248. 木津川口の戦い(前)
明けましておめでとうございます。
年始早々ではありますが、後半に残酷な表現があります。ご注意ください
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とりあえず人を集めなければ戦はできない。
子供たちが飛び出していった後、俺は軍議を開く旨を伝えた。顕如をダチだと言える俺は、本来の織田信長とは大きく異なる。今更、それをどうこう言う気はない。
(いくら
脳裏にちらつくのはお手紙公方・義昭のドヤ顔。
追放先に毛利家を選んだのは失敗だったかもしれない。なんかいいように言いくるめられて、都合よく利用されているんではなかろうか。秀吉の西国平定は史実なので当然やるべきだと決定したが、西国諸将の反発まで考慮していなかった。
いや、全く頭になかったとは言わないが。
そういうのは
「ほら、俺って丸投げ上等主義でやってきたわけだし」
「戦は遊びではありません」
「うっ」
待つ間は暇なので帰蝶を呼んだら、冷ややかな視線をもらった。
少なくとも俺は、遊び感覚で戦に関わってきたことはない。ないんだが、織田家(とその周辺)には戦バカが多すぎる。時代の風潮として、戦上手こそ武士の誉れと称えられる。領土問題は交渉の前に一度殴り合ってみて、どっちが強いかをハッキリさせるみたいなところがある、ような気がする。
言葉にすると原始的だが「強い方が偉い」は分かりやすいのだ。
それに民を巻き込むなという話で。一騎打ちでいろいろ決着するなら楽でいいのに、今ではフルコースの前菜扱いだ。上杉謙信と武田信玄が争っていた頃までは、勝敗が見えてきた頃合いで軍勢を引かせるのが通例だったらしい。
その常識を覆したのが俺、ノブナガ。
敵は徹底的に潰す。裏切りは許すこともあるが、許さない時は死あるのみ。一度開戦したなら相手が立ち上がれなくなるまで叩く。なんか、そう思われているらしい。
何度も同じ相手と繰り返し戦いたくないだけだ。
戦なんて、やればやるほど損をする。儲かるなんて幻想だ。いや、商人たちはボロ儲けしているか。それと臣下には褒賞を与えるのが通例なので、身分が低い者たちにとっては貴重な収入源でもある。農民は納税義務しかないので、臨時収入目当てで戦に出る。そして男手がいなくなった農地は痩せ、荒れる。
どう考えても損しかない。
「俺が戦嫌いなの知ってるだろ」
「ええ、知っているわ。でも売られた喧嘩は買う主義でしょう?」
「うぐ」
武士のプライドや面子が……と反論しても仕方ない。
俺がそういうのを重要視していないことは、誰よりも知っている女だ。戦なんかやりたくないと言いながら、新たな火種を呼び込んでいることをご立腹なのだろう。わざとじゃない、と言ったら余計怒られそうだ。
平穏でのんびりした隠居生活はまだまだ遠い。
「あなた、
「のしま?」
「村上源氏の子孫を名乗る一族が伊予国にいるの。今では瀬戸内の支配者は村上水軍だといわれているわ」
俺はハッとした。
瀬戸内の村上水軍といえば、有名なやつは一人しかいない。
毛利元就や長宗我部元親とも関わりの深い(と俺が思っている)海賊・村上武吉。幼い頃に祖父と父を亡くしたが、叔父と共に戦って家を取り戻した。厳島の戦いでは「一日限りの味方」なんてカッコイイ登場をしている。それ以降は毛利家の味方として、瀬戸内海を庭としている。四国統一を目指す元親にとっては、到底無視できない相手だ。
奴をどうにかしてくれたら同盟を考える、なんていう書状もあったな。
「そうか、ぶきっちゃんか!」
「親しいの?」
「いや、面識もない。お濃は本願寺が海路から攻められると考えているのか」
「雑賀衆が単独で大坂本願寺を攻めるなんて、双方の戦力差から考えても無理があるもの。大きな後ろ盾を得たから動いた、と考える方が自然よ。毛利家なら上杉・北条と繋がっていても不思議ではないわ」
「そりゃまた、えらく長い手をお持ちで」
昨今の上杉方の動きに呼応したつもりか。
帰蝶が「遊び」だと言ったのもわかる。
軍神様は純粋に、俺と遊びたいだけだ。それも大真面目に、互いの命運を賭けて挑んでくるだろうから手に負えない。勝てば織田家の代わりに天下人を名乗れるし、負ければ織田家に全てを委ねるつもりでいる。とんだ博打好きである。そんな人だから、甲斐の虎と四度も川中島を繰り返したのだろう。
「あなた」
「んー?」
「悠長にしている場合ではないと思うわ」
「陸は光秀と信忠、海には我らが九鬼水軍に信孝もいるんだぞ。負ける気がしない」
うろ覚えの史実において、織田水軍は村上水軍に敗北している。
だが今の織田水軍には鉄甲船がある。南蛮技術も搭載した最新鋭だ。出し惜しみさえしなければ勝てる。間違いなく。
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そして俺は、三千の兵を率いて街道を爆走していた。
先んじて守備についていた直政が、原田直政が死んだのだ。尾張国は春日井の出身であったから利家たちとも付き合いが長く、赤母衣衆の一人として名を連ねていた。織田家が畿内に勢力を伸ばしてからは河内国、山城国の管理を任せた。長秀一人に全てやらせるのは荷が重すぎたというのもあるが、気性が荒いと評判の摂津国人衆の相手にはちょうどいいと思ったからだ。荒木村重はいずれ裏切るだろうし、奴は森一族に嫌われている。
爆弾正の子・久通と仲良くなったのも大きい。
この頃には箔付けに原田姓を名乗らせ、謀反人ムーブに余念がない爆弾正への抑えも任せるようになった。重臣になると兼任が増えるのはいつものことである。
「あの、バカが……っ」
利家ほど脳筋ではなく、成政ほど熱くなり過ぎず、それでいて長秀ほど慎重ではない。犬松万に比べれば、幼い頃からの側近としては影が薄かった。一族まるごと味方に引き連れてきた信盛もいたので、その他大勢に数えられることも少なくなかった。
それでも俺は、死ぬなと言ったはずだ。
名を惜しむな、命を惜しめと。
我が弟・九郎信治が死んだ時に思った。もう、こんな思いはこりごりだと。だから茶番を仕立てて公方様を追放した。俺の知る史実通りに後世へ伝わるかどうかは分からない。それでも戦死者を出さずに終われたことを、俺なりに満足していたのだ。
考えが甘いと、誰もが言う。
やり方がぬるい、と俺を諫める。
(俺の甘さが、お前を殺したのか。直政よ……っ)
帰蝶の言う通りだ。のんびりしている場合じゃなかった。
雑賀衆を舐めてはいけない。あれらは敵だ。息子らもそう言っていた。
木津川を補給線として、雨あられと銃弾を撃ち込んでくるらしい。既に村上水軍も到着し、織田水軍とは炮烙玉の投げ合いになっている。最新鋭の鉄甲船は温存されていた。村上水軍を過小評価したわけではなく、小回りの利かない大安宅船を敬遠したのだ。
鉄甲船ならば動かずとも、それ自体が防壁となるはずだった。
小早での戦を得意とする尼子衆、蜂須賀率いる川並衆がいれば――。
「悔やんでも仕方ない」
己に言い聞かせる。俺はノブナガ。俺こそが、織田信長だ。
「敵は天王寺にあり!!」
「おおおーっ」
雄々しい鬨の声があがり、黒い雪崩がじわじわと山を染めていく。
当初は大坂本願寺を三方から守るように陣を張ったものの、どこからか現れた雑賀衆に不意打ちを喰らったらしい。奇襲攻撃は傭兵たちの十八番だ。直政は山城・大和国を管理を任せられている者として、防衛線の要となっていた。その大将首を討ち取ったのだ。雑賀衆は一度、勝利を確信したのだろう。その後、光秀たちに追い詰められた雑賀衆は天王寺砦に立てこもった。
史実と逆だなあ、なんて思うのは俺だけだ。
たかが傭兵集団、されど傭兵集団。
その傭兵たちに何度も狙われ、あるいは危機を救われてきた。
「身を守ることを優先しろ! 隙間を作れば抜かれると心得よ!」
檄を飛ばす俺の傍に黒い影が現れた。
反射的に攻撃態勢へ移ろうとする小姓たちを手で制する。
「計画通りですね、上様」
「伴か」
俺に呼ばれ、嬉しそうに身をくねらせた。何度見ても気色悪い。
こんなんでも有能な忍だ。織田家に仕える滝川衆と違って、伴太郎は俺個人に仕えている。いずれは信忠に継ぎたいと考えているが、気色悪さに耐えきれず解雇するかもしれない。
余程のことがない限り、滅多に姿を現さない。
つまり、今が「その時」ということだ。怒りに任せて前へ出てきた甲斐があった。
「三度目の正直だな」
「フフフ」
火縄銃に湿気は天敵だが、いくらでも対策はできる。
むしろ「悪天候時に銃は使えない」という思い込みを利用してきた。俺が考え付くのだ。雑賀衆だって知っていた。あちらには銃の名手がいる。
伝説のガンナー・雑賀孫市。
「織田信長ァ!!」
「……ああ、ナイスバディの美女だったら考えたのに」
予想に違わず髭モジャのおっさんだった。
ちなみに一発目は外れた。伴がいるのに当たるわけもなかった。
髭モジャは怒りで顔を真っ赤にして、こちらに銃口を向けている。もはや姿を隠す気もないらしい。堂々と叫んでくれたおかげで兵が集まってきた。上様守るべし、と黒い盾を敷き詰める。これで山登りするのは大変だったと思うが、ないよりはマシである。隙間じゃなくても鎧に当たれば、それだけでダメージを与えられるのが飛び道具の怖いところだ。
いや、おかしいな?
「伴」
「
「やっぱりか」
離れていてもわかる憎悪は本物だろう。
どんだけ恨まれているんだ俺。逆恨みもあるんじゃと言いたくなるが、ここは我慢。ついに狙撃者が姿を現し、俺を狙っているのだ。茶化してはいけない。
少し考えて、盾を下がらせた。
兵たちは戸惑いながらも、俺の命令に従ってくれる。髭モジャはまだ構えているが、二発目を撃つ気配はない。火縄銃は単発式だ。発砲した銃身が相当熱くなっているはず。それでも構えている理由は、なんだ。
「全員下がれ!!!」
「兄上、伏せてっ」
息子と、弟の声がして、俺は誰かに押し倒された。
「う、うわああああああああ!!」
男が叫ぶ。
断末魔の叫びだった。
そして雨が降った。ばたばたと、赤い粒が黒い盾に降り注ぐ。
本陣に集まった者たちの多くが衝撃に吹き飛び、そこら中に転がっていた。床几や椅子をはじめとした道具類はなぎ倒され、天幕はぼろぼろになり、黒く焦げた木の向こうで赤い火がちらちらと舌を揺らめかせる。
何人が死に、何人が怪我を負い、どれだけの損害が出たのか。
「……伴」
「ここにおりますよ、我が君」
「無事か」
「く、ふっ」
何故か伴は、腹を抱えて笑い出した。
大きな声を立てて爆笑することはなかったが、どこかの笑い上戸を思い出させる笑い方だった。しばらく笑ってから満足したように、息を吐く。
「あなたの大切なご家族でしたら、そちらに」
「信忠! 又十郎!」
「う……」
共に爆風を受けたのだろう。二人ともボロボロだった。
慌てて抱き起こそうとしすれば、信忠が小さく呻いた。生きている。末弟・長利は手足を投げ出して、ぴくりともしない。髭モジャが爆発する直前、こいつらに押し倒された気がする。おかしいだろ。信忠は現当主だ。
なんで、俺を守った。
「なんで」
「大切だからでしょう。わが君が、誰よりも」
さも当然のように黒い忍は言う。
「違うだろ。俺は隠居して、信忠が織田家を率いる身で。それに又十郎は」
「生きてまーす」
信忠を放り出して、傍に駆け寄った。
といってもすぐ近くにいたのだが。抱き起こすと、黒く煤けた顔が歪む。生きている。手袋をしているせいで体温を感じられないのが不満だ。頬ずりをするついでに抱きしめた。何を着込んでいるのか心音が聞こえない。
「又十郎!」
「いててて、兄上、いたい。くるしい」
「生きてるなら返事をしろっ。紛らわしいっ」
「えー、めんどう」
そうだ、こいつはそういうやつだった。
忍術に興味を示したこと以外で、運動らしい運動をしたことがない。甘味蔵の主と言いつつ、じっくり熟成させる部類の番をしていただけだ。あれこれ調合したり、開発したりは上の弟たちの担当だった。
「伴」
「わが君の思召すままに」
名を呼んだだけなのに、全部わかっていますと言いたげに姿を消した。
いや、まだ何も言っていないんだが。
「…………まあいいか。ここの片付けもしないと、な」
「兄上、寝てていーい?」
「仮眠なら許す」
「ん。九郎兄上と約束した、から」
「寝たか。どいつもこいつも、無茶しやがって」
守るべき相手を間違えていることも、きっちりと言い聞かせなければならない。特に信忠。怪我の状態が分からないので、下手に動かせないのがもどかしい。
「こら、軽傷だったらお説教だぞ」
「うう……」
「全く。誰に似たんだか」
「も、申し上げます! 明智様よりご報告が、その……」
伝令が来たようだ。
本陣の惨状は聞いているかもしれないが、目の当たりにして驚いたか。それでも報告しようとする職務に忠実なところは正直えらいと思う。
俺はまだ、頭がまともに働かない。
「金柑がどうした」
「は、はっ。天王寺砦を制圧した由! 準備ができ次第、上様にはそちらへ移っていただきたいということでした」
「この状況でか」
思わず苦笑が漏れた。
この状況だからこそ、早く移動させたいのだろう。伝令は「雑賀衆を殲滅した」とは言わなかった。残党がいるのなら、守りが心許ない場所にいてほしくないだろう。
「それはっ」
「信忠は医療部隊が来るまで動かせぬ。移動はそれからだ。と、伝えよ」
「はっ」
伝令兵は一度頭を下げてから、走り去った。
入れ替わりに駆け込んできたのは、まさかの蘭丸だ。こいつ、またどこぞに紛れ込んでいたらしい。森じいによると、柱に縛っていたら縄抜けを覚えてしまったとか。有能な子を持つと大変だな、お互いに。
「ご無事ですか、信長様!」
「この状況を見て無事だと思うか」
「思いません! でも信長様が元気そうでよかったです」
「……まあ、そうだな」
曲者に本陣乱入を許し、少なくない死傷者が出た。
瀕死の雑賀衆としては一矢報いた、といったところか。俺個人に限れば、肉体的ダメージよりも精神的ダメージが大きい。蘭丸は「仕方ないやつめ」で済むが、信忠は違う。己が背負うものの意味と、重さを理解していない。
俺のことを甘いと、誰もが言う。
だが甘っちょろい考えの持ち主でも、許せないことはあるのだ。
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秀吉の海賊禁止令が出るまで、渡航者から税をとって瀬戸内海を支配していた。
木津川口の戦いでは侍大将を務める。銃の名手。
雑賀衆は応仁の乱以降、紀伊国の畠山氏と関係が深かった。野田・福島の戦いなどにも参加し、何かと敵勢力として立ちはだかる織田家とは少なからず因縁がある。畠山氏は九鬼氏とも因縁があり、伊賀甲賀に根来衆も織田側についたため、雑賀衆は強い危機感を抱いていた。
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