サラダと牛乳と肉塊
狐
第1話
元々は常夜灯が設置されているだけだった埋立地。戦後の高度成長にともなって発達した沿岸部の工業地帯の一角。
何本も立ち並ぶ煙突やら監視塔やらのうちの一つの、先端に近い部分が突然破裂する。爆音と火柱。吹き飛ばされた建材の破片とともに、華奢な女の子の影が落下していき、そのまま地面に叩きつけられた。
✳︎✳︎✳︎
気がついたら一人暮らしの部屋にいた。カーテンの隙間からこぼれた光の粒が床にこぼれる。夏の終わりの朝。
立ち上がってヨーグルトとオレンジジュースを出そうと冷蔵庫に手をかけて、あれ、と思った。
開けられなかった。
「なんで????」
まあいっか。癖で冷蔵庫に向かっただけで、お腹がすいているわけでも喉が渇いたわけでもなかったので、一旦ソファに戻る。
テレビがついていた。
工場が火の海になっている映像が流れている。
「まだ薄暗い中、何度も爆発音が響き、大きな火柱が上がっています。事故は5日午前4時30分ごろ、神奈川県川崎市のアルミニウム合金を生産する工場で起きました」
テロップが切り替わって、ひとりの名前が表示される。
「この事故で、従業員の
「……いや私じゃんね」
✳︎✳︎✳︎
というわけで、どうやら私は死んだっぽくて、死んだのに自由に動き回ることができるっぽかった。
生前と違うことは3つあった。
まずは、物体に干渉できないこと。冷蔵庫は開けられないし、ドアも壁もすり抜けることができる。最初は「おお〜!」と思ったけれどすぐに慣れてしまった。
そして、眠くならないこと。最後に、お腹が空かないこと。睡眠も食事もない生活は想像以上に間延びしていて、なかなか時間が進まなかった。
することもないので実家に帰ってみたけれど、見ていられなくてすぐに出てきた。ママもパパも弟も、お通夜みたいに沈んでた。いや確かにお通夜なんだけれども。ごめんね、とは思うけど、でも私にはもうどうしようもなかった。
葬式にも行った。自分の葬式に行くなんて滅多なことがなければ体験できないので、正直ワクワクした。会場ではフジファブリックの「若者のすべて」が流れていて思わず「なんでや!」と叫んだ。確かに「私の葬式、若者のすべて流してほしいな〜〜」と言いふらしていた記憶はあるが、このタイプのリクエストが本当に叶えられるとは思っていなかったので面食らった。
黒い額縁の中で楽しそうに笑っている私の写真、空っぽの棺、そのまわりの百合、百合、百合、そしてフジファブリック。斬新な空間だった。
そう、棺桶は空っぽだった。遺体はなくて、よく着ていた服が上下セットで入っているだけだった。爆発は何回もあって、繰り返すうちに近辺は火の海になったみたいだから、そのへんの建物と一緒に溶けてしまったのかもしれない。
葬式後の食事もお通夜ムードは継続されていた。おじいちゃんのお葬式に出た時はみんなもうちょっと喋ってたのにな。談笑って感じでさ。やっぱり若い人間が突然死ぬと、みんなびっくりして食事も喉を通らないのかもしれない。
友達もけっこう来ていた。みんなべしょべしょに泣いていて、食事にはあまり手をつけられていないようだった。女の子は涙腺が弱い。悲しそうにしてる人たちをみて、これは可視化された人望だなと呑気に思った。泣いてくれて悪い気はしない。みんなありがとう〜と思いながらするする移動して、ひとりずつ顔を眺める。えっこの人も来てくれるんだ……という意外な人の顔もあり、そこそこ楽しい。
「あ、」
端っこの席に、
秋穂の顔をみて初めて、ああ死んじゃったのもったいなかったなと思った。秋穂のいつもと変わらないピンと伸びた背筋をみて、ちょっとうるっときてしまった。秋穂〜〜って泣きつきたくなったけれど、当の秋穂は静かな表情をして、淡々と寿司を口に運んでいた。
「……泣いてくれてもよくない? なんなの?」
確かに、秋穂は泣かない子だった。
秋穂とは小学校から職場までずっと一緒で、かれこれ15年の付き合いだ。気づいたらずっと一緒にいて、気が合って、気が合うからか進路も同じだった。ただこれがもう、とにかく感情の起伏がわかりにくい人なのだ。
小学校も中学校も専門も卒業式で泣いていなかった。映画を見に行っても、就職した工場で一緒に先輩にバチボコに怒られた時も、ぐちゃぐちゃに泣いているのは私だけで、秋穂はいつもの表情のまま私の顔をみて「面白かったね」とか「悔しいね」とか言ってた。そういう時の秋穂は確かに、よく見れば楽しそうだったり悲しそうだったりしたが、それも気づけるのは私くらいのものだろう。傍目には感情の起伏がかなりわかりにくい。
たしかに、秋穂はそういう人だけれども。でもさあ……。
「親友が死んだんだよ?」
お寿司をどんどん口に運んで食事を終えつつある秋穂を眺めて、ちょっとうなだれる。別に私だって秋穂がつらそうにしてるところを見たいわけじゃないけれど。これだけみんなが悲しんでくれている中、他でもない秋穂が涼しい顔で平気そうにしているのは面白くなかった。泣かなくてもいいけどさ、ちょっとくらい鬱々としてくれたっていいのに。
✳︎✳︎✳︎
いつまでこんな生活なんだろうと思わないでもなかったが、自分ではどうにもできないことなので、流れに身を任せてみることにした。
人間の大体の心配事は、人生がうまくいくか、病気にならないか、事故に遭わないか、みたいなことに帰結する。つまりみんな「生きながらにして死ぬこと」と「死ぬこと」を回避しようとしているのだけれど、私はもう死んでしまったのでそういった心配ごとは何もなかった。死んだからこその心配ごとというのがもしかしたらあるのかもしれないけれど、死人初心者の私には想像がつかなかったし、まあなんかたぶん、なるようになる。
そこから数日、私は秋穂と生活を共にした。もちろん勝手に、一方的にである。
家族は相変わらず悲しんでいて一緒にいるとつらかったし、だけど一人でいるのは暇だった。その点、秋穂はいろいろとちょうどよかったのだ。
秋穂の部屋には何度か遊びに行ったことがあったから目新しいことは特になかった。強いていえば、私と撮った写真が棚の上に何枚か飾られていたことと、本棚の一角に昔ずっとやってた交換ノートが何冊も置いてあったことは新しい発見だった。秋穂のやつ、私がくる時は隠してたんだな、可愛いとこあるじゃん。
でも、それ以外は本当に相変わらずだった。
秋穂の生活は淡々としていた。早起きして、工場行って働いて、帰ってきて映画みて、ご飯食べて、お風呂はいって、寝る。その繰り返し。自炊はしなくて、だいたいお惣菜やお弁当を買って帰ってきた。家での時間は映画を見て過ごしていることが多かった。部屋を暗くして、壁にプロジェクターで映して見るのが秋穂のスタイルだった。
案外平気なんだな秋穂、と思った。
秋穂が働いている間と寝ている間は暇なので、映画館まで行って映画を見たり、海を見に行ったり、好き勝手動いた。本当は家でネトフリとか見ながらだらだらしたかったけど、パソコンもスマホも私が触っても反応しないから仕方がない。それに、暑さ寒さも感じなければ疲労も感じない身体はかなり便利で、外に出るのもまあ悪くはなかった。
そんな感じで一週間くらい経った夜。私はいつものように秋穂の隣に座って、半分映画を見て、半分秋穂を見ていた。秋穂とは映画の趣味が合わないから、スクリーンばっかりみていても退屈なのだ。普段あんな感じなくせに、彼女はコメディを中心とした洋画が好きだった。あんまり笑わないから分かりにくいけれど、昔から好き好んで見ていたから楽しんではいるのだと思う。
暗くした部屋で、プロジェクターの明滅が秋穂の横顔を照らす。髪が短くなった秋穂はすこし幼く見えた。映像の中で、俳優の罵声と笑い声がする。愉快な音楽が流れてくる。
スクリーンから秋穂に視線を戻して息を飲んだ。
秋穂が、泣いていた。
スクリーンを見たまま、ぼたぼた大粒の涙が次から次へと流れて止まらないみたいだった。当然、泣くようなシーンではない。スクリーンでは軽快な音楽のままカーチェイスが始まっていた。
秋穂はそれをみつめたままずっと泣いていた。胸がぎゅ、と締め付けられる感覚になる。
泣いているところは、初めて見た。葬式で見た誰の泣いている姿よりもきつかった。
秋穂が自分の口元を押さえる。押し殺すような嗚咽が聞こえて、もうだめだった。
思わず手を伸ばして抱きしめようとしたけれど、何度手を伸ばしても、何度触れようとしても、できなかった。
これが漫画や映画だったなら。秋穂は私の気配を感じ取って、「真帆、いるの?」とか言って。そんで私は秋穂に泣かないでって言って、抱き締めたりできるのに。そうだったらどれほど救われたか。だけど、いくら願っても、全く干渉できないのは相変わらずだった。
秋穂、平気そうだとか思ってごめん。全然平気じゃなかったね。だってあの秋穂が泣いている。見た目でわかりにくくても何も思っていないわけじゃないこと、私が一番知ってたはずなのに。ごめん。秋穂、秋穂、泣かないで。
しばらく経っても秋穂の涙は止まらなかった。止まらないままおもむろに立ち上がって、キッチンの方へむかった。顔を洗うのか、水を飲むのか。早く落ち着いて、楽になってほしいと思った。心配で彼女にぴったりついて私もキッチンに入る。予想に反して、秋穂はまっすぐ冷蔵庫へ向かった。
ほとんど中身の入っていない冷蔵庫を開けて、秋穂はその中をじっと見つめていた。
そこにあったのは
サラダと牛乳と肉塊 狐 @wreck1214
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