、共に戦うことでやっと出来た仲間から軽蔑されることを厭った。


 その分、『猿』は扱い易かった。桃太郎の私兵団の頭に据え、盲信を装えと命じてある鬼の部下を多数付けてやると、鬼を従える桃太郎の側近という評判はあっという間に『猿』を木に登らせた。あちこちで起こる紛争に私兵団を駆り出し、桃太郎はその謝礼を受け取れる。『猿』は私兵団の大将として仲間を得ることが出来、今も充実した日々を過ごしている。


 いずれは従順な鬼の嫁でも用意してやろうかと考えているが、万が一桃太郎を恋しがり私兵団を辞める素振りを見せたなら秘密裏に始末しろ、と命令してあった。紛争の火種はあちこちに満遍なく撒かれているから、『猿』は数年の間は仲間と忙しく野山を駆け回っていられるだろう。


 そして。


 『犬』が、一番の難関だった。こやつの忠誠心は、正に犬並みだ。私は、そこを逆手に取ることにした。暴虐の限りを尽くした父に嬉々として従った鬼の一派がいた。奴等は桃太郎事変の後は幽閉されていたが、最期に華々しく散る機会を与えてやったのだ。


 忠犬の如く桃太郎の屋敷を警護する『犬』に、いい酒が入ったと誘いをかけ、縁側で酒を酌み交わした。『犬』は気のいい男で、かつての敵である私にも、早く人間の世界に馴染める様懇切丁寧に様々なことを教えてくれた。人間の嫁を娶るといいのではと提案されたので、逆に『犬』に鬼の嫁はどうかと問うた。


「俺は桃太郎が幸せなら、それでいい」


 そう笑う『犬』を見て、私の心は決まった。鬼の嫁を娶れば生き永らえることも出来ただろうが、それを受けないとなると、『犬』を一番に信頼する桃太郎から遠ざけねば、いつ何時二人の関係に変化が起きてしまうか分かったものではない。


 私は闇夜に向かって合図の鬼笛を短く吹いた。人間の耳には届かない高音を自身の口で奏でると、最期に大きな花火を打ち上げ華々しく散らんとする鬼たちが、一斉に私たちに剣を振り翳しながら襲ってきた。


 『犬』の腕は立つ。その為の酒だった。酩酊までは持っていくことが出来ず、『犬』はすぐに私に背を預け共に鬼たちに対峙する。この男は、鬼の私すら信じてくれていたのだ。本当に惜しいことだと悲しく思ったが、もう後戻りは出来ない。


 私たちは、襲いくる鬼たちを斬り続けた。そして、私が敢えて肩を少しだけ斬られ肩を押さえると、『犬』は私を庇うべくひとり鬼たちと戦った。そして。


「セキ……必ずや勝つんだ……桃太郎を、桃太郎を、頼んだぞ……」

「『犬』よ。その約束は違えんと誓おう」


 残りひとりなった敵の大将に一太刀受けた『犬』は、私の言葉に安心したのだろう。私の腕の中で、微笑みながら息を引き取った。


「さて……」


 お芝居はここまでだが、誰が見ているか分からない。私はそのままお芝居を続けることにした。騒ぎを聞きつけた桃太郎がこちらに焦り向かっている音がこの耳に聞こえた以上は、目の前の鬼を余計なことを喋らす前に始末せねばならなかった。


「ご苦労だった」

「若……!」


 鬼が、褒められ恩赦でも受けられると思ったのだろうか。喜色をその顔に浮かべ剣を掲げた腕を下ろした瞬間、私は全力を以って鬼を縦に真っ二つに割った。鬼の力を以ってしても、鬼の骨を一刀両断するのにはかなりの力を要する。鬼としてはまだまだ未熟な私は、がくりと膝を付いた。


「――セキ!」


 奥の間から剣を掴み駆け寄ってきた桃太郎が、前に倒れそうになっていた私を急ぎ支える。


「桃太郎様、申し訳ございません……ここまで敵の侵入を許してしまった私と『犬』の罪をお許し下さいませ……!」


 許しを乞いつつ、桃太郎のいい香りがする肩に額を付けた。それをどう勘違いしたのか、桃太郎は私をきつく抱き締め支えてくれる。ああ、ようやく私ひとりのものになった。感動で手が震えると、桃太郎は更にきつく抱き締めてくれたのだった。



「セキ、俺の周りには、お前しかいなくなってしまったな」


 騒動の後、忠臣『犬』の葬儀はしめやかに執り行われた。喪服に身を包む桃太郎が、真新しい墓石の前で手を合わせながら寂しげに笑う。今はまだ時期尚早であろうかとも思ったが、淋しさで心が満たされている今の方が効果的かもしれない。そう思い、『犬』の墓前で私はこの溢れる愛を桃太郎に存分に伝えることにした。


「桃太郎様、私は桃太郎様をお慕い申し上げております」

「セキ……?」


 涙で濡れた美しい主人の頬に、長く尖る爪で傷付けぬ様気を付けながら触れると、桃太郎は大きな目で私を見つめ返す。


「一生お側を離れぬと誓います。ですから桃太郎様、私の妻になってはいただけませぬか」


 一生、と桃太郎は小さく口の中で呟いた。やはり桃太郎にとって大事なのはそこなのだ。


「セキ……ずっと一緒にいてくれるのか?」

「はい、この命を賭けて誓います……!」


 私の目の中に虚偽がないかを探しているのだろうか。桃太郎は探る様に私を見つめるが、私の中にこの想いに関して虚偽は一切ない。


「桃太郎様、お慕いしております。それに――」


 私は、鬼と人間が婚姻という形で繋がることの利点も説明した。私と夫婦になればいいことばかり起こり、私の愛は揺らぐことはあり得ないから、桃太郎は死ぬその瞬間までひとりになることはない、と。


「セキ……セキは、俺の傍にずっと居てくれ……!」


 桃太郎が、涙を流しながら私に縋り付いた。私はそんな桃太郎をこの胸に抱き寄せる。私が全身全霊で欲する生涯の伴侶を得た瞬間だった。


 嬉しさのあまり、経験などないであろう桃太郎の唇を奪うと、仄かに桃の香りがし、私はそれを貪る様に味わった。


 味わい続けながら、そういえば先日桃太郎を妾にと失礼極まりない文を送って寄越した、山を二つ超えた所にある城の殿様はそろそろ燃やされた頃だろうか、と考える。内部から火を付けられ、逃げ出そうにも堀には油を流され、きっと今頃いい具合にこんがりと焼けていることだろう。


「ふ、ふふ……」


 思わず笑いが漏れると、顔を真っ赤にした桃太郎が不思議そうな顔で私を見上げた。


「ど、どうしたんだ、セキ」


 いけない、桃太郎を一瞬たりとも不安にさせてはならない。私はにっこりと微笑んでみせる。


「桃太郎様とこうしていられることに喜びを感じて、思わず笑い声まで出してしまいました」

「セキってば……」


 上目遣いで私を照れた様に見つめる桃太郎を見て、私はもう一度柔らかい桃の様なその唇に己のものを重ねるのだった。

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