5-3-2 ノイマン家の異変
屋敷の中は、静まり返っていた。広い玄関ホールの空気は淀んでいて、
注意しろと身振りでランとマルグレーテに伝え、玄関ホールを観察した。ホールの右側壁際に、二階へと上る階段がある。左側の壁際には、地下に下りる階段。ホールの先はそのまま廊下になっている。
「地下から、異様な気配がするわ」
マルグレーテが俺の袖を引いた。攻撃型の魔道士だけに、そうした気配には敏感だ。
「おそらく地下で、なんらかの異変が起きている」
「行ってみる? モーブ」
「いや、ラン……」
一瞬だけ、俺は考えた。
「まずこのあたりから調べてみよう。ある程度ノイマン家の状況を調べてからじゃないと危険だ」
「そうね。わたくしもそう思う。……ここ、奇妙なくらい静かだし」
「だろ」
なんといっても、屋敷内が淀んでいるし、静かすぎる。ここ数十年ずっと勢力拡大を続ける貴族の屋敷なのに、活気が全く感じられない。
「この屋敷は、なにかがおかしい。嫌な気配だ」
「そうだねモーブ。私もそう思う」
ランは不安げだ。きょろきょろとせわしなく周囲を見回している。
「どこから調べる、モーブ」
「普通なら階上だが、ここはどうやら普通ではなさそうだ。それに階上は居室だからな。ゴーレムがいるかもしれん。……一階を調べよう」
「そうだね。それで、この屋敷でどんな異変が起きているのか、わかるかもしれないし」
最大限に警戒しつつ、一階を調べて回ることにした。
「最初はこの部屋からだ……」
踏み込んだのは、広い応接だ。誰もいない。
「続けよう。応接なのに使用人の気配すらないとか、おかしすぎる」
「そうだね」
応接の奥には、小部屋の扉が並んでいる。最初の扉は物置だった。掃除用具や作業着、草刈り道具などが収められている。メインの物置や食料品保管庫は地下だろうが、毎日使う分だけはここに収めているのだろう。
その先の四つの小部屋は、使用人の居室だった。簡素な寝台にキャビネットくらいしかない。そのうちのひとつでは、二段ベッドがふたつ並んでいた。どの部屋にも使用人はいない。部屋はきちんと片付けられてはおらず、雑然としている。作業中にふとトイレに立ったままといった印象だ。
「みんな上の部屋で働いてるんじゃないのかな。それとも屋敷裏手の手入れでもしてるとか」
「そうかもしれないわね」
「次行こう」
「うん」
「ええ」
いちばん奥の部屋まで来た。ここは扉も大きく、観音開きになっている。多分厨房だ。マルグレーテの家も、似たような造りだったし。大量の料理を手際よく搬出するための出入り口って感じだから。
扉に耳を着けて、中の音を探った。
「……どう。モーブ」
ランが小声で訊いてくる。
「いや、無音だ」
「やっぱりいないのかな」
「かもしれんが一応、気をつけろ。誰かいた場合、不審者としていきなり襲われる可能性がある」
「厨房ならナイフや包丁があるしね」
「そういうことだ、マルグレーテ」
「詠唱しておく?」
俺は考えた。
「いや、やめとこう。相手側にも魔道士がいると、気配で感づかれる」
「わかった。……なら用心だけしておくわね」
「頼む」
三、二……と指でふたりにカウントを見せてから、扉を開けた。
広い。ヘクトールの教室ふたつ分くらいは優にある。高そうな白い石張りの調理台が、ランプの光を反射している。さすが権勢上昇中の貴族の厨房だけある。
薪がくべられた窯口では、炎が揺れている。調理台に、野菜がたくさん並んでいる。どれも皮を剝いたりざっくり切ってある。下ごしらえ中といった印象だ。
「モーブ……」
「ああ」
ここには人がいた。料理人の制服らしきものをまとったおっさんが三人ほど。だが皆、凍りついたように動かない。小さなナイフで野菜の皮剥き途中の男、食材籠を抱え、調理台にまさに置こうとしている男。それに窯に向かい、手に持った薄い鍋に、油の瓶を傾けたままの男。瓶の油は全て鍋に注がれて溢れており、足元に油だまりができていた。
「さっきの侍従と同じだ。作業中の姿のまま、凝固してやがる」
「ならこの人達もゴーレムなのかな」
「だろうな」
ランやマルグレーテを離れさせると、長剣で籠のおっさんをつついてみた。
どさっと音がして、籠が落ちた。おっさんは砂に戻り、籠の上に山となる。砂が舞って、ランプの光に白く輝いた。
「やっぱり……」
残りのふたりも砂に還った。大きな音は立てたくないので、窯前のおっさんだけは、つつく前に鍋を取っておいたが。
「使用人が全部ゴーレム? ……ならノイマンさんや家族もゴーレムなのかな」
「それはどうかな……」
俺は考えた。仮にノイマン家全体がゴーレムの巣だとして、なぜ嫁を欲しがる。ゴーレムは術者に操られるでくのぼうであって、もちろん恋愛感情などとは無縁だ。少なくともマルグレーテを望んだ野郎だけは、ゴーレムとは思えない。
「理由はわからんが、ゴーレムは機能を停止している。なにかがおかしい」
「次はどうするの、モーブ。階上を調べてみようか」
「いやマルグレーテ、階段の上からはなんの気配も無かった。おそらくここと同じだろう。ゴーレムが凍りついているくらいで」
「じゃあ、階下だね」
「そうだラン。下からは明らかに邪悪な気配があったんだろ。そこにノイマン家異変の理由が隠れているはずだ」
「そうね。用心深く進まないと」
「玄関ホールの階段まで戻ろう」
ランとマルグレーテは頷いた。
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