ドライブの終わり

きょんきょん

雨の中で

『道が混んでるから、少し遅れるね』


 メールが届いてから遅れること二十分、彼女が運転する車は待ち合わせ場所のロータリーに到着した。開けられたパワーウィンドウの隙間からは趣味ではない芳香剤の香りと煙草の匂いがわざとらしく漂う。

「乗って」の一言に従って横付けされたワゴンRの助手席に乗り込んだ瞬間、真っ赤に塗られたネイルが傘を忘れて雨に濡れた髪に伸びる。

「風邪引いちゃうよ」そう言って雨露を払う左手の、室内灯に照らされて光る指輪が煩わしいことこの上ない。

 こちらの気持ちなどお構いなしな彼女の手を、「大丈夫だよ」と掴んで振り払うと、何も言わずにギアをドライブに入れていつものように目的もないドライブが始まる。


 カーナビが東京から神奈川に移動したことを告げ、国道一六号線を横浜方面へと駆けてゆく――ラジオからはミスチルの『Over』が侘びしく流れていた。無意識に歌詞が耳に滑り込んでくる。

 僕と愛美の会う頻度はそう多くはない。

 週に二回会うこともあれば、存在を忘れたように一月会わないこともある。

 久しぶりに会ったところで、空白の期間を埋めようと互いが情熱的になるわけでもなし。

 大抵愛美から『今日空いてる?』と、こちらの都合を無視した内容のメールが届いて、そっけなく『空いてるよ』と返す。向こうは電車二駅分の道程を黒のワゴンRで迎えに来るのが暗黙のルール。


 どこへ行くわけでもない、遊びに行くわけでもない、ましてや――付き合ってるなんてとんでもない。とんでもなかった。

 彼女の渇いた気分が満たされるまでの埋め合わせの代役。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 そんな不思議な関係も、そろそろ一年くらい経つ頃だろうか。

「あれ、食べた? ウチの田舎から送ってきた漬物」

「あ〜食べたよ。なんか酸っぱかったな」

「それは恭介の舌がお子ちゃまだからそう感じるんだよ」

 会話のための会話を繰り返す。


 十九歳と二十八歳――彼女から見ればお子ちゃま扱いするのは当然のことだし、それに反発したくなる心情も、当然のものだった。若すぎて、今より少し敏感で、彼女からイロイロと教わっていたからだろうか、今日呼び出されたのが単なるドライブではないと思ってしまうのは、それも当然だったのかもしれない。


「今日はどうする? そこらへん流す? それとも、ホテルにでも行く?」

 男の台詞なら、まあまあ最悪な台詞を煙草の煙とともにさらっと吐く。運転席でマイルドセブンを咥えながら訊ねてくる横顔は、いつだって惚れ惚れするほどカッコよかった。

「いや、今日は止めておくよ」

「行く」と答えれば、肯定も否定もせずに行きたいところに連れてくれるだろう。

 わかっていたから、オレは正直に答えた。

 わかっていたから、正直に答えた。

「珍しい。いつもは断らないのに……どうして?」

「だって、とうとう彼氏と結婚するんでしょ? あれだけ嫌がってた指輪だってしてるし」


 たびたび聞かされる彼氏の愚痴を、車内という二人だけの密室で聴くのが僕の役目だった――喧嘩をすれば待ち合わせして、お互い都合がつけば都合のいいように互いを求める。

 これまではそれで良かった。だけど、これからはそうもいかない。

「なんだ。バレてた?」

「バレてるよ。だから終わりにしよう」

「あ、それ、ホテルでヤッたら言おうと思ってた」

「だと思って、オレから言ったんだよ」

 それからいつもと変わりなく、目的地もなく車を流して、最後に真っ暗でなにも見えない湘南の海だけ見に行って、人気のない海に向かって、なんとなく「バカヤロー!」って叫んでみたりして、そして彼女は現在幸せに暮らしている。

 ただそれだけのお話だ。

 


 

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ドライブの終わり きょんきょん @kyosuke11920212

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