12-4 魔王の嫁
「……」
ふと気がつくと、俺は椅子に座っていた。例の堅い椅子に。見回すと皆同じ。俺同様に、きょろきょろしている。退屈そうな表情で、魔王は玉座で足を組んでいる。闇の戦闘フィールドは、影も形もない。
――今のは、魔王が見せた幻影か? それとも俺が気絶して、夢でも見ていたのか。
そんな疑問は、ヴェーヌスのひとことで吹き飛んだ。
「今言ったように、あたしの腹にはモーブの子が宿っております」
「……」
魔王はなにも言わない。黙ったまま。
どうやら今の戦闘は幻でも夢でもなかったようだ。戦闘中断を決断した魔王の魔法により、この位置に瞬時に再配置されたに違いない。魔王が戦闘を中止したのはもちろん、愛娘ヴェーヌスによる爆弾発言のために決まってる。
「そしてそれは、父上も同じこと」
「……どこで知った」
「旅の途中で、実は一度死にました。冥府に落ちたあたしを、モーブが命懸けで救い出してくれて……」
手を伸ばすと、俺の手を握ってくる。温かくて柔らかい。俺は、そのままにさせてあげた。
「冥府の
ほっと息を吐くと、父親を見つめる。
「しかし父上、母上は人間でした。あたしが教えられていた、高位魔族などではなく」
――えっ……。
驚いた。ヴェーヌスはでは、魔王と人間の子……。ということは、巫女カエデが言っていた「心が割れたふたつの理由」の残りのひとつが、魔族と人間、双方の血が体内で争っていたためか。ひとつめの理由が、血。ふたつめの理由は、俺への初恋――。そういうことだったのか……。
「それを知ったか……」
魔王は唸った。
「あいつに会ったのか……」
「ええ。そうしてわかったのです。他の魔族とは異なり、なぜあたしが人間を憎く思わないのか。それはあたしに人間の血が流れていたから。……そして父上、あなたは母上を愛して子を成した。父上も本質的には人間など憎んでいないということです。母上は、そのことを私に教えて下さいました。そして励ましてくれました。『あなたは自分の心を偽っている。本当はある人間の男を愛していますね。その気持ちに素直になりなさい。父上も通った道ですよ』――と」
はあ、ヴェーヌスが言っていた「明日になれば母親が何を言っていたのかわかる」ってのは、これか。
「母の言葉に、あたしは自分の真の気持ちに気づいた。そして悩みました。秘名を知られたモーブを愛してどうなる。最終的には命を取り合わねばならないのに――と」
「それで私に会いに来たのか。血が流れずに済む、最後の手段として……」
「はい、父上」
実際はその前に、俺に殺されようとしたんだけどな。そうすれば、愛する俺の命を奪わずに済むから。でもそれをこの場で言うわけにもいかないものな。いくらなんでも父親には。
「父上、人間と敵対するという魔族の宿命、変えようではないですか。アドミニストレータに反旗を翻し」
「……」
魔王はそれに答えなかった。代わりに、俺に視線を移す。
「この生意気な異世界者が、私の義子になるのか……」
苦笑いだ。
――どうやら、とりあえず今すぐには殺されそうもない。
俺は安堵した。魔王との対峙について、ヴェーヌスは「切り札がある」と言っていた。あれは俺と情を通じることだったんだな。ヴェーヌスは自らの純潔を捨て、俺のために切り札を仕込んでくれていたんだ……。
受胎についてはよくわからん。はったりかもしれん。そもそも……あいつとしたの一回だけだし。……いや、正確には「昨日ひと晩だけ」か。何回かはしたしな。たしか……三……いや、五回ほど。六回だったかな……。
いやでも三回だろうが五回だろうが、たったひと晩で妊娠するだろうか。それに昨日仮に受精したとしても、それから半日でわかるものだろか。
――はったりかな。
まあいい。とりあえず今はそれどころじゃない。後でゆっくり話し合おう。
「若き日の父上は、身分を隠し、放浪したと聞きました。魔族の土地の隅々、そして人間の土地までも。そうして、とある森の泉のほとりで母上と出会い、恋に落ちた。本当の身分を明かしても、母上は揺らがなかった。魔族でも人間でも、愛に違いはないとして。城に戻った父上は、母上を
そのため、分娩の際に母親は死んだ。そうして冥府に落ちたが、我が子への未練のため成仏できず、長い間、黄泉平坂に留まっていた――と、ヴェーヌスは続けた。
「あたしに会い父上との愛を語った母上は、ひとり娘に言い残したことを伝えられ、心の平安を得ました。そうしてモーブに促され、黄泉平坂での苦しい放浪を終え、冥府に落ち着いたのです。つまりモーブは、死んだあたしの命を取り戻してくれ、母上にも会わせてくれた。それだけでなく、母上の魂を安らぎへと導いた……。そのような男を、父上は殺そうとなさるのか。それが……魔王の器でしょうか」
「ふん……」
長い間、魔王は黙っていた。頬杖を着いたまま、割れて強風吹きすさぶ窓を眺めている。
「父上」
焦れたのか、ヴェーヌスが声を出した。
「お願いします。あたしの決意を認め、モーブと共に立って下さい」
頭を下げている。
「勘違いするでない、ヴェーヌス」
苦笑いしている。
「お前に反対などしておらん。ただ感慨に浸っておったのだ。……魔族と人間の血に魂を引き裂かれ、荒れて格闘技に明け暮れておった我が娘。そのお前がこれほど心の
「では、力を貸して頂けますでしょうか」
「表立っては動けん。アドミニストレータは私を信じておらん。私の行動も監視されておる。あいつにとっては、私もただの駒だからな。……だが、それでも手はある。モーブ……」
「はい」
「私のことを父上と呼べ」
無表情のまま告げてくる。
いや父上もくそも、転生前の俺よりずっと若く見えるしイケメンなんだが、魔王……。
「えーと……」
「言わねば手助けはせん」
例のオーラ溢れる瞳で睨まれた。腰が抜けそうだ。
「お、お父様……。ち、父上」
いかん声が裏返った。ここ一番で、これは恥づい。
「ふん」
冷たい瞳で俺を見た。
「気味が悪い。止めよ」
「はあ?」
「冗談だ。お前にそのように呼ばれると、虫唾が走るわ」
……この野郎。涼しい顔で……。だいたい魔王が冗談とか口にするのかよ。
「そう睨むな。少しは私にも復讐させろ。たったひとりの娘を寝取られたのだからな、お前に」
苦虫をなんちゃらの表情。
「そもそもモーブ、お前はアドミニストレータの居場所を知っておるのか」
最大のポイントに、魔王が踏み込んできた。
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