2-5 ハイエルフの旗印、里を出る
「おいしそうな匂い……」
豪華な椅子に体を深く沈めて、レミリアは今にもよだれを垂らしそうだ。
霊力勝負が終わってから二時間後、俺達はハイエルフ・ティアナ女王の宮殿、迎賓の間に招かれていた。大テーブルには歓待の茶と茶菓子、簡単なアフタヌーンフードが並び、いい香りを漂わせている。
「レミリア殿、どうぞ召し上がれ」
ティアナ女王は、鷹揚に微笑んだ。
「うーん……」
傍らの俺にちらっと視線を投げてきたので、頷いてやった。
「なら遠慮なく」
おずおずとクッキーに手を伸ばした。
「皆も遠慮なくのう。……今日はなかなか素晴らしいものを見せてもらったわい」
「ありがとうございます」
パーティーを代表して、俺が礼を言った。それを合図に皆、茶を飲み始める。
ハイエルフ流歓待の宴だそうだ。……といっても、テーブルに着いているのは俺のパーティー七人と、ダークエルフのシルフィーだけだ。一時間ほど寝台で体を休めて、アヴァロンももうすっかり回復している。
ティアナ女王は少し離れた玉座の上。肘掛けの脇に小さなサイドテーブルが置かれ、女王の茶と菓子はそこに置かれている。女王の両側には、巫女ベデリアと、俺達を泊めてくれあカイムが立っている。三人の背後には、ハイエルフの男女が十名ほど。おそらく部族の主要メンバーだろう。
「我がベデリアが巫女随一と思っていたが、世界は広いのう……。マナ掘削の仕方も、我らとは全く違うではないか」
女王は、ほっと息を吐いた。
「我らハイエルフが鼻っ柱をおられるとは思わなんだ」
「世界は広いということですな」
巫女ベデリアが付け加えた。
「いい勉強になりましたわい、アヴァロン殿。冥土の土産ができましたわ」
「いえ、あなたはハイエルフ。まだまだ寿命があるではないですか。今後も存分にご活躍なさいませ」
アヴァロンは、ちらと俺の顔を見た。経緯もあるので、俺の両隣はレミリアとアヴァロンだ。レミリアの隣に、客人であるダークエルフのシルフィー。残りのメンバーは、シルフィーやアヴァロンの外側に並んでいる。
俺達に向かい合う側のテーブルには、席がない。で、少し離れたところに玉座というわけさ。
「少なくとも……モーブ様よりは長生きかと」
「ひどいなあ……」
こんなん、思わず苦笑いだわ。
「すみませんモーブ様。冗談です」ちゅっ
身を乗り出すと、俺の首筋にキスしてくる。
「モーブ様は長寿草ですでに延寿しています。モーブ様もランさんもマルグレーテさんも、既に……私と同じくらい長寿になっておりますよ。ヴェーヌスさんやレミリアさんには、まだ少し及びませんが……」
にっこり微笑む。
「またあれを摂取すればよいのです。いずれ……モーブ様の子供が、たくさん生まれます」
「そうなのか」
「ええ、感じます故。もちろん……私が産む三人の娘も見えております。孕むのはまだ少し先のようですが」
ケットシーの巫女だもんな。三つ子の女子を産むわけか。母親カエデと同じで。
「仲が良くてなによりじゃ」
女王は瞳を細めている。
「それにしても見事な勝利。感服したわい」
「あれで我等が里もマナ枯渇から逃れられましたし」
カイムの言葉に、女王も満足げだ。
「ほんにのう……。あのマナは、森エルフやダークエルフにも分けねばな。両部族の使節が訪れてくれたからこその福音だけに」
「しかし女王……」
後方から、ハイエルフの誰かが口を挟んだ。
「たしかに見事な
居並ぶハイエルフの面々は、無表情だ。無感情を装っているんだろう。ということは、そう感じている奴が多いってことだな。
「なるほど。そう見えても仕方ないのう……。ベデリア」
ティアナ女王が、巫女ベデリアを見た。
「我が君」
「お前はどう思う」
「モーブ様やお仲間から、アヴァロン様にエネルギーが激しく行き交ったのは確か」
「ほれ見ろ」
思わず……といった様子で、誰かが叫ぶ。
「しかし行き交っていたのは、愛の力。決してマナを掘っていたのではありません。その愛がアヴァロン様に力を与えたのです。マナを掘ったのは正真正銘、アヴァロン様だけ。見事な霊力でした。完敗ですわい」
ハイエルフ最強の巫女、ベデリアが頭を下げたので、ハイエルフ席から小さなどよめきが起こった。
「……というわけじゃな。ちなみにカイムはどう感じた。お前もモーブ殿の嫁子に交じって『愛の輪』を形作っておっただろう」
くっくっと笑っている。からかってるんだろうな、カイムを。
「はいティアナ様、あのとき、なにか熱いものが私の体を貫きました。輪になった仲間……あえて仲間と言わせていただきますが……から。私の体を抜け、また私の体からも発せられて。あれは……なんというか……うらやましかった……。これが愛の力なのかと」
ほっと息を吐いた。
「私はまだ若輩で、色恋など知らぬ身の上。なれど森エルフのレミリア様がこれほど若くして短命の人間と恋に落ち、嫁となった理由がわかった気はします」
「ふむ……」
面白そうに微笑む。
「のうモーブよ」
「ティアナ様……」
「お主の無鉄砲なエネルギーには感服した。我等に挑み、そして勝った。見事なり」
シルフィーを顎で示した。
「ダークエルフのファントッセンめ……。お気に入りのシルフィーをモーブ殿に付けた気持ちがわかったわい」
「では女王……」
「うむ。約束通り、我等も共に歩もう」
「おお……」
ハイエルフが今度は大きくどよめいた。
「エルフの血に潜む危機が、お前の血を通し、お前の嫁のレミリア殿に顕れた――。それがダークエルフ巫女、フィーリーと祖霊の判断だったのだな」
「はい、そうです」
「そして森エルフのカザオアール国王は、エルフの危機を知るために、我等ハイエルフの知恵を借りよと申しておったと」
「ええ」
「ベデリア。アヴァロン殿に圧倒されたとは言うものの、エルフの危機ともなれば、お前のほうがはるかに感知力があるはず。あのときは外の問題として退けたが、こうして我等も当事者となった場合、祖霊はなんと言っておる」
「我が君……」
すうっと空に吸い込まれるかのように瞳を閉じ、頭を天に向ける。そのまま永遠とも思える時間が過ぎた。
「ティアナ様……」
目を開けるとベデリアは、静かに神託を下した。
「全ての秘跡はアールヴの土地に……と」
「そうか……」
ティアナ女王は、黙った。テーブルの上、茶のポットから立ち上る湯気を見つめたまま、何も言わない。深い思考が女王の頭を駆け巡っているのがわかった。
ややあって、女王の表情が戻った。ひとつ大きく息をする。
「では……」
落ち着いた声だ。
「では我が里の旗印も、モーブ殿に託そう」
「おお!」
ハイエルフの重鎮連中が、顔を見合わせている。
「旗印が里を出るぞ」
「我が旗が外の風にはためくのは、何百年ぶりであろうか……」
「しかし……アールヴの里とは……」
「危険だ。たとえ旗印が三本並んでおっても……殺されるやも」
「うむ……」
「静まれっ!」
懸念の声を一喝すると、ティアナ女王は玉座から立った。
「カイムよ」
「我が君」
「我等が旗印は、お前に託す。モーブ殿に同行せよ。お前はモーブ殿と運命が絡んだからな」
「はい。旗印を預かる大役、喜びに心が震えます。必ずや……」
カイムはひざまづいた。
「必ずやティアナ様のご期待にお応え致します」
「そこは私ではないだろう」
口を大きく開けて、ティアナ女王は大笑いした。
「モーブ殿の期待に応えてやれ。ハイエルフとも友情を通じようとするモーブ殿の」
●次話から新章「アールヴ」(仮称)開始! お楽しみにー!
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