249. 木津川口の戦い(中)
色々前倒しで行きます
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雑賀衆による本陣急襲を受けた俺たちは天王寺砦に入らず、安土まで退いた。
このままでは終わらせない。仕切り直しだ。
もちろん負傷者を連れていくことはできないので、光秀には彼らの手当てを任せてある。馬鹿息子と愚弟も負傷者枠に入れるべきとの声もあったが、問答無用で連れ帰った。
言いたいことが山ほどあるんだ。
「なぜ俺を庇った。お前らの持ち場は本陣防衛じゃなかっただろ」
畳の上には簀巻きが二本。
長利はその気になればアッサリ抜け出しそうだが、空気を読んで大人しくしているようだ。信忠は当主らしからぬ情けない顔を晒している。傷が痛むというよりも、弟たちの呆れ顔が効いているか。ちなみに信雄と信孝を呼んだのは誰あろう、俺である。
珍しく逃げも隠れもしない伴太郎を傍仕えに、小姓や側近を排しての反省会。
「勘九郎」
「……本陣が襲われると聞いて、いてもたってもいられず」
「ネタ元は又十郎か?」
「そ~だけど、違うよ~。そこの黒んぼも知ってたし~」
「フフフフ」
くねる体を意識的にシャットアウトする。
微妙に視界の端へ入り込んでくるんだよなあ、こいつ。目の前に出てきたら迷わずハリセンで叩き潰すのに。俺の間合いを知っているかのごとく絶妙な距離感を保つ。
「勘九郎信忠、俺の質問にきちんと答えろ。何故、俺を庇った」
「それは」
「『父上がいなくなれば、織田家が終わる』」
「叔父上っ」
「って言ってたぁ~」
ごろんと転がる簀巻きと、尺取虫のように跳ねる簀巻き。
うん、重石もつけておくべきだったな。
そんなことよりも、呆れ顔だった息子二人が「あー」っていう顔をしているんだが。こいつらはまだ分からないのか。それとも俺が甘やかしすぎたせいか。
大事な家族に平穏な日々を、と常々言い続けてきた。
俺にとって最大の目標であり、どうしても叶えたい願いだ。俺一人で実現できるものじゃないと分かっていても、俺がやらねばと思い込んでいた時期もあった。存在がチートでも、中身は凡人な俺だ。家臣たちに何度怒られてきたか分からない。
その俺が、息子たちを叱る権利があるのか? ある。俺は、父親だから。
さすがに亡き親父殿の
「信忠」
「父上の代わりはいないのです! どうぞご自覚くださいっ」
「そうだな。そして、お前の代わりもいない。お前が死んでも弟たちがいるからとでも考えていたか? ド阿呆、そんなにいらないなら猿にくれてやる」
「そんな! 忠三は猿以下だと仰るのですか……?!」
そんなに秀吉が嫌いか、信忠。
お冬の夫だから、俺にとっては義理の息子にあたる。だが、奴は蒲生家当主だぞ。織田家が蒲生家に乗っ取られたら六角氏の二の舞じゃねえか。ないわー。絶対にない。
といった感じに伝えれば、信忠は変顔をした。
「農民に乗っ取られるのはいいんですか」
「そもそも織田本家からして尾張国の神職の一人にすぎず、分家が他を押しのけて台頭してきただけの話だ。敵となれば坊主だろうが公家だろうが将軍だろうが、たとえ身内であっても容赦はしない」
それが乱世だ。
そうやって織田家はでかくなった。デカくなりすぎた、ともいうが。そう思っているのは俺くらいだろうな。いい加減、天下人を名乗れと周囲からの圧がすごい。俺は違うと言っても誰も信じてくれない。今となっては帰蝶が唯一の理解者だ。
「でも私は……父上のようにはなれない。父上のように、有能な人材もいない」
悔しさのにじむ声で、信忠は呟く。
こういうのもファザコンというんだろうか。幼少期から出来る子だと褒め続けてきたつもりなんだが、己に自信が持てないらしい。子育てって難しいな。
言葉に悩む俺を簀巻き布団がもふっと揺らす。
「ねー兄上、もういいでしょ」
「駄目だ」
「なんで」
長利に信雄の声も重なった。
雑賀衆による直接攻撃はこれで三度目。織田は敵認定した相手を徹底的に潰してきた。紀州征伐の名目は立ったと言いたいのだろう。
だが俺の考えは変わらない。雑賀孫市に対する個人的リスペクトもあるが。
「奴らのゲリラ戦法、そして迷わず大将首を狙ってくるやり方は評価できるからだ。それに雑賀衆は紀州惣国。根来衆や伊賀甲賀に不信の種を植え付けることになりかねない。紀伊国を織田領とする決断は容易いが、こちらも桶狭間と同等の覚悟が必要になるだろうな」
俺の言葉に全員が息を呑む。
桶狭間、または田楽狭間の戦い。今では当たり前となった参戦者全員記帳のルールや「命大事に」を使い始めた戦だ。後世では織田家躍進のきっかけとなった戦い、とでも伝わるのだろう。マジで、あれに敗北したら織田家終わってた。
雨で濡れ鼠になりながら崖からの急襲なんざ、二度とやりたくない。
荒れた海を強引に渡って、包囲中の城に救援したこともあったな。
どれもこれも俺の発案じゃない。だが、俺がやらかしたことになっている。どこぞの祐筆のせいで。いや、そんなことはどうでもいい。
「又十郎」
「なーに?」
「孫市をスカウトしたい。できるか?」
三年寝太郎と呼ばれた末っ子は眠たげな眼を見開き、それから笑った。
「そう聞かれたら、できるって答えるしかない」
「な、何を考えているんですか父上! 命を狙った相手を味方に引き入れるんて」
「あ、分かったぞ。断ったら、それを理由に潰せばいいんだな!」
「父上の誘いを断るなんて、よほどの愚か者でなければやりませんよ」
息子たちが何やら騒いでいるが放っておこう。
雑賀衆は所詮、傭兵集団。紀伊国を治めているわけじゃない。あの辺りは土橋氏が領主となっているはずなので、おそらく利害関係の一致でスポンサー契約を結んでいる。その関係に罅を入れてやれば、本願寺どころじゃなくなる。
ゲリラ戦は土地勘あってこそだ。
余程のことがなければ、ホームを離れて新天地を目指す決断なんかしない。雑賀衆と土橋氏がどれだけ強く結びついていたとしても、組織は人の集まりにすぎない。絶対に裏切らない関係などない。
血を分けた家族同士で殺し合う時代だ。
どれほど死ぬなと言い聞かせても、勝手に死ぬのがこの時代の人間だ。
「信孝、秋までに黒い大安宅船を7隻用意しろ」
「はい」
「信忠、次はないぞ」
「っはい」
「ああ、そうだ。信雄は村上さんちにサッカー大会の誘いを入れておけ」
「毛利じゃなく?」
「そっちに話を入れたら、某兄弟が首を突っ込んでくるだろうが」
「あー確かに。んじゃま、りょ~」
軽い調子で請け負った信雄は「船上蹴鞠」がどうのと、信孝と楽しげに話し始めた。おい聞いてないぞ、その話詳しく。
**********
慌ただしかった春がすぎ、海が恋しい夏到来。
水着はなくとも水遊びは存在する。遊びながら色々学んでいくわけだな。おかげで今日も美味しい海産物が食べられる。ありがたや、ありがたや。
というわけで庭に七輪を出して、スルメを炙る。
くぅ~、この香ばしい匂いがたまらん。ビールがほしいぞ。キンキンに冷えたビール! 氷室の改造で、夏に冷酒を楽しめるようになったのはいいんだがビール(ラガー)はまだない。
「あーイカ焼き食べたい。屋台のイカ焼き。夏祭りはもうちょっと先だからなあ」
醸造技術の発展で、旨い味醂ができた。これで作ったタレが最高で。
「上様、一大事にございます!!」
「スルメが焦げるから後でいいか」
「お気に入りの軍師が土牢に監禁されたというのに、何を呑気な!」
騒がしい登場だと思ったら、この喧しさは金柑頭か。
あつあつのスルメを裂いて、小皿の醤油マヨソースをまとわせる。柚子胡椒もいいが、やっぱりマヨネーズだろ。保存できない点を除けば、最強調味料の一角だと思う。
熱さに耐えつつ嚙み締めれば、口の中に広がる酸味と旨味。
これだよこれ。
「んまっ」
「上様!」
「うるせえなあ、ゲソ食うか? ポン酢もあるぞ」
光秀はそこで初めて気が付いたように半歩引いた。いや、なんで引くんだよ。
「ま、まさか……この、十を超える小皿がすべて調味料」
「おう。色々試したくて作ってみた。やっぱスルメには醤油マヨだよな~」
「なんという能力の無駄遣いか」
額に手を抑えて呻く男を横目で睨む。
美味い物への探求心を無駄遣いなんて言ったら、伊達の若造に怒られるぞ? あと、うちの弟たちもか。織田兄弟は俺の
そういえば柑橘水もロングセラー商品と言っていいかもしれない。
奥様戦隊の握り飯と同じくその日限りの支給品だが、人気過ぎて限定販売も始めた。弁当屋の歴史が前倒しになってしまったらしいが俺は知らん。
さて。スルメも食ったし、話に付き合ってやるか。
「金柑、持ち場を離れて何してる。帰れ」
「それどころではないと申しております! 小寺殿が荒木村重によって監禁されたのですよ。奴は今、本願寺防衛の任を放棄して有岡城に立てこもっている模様。これは明らかな裏切り行為です」
「なるほど、可哀相にな」
「哀れと思うのであれば、今すぐ討伐のご下知を」
火の始末をしつつ、ふんすと息巻く光秀を見やる。
本能寺防衛云々でツッコミたいのは、どうしてコイツが雑賀衆に狙われなかったのか。答えは明白、大将首じゃなかったからだ。直政が戦死した後、現場の総指揮権は信盛に移った。本来ならば信忠がやるべきなのだが、今度こそ首を狙われたら困る。
信盛は既に、息子に家督を譲って隠居の身。
長らく俺の側近を務めてきた功績と、技術開発面での実績がある。滝川衆には土地の調査を急がせて、ゲリラ戦対策を進めているところだ。雑賀衆が銃の名手揃いだからといって、それだけで傭兵集団を名乗っているとは思えない。
その雑賀衆は今頃、本願寺攻めどころじゃなくなっているだろうがな。
(手が空いて暇になったから、伝令役として放り出されたか?)
不満たらたらの顔をしつつ、俺の言葉を大人しく待つ忠犬光秀。
政治に軍事に、能力は高い方なのに大事なところで失点が続いて側近たちからの評価はだだ下がり。信盛が防衛戦総指揮を請け負ったことに異を唱えたのは、当の光秀だけだ。山陰にかかりきりの秀吉は本陣急襲の報を受けて、すぐさま帰ろうとしたくらいで。
「そういえば、村重とクロカンは昔馴染みだったな。説得要員として有岡城に入って、そのまま捕まったオチか」
「奴は織田本陣の襲撃を知り、毛利側に寝返ろうとしたのです。しかし摂津衆の半数が荒木に従わなかったため、反旗を翻すまでに至りませんでした」
「懲りんなあ、あいつも。池田家家臣だった時も似たようなことやって、勝家や森じいにボコられたことを忘れたらしい」
機を見るに敏、といえばそうなのだが。
結果だけを見ると、残念な道化だ。官兵衛はダチが見捨てられなかったのか、貧乏くじを引くと分かったうえで説得役を請け負ったのか。土牢に監禁なんて大罪人扱いじゃないか。今頃は猿が猛省してそうだ。
「雑賀衆は内輪もめが始まり、本願寺周辺は佐久間殿、滝川殿が来たことで落ち着きを取り戻しました。木津川口は九鬼水軍が見張っております。そこで安土まで釈明しに行こうとしたようですが、上様は裏切り者を許さないお方」
「いや爆弾正がいるだろ。現在進行形で反旗翻し中だ」
「私が調べたところによると、松永弾正が荒木村重の反旗を唆したということです」
「ふん」
久秀め、荒木村重は不要と断じたか。
せっかく用意した摂津三守護も短命で終わったし、畿内の動乱に無関係だとは言いがたい。ちょっと落ち着きがないだけで、領民想いの風見鶏ではあるが……多方面への軍事展開している状況で足を引っ張られるのは、確かに面倒だな。
そもそも荒木村重は本願寺防衛戦に関わっていない。
西国平定は時間がかかるし、手勢も必要だろうと考えて秀吉の軍勢に組み込んだのがまずかったのかもしれない。光秀や信忠のように、元農民風情がと考える輩はいなくならない。いずれは太閤様になるんだがなあ。さすがに今は誰も信じないか。
人たらしの才能も万能ではないらしい。
「いかがいたしましょう」
「放っておけ」
「は?」
「クロカンも承知の上だ。そもそも今の村重は、秀吉の配下である。手勢をきちんと管理できないで西国平定なんぞできるか。俺は知らん」
「し、しかし小寺殿は上様気に入りの軍師ではありませんか。わざわざ姫路から呼び寄せたと聞いております。信純殿がいない今、これを機に手元へ戻すべきで」
「黙れ」
本当にこいつは、どうしようもない。
俺の纏う空気が変わったことを察し、光秀は開きかけた口を閉じた。秀吉のことは付き合いの長い俺の方が余程知っているとか、クロカンは別に「お気に入り」でも何でもないとか、そういう問題じゃない。
訳知り顔で信純の名を出してきたことが気に入らなかった。
(思ったよりも根が深いな、これは)
光秀が、ではない。
俺にとって、織田又六郎信純という男は想像以上に大きな存在だった。どんなことでも相談できるし、難解な状況でもなんとかしてくれると信じられる。他の家臣、家族にはない信頼関係があった。そう感じていたはずだ、お互いに。
だから許せなかったのだろう。
謝って済む話じゃない。それこそ信純が反旗を翻せば、あっという間に織田家は歴史から消えるだろう。それだけの才能を持ち、こちらの事情を知り尽くしている。お艶を守りきれなかった男が、永姫を見捨てることはない。
だが同時に、俺のところへ戻ってくることもない。
「……金柑。お前、暇だな?」
「暇、というわけでは」
「30秒で支度せよ。出陣じゃあ!!!」
「さ、さんじゅう? いえっ、すぐに支度してまいります」
ばたばたと駆けていく背を睨みつけて、足音が聞こえなくなってから俺は息を吐く。
またやらかした。勢い任せで言ってしまった。
鉄甲船はまだ二隻しかなく、三隻目は建造途中。大安宅船を境の港に並べるイベントは、三好三人衆相手の戦でもやっていない。ハリボテでもいいから、何とか誤魔化そう。黒塗りの金属盾を外壁代わりに隙間なく張れば、それらしく見えるかもしれない。
本願寺防衛戦といっているが、実は本願寺も分裂状態のままだ。
親織田派と反織田派で分かれていて、反織田派が毛利・村上水軍と繋がっている。雑賀衆はどちらかといえば熊野水軍の方が近い。そして高野山の坊主ども。比叡山の噂が伝わっているらしく、全国の高野聖に情報収集をさせているらしい。というのは、別件で捕まえた高野聖から聞き出した話である。
周辺がまるっと敵まみれなのは昔からだが、規模がデカすぎんだよ。
そんなに織田信長が嫌いか!? 史実より優しいだろ俺は。しまいにゃ泣くぞ。
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アラーキー好きな武将なんだけど、外側から見ると日和見武将のやられ役になってしまう。かわいそう
ノブナガ奇伝(改訂版) 天野眞亜 @hitom9013
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