4-3 リゾートの居眠りじいさん

「なんで先生が……」

「モーブよ……」


 ビーチ沿いのテーブルで俺達を迎えた大賢者ゼニスは、サングラスを外すと発泡酒グラスの脇に置いた。


「四か月ぶりに会ったというのに、その言い方はないじゃろ」


 ランとマルグレーテに視線を移す。


「ほう。ふたりとも肌がツヤツヤじゃ。……なにかいいことでもあったと見える」


 にやにやと、なにかを見通すようににやけている。なんかやらしいな、こいつ。


「どれ……」


 中腰になって――。


「――ほいっ」

「きゃっ!」


 マルグレーテが飛び上がった。


「せ、先生がまた、わたくしとランの脚に触った!」


 ぐっと腕を引く。


「この……エロじじいっ!」

「ぐふっ!」


 見事な右ストレートが顔面を捉え、椅子に崩折れた大賢者ゼニスの鼻から、つうっと血が垂れた。てかこれもう大賢者じゃなく、やっぱり居眠りじいさん扱いでいいよな。


「前も警告したでしょ。わたくしに触れていいのは、モーブだけですっ」


 前に尻触られたときは「すけべじじい」扱いだったし平手打ちだったけどな。マルグレーテ、成長したわ……(遠い目)


 ランはもちろん、特に反応はしていない。学園の先生が自分になにか害をなすとは、一ミリたりとも思わないからな、ランの性格だと。


「こ……今回は効いたわい……」


 なんとか声を出すと、ナプキンで鼻の下を拭った。


「もう効果が薄くなっておったからだというに……」


 なにか愚痴っている。


「効果?」

「まあそれはいい……。マルグレーテお主、魔道士から格闘士にジョブチェンジしてはどうじゃ」

「ふんっ」


 居眠りじいさんの軽口を聞き流したけどマルグレーテ、赤い髪が逆立ってるじゃん。こりゃ当分、機嫌が直らんぞ。


「このカフェにリーナさんが居ると聞いてきたんですけど」


 とりあえず口を挟んだ。埒が明かないからな、このままだと。


「リーナなどおらん。ここの常連はわしじゃ」


 殴られて傾いたままの首を、音を鳴らして元に戻した。


「でもここに、ヘクトール出身のかわいい教師が居るって……」


 ランも不思議顔だ。


「かわいいじゃろがい」


 ドリンクのトレイを持って、店の女の子が通りかかった。


「ほれっ」

「やだっ!」


 尻を触られて、女の子が飛び上がる。


「もうっ」


 かわいらしく、じいさんを睨んだ。


「ゼーさんったら、いきなり……」

「どうだ、脚の凝りが取れたじゃろうが」

「やだ本当……」


 触られた尻を、自分で撫でている。


「一日中立ちっぱなしだから、脚がむくんじゃってねー。ゼーさん、マッサージしてくれるなら、最初に言ってくれればいいのに」

「いきなり触るからいいんじゃ。わしはまだ、枯れてはおらんぞ」

「やあだっ、もうエッチ」


 女の子は、ハゲ頭をぺちぺちと叩いた。


「かわいいんだからっ。またねっ」


 トレイを持って、隣のテーブルへとサーブしに行った。


「ほれな」


 なにが「ほれな」だよ。勝ち誇った顔すんな、エロハゲ。


 ……そう言えば、カフェのバーテンは「ある意味かわいいと評判」とか口にしてた。こういうことか……。


「先生の名前は国家の機密でしょ。『ゼーさん』とか、ゼニスって教えたんですか、女の子に」

「わしがそんなに間抜けに見えるか、モーブよ。ただ隠居した教師『ゼナス』と教えただけじゃ」


 勝ち誇ってる。てかたった一字違いだし、結構ヤバいだろ、これ。


「それにしてもええのう……。学園でひよこの相手など、しておれんわい」


 隣のテーブルで屈んだ例の女の子の尻を、ずっと見つめている。やっぱりパンツ見えてるな。見せパンじゃない、ガチパンが。これ、エロいおっさんなら瞬殺で通い詰めるだろうとは思ったけどさ、まさか大賢者ともあろうじいさんまでそれに引っかかるとは、さすがに想像できなかったわ、俺。


 それにあんた、学園でも寝てただけじゃん。……まあ幽体離脱して魔王軍を偵察していたって話だけどさ。


「ならリーナさんはどこです。学園長の手紙だと、この街にリーナさんが……」

「長い話になる。まあ座れ。わしが茶でもてなしてやろう」


 手を上げて別の女の子を呼ぶと、冷たい茶を三つ注文。ついでにまた脚を触ってるわ。おっさん……。これもうセクハラ大魔王じゃん。社畜だったらコンプラ違反で人事に呼び出された挙げ句、譴責けんせき処分待ったなしだぞ。


「実はのう……」


 話はこうだった。俺達の卒業のすぐ後、リーナさんは国から特別な任務を託され、学園を離れたと。


「それは聞いたよねー、モーブ。学園のみんなから手紙が来たし」

「ああ」


 思い出した。エリク家に、ランやマルグレーテのファンクラブ員から、たくさん手紙が届いてたんだよな。俺宛は一通も無かったけどさ。


「海沿いの街を回ってるって話だったな」

「その任務を与えたのは、わしじゃ。……実は『羽持ち』について、調べさせておった」

「羽持ち……」


 ランに見つめられた。羽持ちの話題に敏感になっても不思議ではない。なんたって自分にも生えたからな。テーブルの下で、俺はランの手を握ってやった。


「ゼニ……ゼナス先生。羽持ち……って、なにかいけないことなんでしょうか」

「そんなことはないわい」


 不安そうなランに、じいさんは微笑んでみせた。


「なんでもお主らと旅するいかづち丸が『羽持ち』らしいのう。リーナから聞いたぞ」

「ええ……まあ」


 とりあえず話の流れが見えるまで、ランのことは話さないほうがいいだろう。


「リーナは有能じゃった。たった三か月で、わしやアイヴァンですら知らなんだ『羽持ち』の秘密を掴み、アイヴァンに長文の手紙を寄越した。その内容を見て、アイヴァンは旅先のわしに連絡してきおった。この街でリーナから詳細を聞き出せと」

「アイヴァンって、学園長ですよね」

「いかにも。名前くらい覚えてやれ」


 いやあんた、自分の名前すら忘れたフリしてたじゃん。大賢者ゼニスという存在を、学園では隠す必要があったんだろうけどさ。


「旅? ゼナス先生は、引退されたのではなくって? わたくし、そう聞いていましてよ」


 マルグレーテも、ようやく機嫌が直ったみたいだな。まあ用心深く、居眠りじいさんからはいちばん離れた席に着いてはいるけどさ。


「わしは学園を離れただけじゃ。いろいろ事情があってのう……」


 なぜか俺をじっと見つめる。


「だが、わしが着いた頃、リーナはもうおらんかった。投宿していた宿を、急いで引き払ったとの話での」

「なにか厄介事に巻き込まれたんじゃないですか、リーナさん」


 心配だ。なんたってリーナさんは、例の赤い光が生じた相手。俺のパーティー入りフラグが立ったのは確実だ。それに別れたときのキスを考えるなら、恋愛フラグだって育ちつつあるはずだからな。


「それはない。だから安心しろ、モーブ」


 じいさんは首を振った。


「リーナに身の危険が生じれば、わしやアイヴァンにはわかるからのう」

「どうして」

「それは昔の仲間の……」


 言いかけて、口をつぐんだ。


「まあええじゃろ。とにかくそういう話ではない。おそらく『羽持ち』について追加調査の必要が生じて、急ぎこの街を立ったのであろう。いずれこの街に戻ってくる。アイヴァンへの手紙には、これからも当面ここを拠点にするとあったから」

「なるほど」

「だからわしは、ここでリーナの帰りを待っておるのじゃ。……アイヴァンの指令に従いお主らが来ることも、わかっておったし。……それっ」

「きゃっ!」


 通りがかりの子の尻を、また触っている。


「もう、ゼーさんったら」


 ここ三十分でもう三人目か……。見たところ、今の娘が、いちばんかわいい。


「ぐえへへへっ。今夜こそ付き合わんか。うまい飯に酒……。わしが天国を見せてやろう」

「ぷっ」


 女の子は噴き出した。


「やあだもう。おじいさんなのに、いっつもエッチなんだから」


 ハゲ頭をぺちぺち叩く。みんな叩いてくなー。お賓頭盧びんずる様かよ。


「そのうちねっ」


 軽くスルーされてるわ。


「ううむ……。意外にみんな、身持ちが堅いのう」


 唸ってやがる。こいつ、リーナさん待ってるんじゃなくて絶対、女目当てで長居してるだけだろ。なんせスタッフ全員、パンツ丸出しになるミニスカートだし。


「それで、リーナさんの手紙にはなにが書いてあったんですか」

「そうそう、その話だったのう」


 ラン、グッジョブ。じいさんのペースに任せると、全貌を聞き出すまでに、十人は尻触るのを見せつけられそうだわ。


「リーナの発見、それにわしやアイヴァンの知見を合わせて、教えてやろう」




●次話「羽持ちとサクヌッセンム」

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