3-4 マルグレーテの血脈

「大丈夫。すぐには殺されません」


 カイムがフォローしてくれた。


「全ては……、モーブ様の交渉力にかかっております」


 俺の手を、カイムはそっと握ってくれた。


「頼りにしておりますよ」

「あ、あたしもだ」


 反対側を、シルフィーに取られた。


「よろしく頼む」


 いやそんなギューッと握るな、シルフィーお前。痛いわ。雑巾絞ってるんじゃないんだからよ。


「モーブ……」


 レミリアが俺の注意を促した。


「アールヴがいる」


 マナ障壁のすぐ外側。まだ若い杉の枝に、ひとり立っている。


「あれが……アールヴ、祖エルフか……」


 初老の男だ。エルフにしては背が低い。ダークエルフほどではないものの、肌の色も髪もやや浅黒い。耳も長くない。全体に、どちらかというと人間やドワーフに近い印象だ。樹皮に似た焦げ茶の服を着ているので保護色となっており、まるで樹木の精にすら思える。


 武器は持っていない。少なくとも、こちらに見える範囲では。呪力に優れた部族だというし、直接攻撃より間接攻撃を好むのかもしれない。


「あたしも見たのは、生まれて初めて」

「あたしもだ」

「私もです。里の年寄りなら直接見ているはずですが……」

「ということは、向こうだってエルフの他部族を見たことはないだろ。初見のはずだ」

「いや……あの姿なら、千年近く生きているはず。エルフ全部族を知っている男だろう」

「だからこそこうして、偵察に来たのでしょう、モーブ様」

「なるほど……」


 俺は荷室を振り返った。全員、俺の言いつけどおり大人しくしている。とにかく初手ではエルフ三部族と三つの旗印を強調したいからな。仲間に獣人だの魔族だのいるのを見られたくない。それは後で充分だ。


「止まれ」


 樹上から声が降ってきた。まあ……こうなるよな。レミリアが、手綱を引き絞った。


「旗印を確認した。それにそこな三人もな……」


 腕を組むとその男は、御者席を凝視した。


「エルフ三部族の使節と見受ける。……にしても、真ん中のヒューマンはなんだ。お前らの奴隷か」


 奴隷が森エルフの胸に触れるかっての。


「モーブはね、あたしたち使節のおさだよ。……あたしはレミリア」

「あたしはシルフィー」

「私はカイム。……そちら様は」

「ンブクトゥ。……用向きを言え」

「里の長と話したい」

「モーブとやら、俺は人間には聞いておらん。三人のエルフに尋ねている」

「答えは同じだよ」


 レミリアが声を張り上げた。


「モーブがリーダーって言ったでしょ。あたしたちは従うのみ」

「ふん……」


 鼻を鳴らしている。


「あたしはモーブと結婚した。だからモーブは、エルフの代表だってできるよ。実際こうして、三部族の王から委託されて来たんだ」

「こちらに用はない。今すぐ道を引き返せ。……呪われたくなければな」

「三部族の正式な使節ですよ、ンブクトゥ様」


 落ち着かせるかのように、カイムが微笑んでみせた。


「だからなんだ。なにを泣きつきに来たのか知らんが、我等が王は、お前らを追い返せとの思し召しだ」

「あたしの目を見て。結婚したのにあたしの瞳、すみれ色になったんだ。エルフ全体の危機だって、各部族の神勅しんちょくが――」

「時間切れだ」


 男が指笛を吹くと、周囲の樹上にアールヴが現れた。何十体も。どうやって隠れてたんだ。気配も無かったし、姿も見えなかったってのに。


「やれ」


 短い指令と共に、俺達の馬車は茶色の煙に包まれた。臭い。腐った土のような臭いだ。途端に、気分が悪くなってきた。最悪の二日酔い。それを百倍したくらいの厳しさだ。


 思わず、俺は膝を着いた。エルフ三人は、健気にもすっくと立ち続けている。いなづま丸やスレイプニールなど、俺の馬は驚いて後ろ立ちになり、首を振っていなないている。


「モーブっ!」


 荷室の全員が飛び出した。御者席の俺達と囲むように布陣する。


「モーブを呪うなんて、許せないっ」


 マルグレーテの髪が、ざわざわと逆立ち始めた。従属のカラーが輝きを増す。全体魔法を連撃するつもりだろう。詠唱に入っている。


「その呪力、私の霊力でキャンセルしてみせましょう……」


 獣人巫女アヴァロンが、地面に片手を置いた。――と、地響きがし、俺達の周囲に有利な地形効果が付与された。


「ここのところ、雑魚戦ばかりで退屈しておったわい」


 ヴェーヌスが両手を握り締めると、ばきばきと関節が鳴った。


「魔王の娘のこの力、全て開放してみせようぞ。……婿殿のために」


 一触即発。双方の睨み合いが最高潮に達し、どちらからも全力の攻撃が飛び交おうとしていた。その瞬間――。


「止めいっ!」


 ンブクトゥの太い声が響いた。――と、たちまち、馬車を取り囲む呪力が消えた。それに応じ、こちらの攻撃もアイドリング状態に戻った。いつでも魔法を撃ち出せるよう、マルグレーテやラン、リーナ先生は、口中で詠唱を続けている。俺が命じれば、即座に魔法を宣言して発射するだろう。


「そこのヒューマン……」


 ンブクトゥは、顎でマルグレーテを示した。


「お前の名前は」

「マルグレーテ」

「ふん……」


 枝から飛び降りてくると、ずかずかマルグレーテに近づいてくる。俺達に攻撃されるのを、全く恐れていないかのようだ。御者席から飛び降りた俺は、マルグレーテの前に立った。かばうために。


「……どけ」


 ンブクトゥに睨まれた。不気味なことに、樹上のアールヴは誰ひとり口を開かない。ただ俺とンブクトゥを見つめているだけだ。


「話なら俺が聞く」

「用向きではない。……そいつはお前の女か」

「お前はどう思う」


 わざわざこちらから情報を明かすことはない。相手の出方がわからんからな。


「攻撃はしない。……少し、その女を見せろ」

「断る」

「わたくしは大丈夫よ、モーブ」


 後ろから、そっと手を握られた。


「手だけ繋いでおいて。わたくしが……いざというとき全力を出せるように」


 黙ったまま、俺は下がった。マルグレーテの手を、しっかり握ってやる。


「マルグレーテ……か」


 マルグレーテの体を上から下まで眺めわたす。ンブクトゥは、唸っていた。なにか……幽霊でも見たかのような表情で。


 長い間そうしていたが、口を開いた。その口からは、信じられない言葉が流れ出た。


「マルグレーテとやら。お前……神狐の血脈だな」

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