第4話

◇◇◇


「……外線? 公衆電話から?」

 百里基地に勤務する後藤数馬一佐の元に 連絡が来たのは、深夜のことだった。

 当直だった彼が受話器を片手に眉を寄せると、受話器の向こうから困惑した声が聞こえる。

『ええ、本人が名乗るには法務省焚書課の三井さんだそうです』

「三井……ああ、あいつか」

『あ、お知り合いだったんですね』

「ああ、多分な。繋いでくれ」

 数馬は保留音を聞きながら、椅子の背もたれに深く背を預ける。しばらくして保留音が途切れたタイミングで数馬は相手よりも早く口を開いた。

「よぅ、静香。何かやらかしたか」

『さすが兄さん、気づいてくれたわね』

「ま、法務省焚書課って言われればな」

 数馬は久しぶりの妹の声に目を細める。

 後藤数馬は静香の兄で、自衛官をやっている。百里基地に常駐しているのは妹も知っていることだ。恐らく携帯電話に繋がらなかったから、こちらに掛けたのだろう。

(んで、わざわざ偽名を使って電話するってことは――)

「……何かきな臭い案件か?」

『話が早いわね。助かるわ』

「ま、静香は用がないのに電話をかけてくるような女じゃないからな」

『兄さんの周りにはそんな面倒くさい女がいるの?』

「……ノーコメントだ」

 頭に浮かびかけた女性を振り払い、数馬は受話器を握り直しながら訊ねる。

「で、案件は?」

『一人の少年を保護したわ。法務省のクロノスに追われている』

 要点をずばり抜粋した説明に、数馬はしばらく口を噤んだ。

 クロノス――特殊義体。それは自衛隊にも導入されているシステムだ。だからこそ何なのかは把握している。もちろん、法務省でどのような使われ方をしているのも。

(だが、どういうことだ? 全く事情が読めん……)

 静香はそれ以上、何も言わない。恐らく彼女自身もよく分かっていないのだ。

「……分かった。こっちで防衛省と法務省に探りを入れてみる。静香は今――」

『逃げているわ。警察も迂闊は頼れないから、地下ルートで』

「賢明だな。ひとまずそれでいい。一日は捕まるなよ」

『分かったわ。でも万が一追いつかれたら、素手だと厳しいかも』

「大久保の例の店に行け。こっちからは話を通しておく」

『……なるほどね。その手があったか、さすが兄さん』

「諸々は任せておけ。それと……」

 数馬は少し口ごもって考えたが、すぐに決断をする。

「母さんにも連絡しておく」

『……それくらいの内容だと思う?』

「ああ。クロノスの導入は法務省だけでなく、国家ぐるみのプロジェクトだからな。母さんに相談しておいた方がいいだろう」

『分かった。あんまり手を煩わせたくないのだけどね』

「……まぁな」

 後藤家の中で一番忙しいのは、二人の母だ。

 公務で滅多に時間が取れず、各地に飛び回っている。だから二人はつまらないことで煩わせないようにしていたが……。

(最新技術を詰め込んだ特殊義体の暴走――これは母さんの力を借りないと)

『いろいろとお願いね。兄さん。また明日の同じ時間に連絡する』

「ああ、悪い。予備の携帯の方に頼む」

『了解。ありがとね、兄さん』

 静香は快活な声と共に電話を切る。数馬は受話器を置くと、一つため息をこぼした。そして再び受話器を取り、番号をプッシュする。

 しばらくのコール音を聞いてから、静馬は口を開いた。


「すみません。後藤数馬です。至急、後藤先生に取り次いでいただきたいのですが――」


◇◇◇


「ん、防衛省の兄さんに話をつけたわ。裏は取ってくれるでしょ」

 電話ボックスの中、受話器を置きながら静香が振り返ると、傍で見守っていたルカは目を丸くしている。やがておずおずと口を開いた。

「その……お兄さん、自衛官なんですね」

「ええ、そこそこ自由の利く部署にいるのよ」

「……幹部?」

「幹部というわけでもないけど、ごめんね、ちょっと言えないの」

 静香は唇に指を当てると、少年は目をぱちくりさせると決まり悪げに視線を逸らして、ごめんなさい、と小さく言う。

「ううん、貴方が謝る必要はないの――さて、動きましょうか」

「……どこに、でしょうか」

「大久保よ」

 ルカの手を引き、静香は電話ボックスの外に出た。途端に繁華街の喧騒が満ち溢れる。ここは歌舞伎町――人が眠らぬ不夜城だ。

 道の左右はネオンの輝きに満ち、酒を楽しむ客たちが笑い声を響かせ、一時の夢を楽しんでいる。独特の喧騒の中に紛れるように、静香はルカの手を引いて歩く。

 ルカは物珍しげに辺りを見渡しながら口を開いた。

「歌舞伎町、ということは新宿駅の近く、ですよね」

「ええ、そうよ。昔から賑わっている街ね」

 繁栄を築く東京は再開発を幾度となく繰り返し、拡大を続けてきた。その中でも歌舞伎町は古き良き伝統を保っている。

(ま、昔ながらの人間が利権を手放そうとしないから、このままなのかもしれないけど)

 平成、令和の面影を残す町並みを横目に見ながら、静香は迷わずに一つのビルへ足を運ぶ。そのまま、下へ伸びる階段を見つけてそこを降りていく。

 そして、階段を降り切ると、地下通路へと辿り着いた。

「……東京地下回廊ですね」

「ええ、東京の再開発で生まれた空間ね」

 再開発は建物の建て替えだけでなく、新たな空間を生み出すためにも用いられた。

 令和以降、急激に進んだ再開発で区画整理が進み、その区画の下に地下道が張り巡らされている。山手線の沿線上を網羅するように地下道が続いているのだ。

 つまり、この道を進んでいけば大久保まで辿り着く。

「……けど、この道は監視カメラで管理されていますが」

「あら、よく知っているわね。その通りよ」

 そう言いながら静香は地下回廊を歩き始める。ちら、と視線を頭上に上げれば、頭上の照明の隙間に紛れるように監視カメラが設置されている。

 治安維持という名目で置かれ、警察がその情報を管理している。

 これに移ってしまえば、すぐさま情報は内閣府から法務省へと行くだろう。

「だから――別の道を使うけどね」

 静香はそう言いながら地下回廊の壁際に寄り、そこにある扉に手を当てる。ドアノブの上にあるパネルを開き、慣れた手つきでその下にある番号をプッシュ。

 決定ボタンを押すと、電子音と共に扉の施錠が解かれた。

 その音にルカはぱちくりとまばたきをする。

「……それは……」

「地下回廊の管理用通路。前、パスワードを知る機会が仕事であったのよ」

「……職権乱用では?」

 ルカの言葉に静香は苦笑いをこぼしながら手を強めに引く。

「細かいことは気にしないの。行くわよ」

 そのまま扉を押し開けて中に滑り込み、きっちりと扉を閉める。それから非常灯だけの薄暗い通路を静香は慣れた足取りで歩く。

 当然だが、監視カメラなどはなく、人気もない。空調のファンの音とどこからか響く震動音が低く不気味に音を響かせている。

 ルカはおっかなびっくりといった様子で後に続きながら訊ねる。

「……静香さんは、なんだか慣れていますね。こういう行為に」

「こういう行為、って?」

「単刀直入に言うなら、違法行為です」

「あはは、言ってくれるわね」

 二人の声と靴音が木霊する。静香の苦笑いにルカの物静かな声が問いかける。

「静香さんは公務員と聞きました。だから、それとは無縁だと思ったのですが」

「ん……そうね。普通なら無縁だけど、清濁併せ呑む必要もあってね。特に私が焚書課に来る前は」

「焚書課に、来る前?」

「そう。実は焚書課には異動で来たのよ――警備企画課から」

「……警備企画課」

 その言葉のニュアンスに、静香は少しだけ目を細める。

「もしかして、分かるの?」

「……僕の記憶違いでなければ、警察庁の組織だったはずです。警備企画課の中には分析室や企画官が配属されていますが、その中には日本警察組織では異端な存在も見られます。その通称は公表されていませんが、少し前は『チヨダ』と呼ばれた組織。今の通称は――」

 淡々と続けていたルカはそこで初めて息継ぎをすると、静香を見て言う。

「ゼロ。日本の諜報組織とされます」

 その説明に静香は思わず言葉を失っていたが、やがておずおずと訊ねる。

「……貴方、物知り、ってレベルではないわね……何者なの?」

「……それは……言えません」

「なるほど? それも訳アリの理由の一つだと捉えてもいいかしら」

「はい、そう思っていただいても」

「……了解したわ」

 静香は気を取り直すべく深呼吸をし、ルカを見て言葉を続ける。

「私がいた場所がゼロかどうかは言及しないでおく。けど、そこにいたときのノウハウを買われて焚書課に移ったの。事実、捜査の腕前を買われて麻取に引き抜かれる警察の捜査官もいるわ」

「……だから、違法活動にも慣れている?」

「そういうことになるわね」

 ちら、と静香は隣を歩くルカを見る。まだ子供ともいえる顔立ちの少年は理知的な瞳で静香を真っ直ぐに見つめている。

(しかし、本当に不思議な子ね……)

 法務省やゼロの組織については、子供はもちろん、普通の人ですら知らないことが多いわ。特に焚書課は新設された組織――それなのにそれをルカはよく知っている。

 どういう事情が絡んだらこんなことになるのだろうか。

(ま、いろいろと後ろ暗いことをしているからね)

 法務省焚書課の一職員でしかない静香でも少し考えれば分かる。

 たとえば、回収に成功した魔導書は政府直轄の研究所に送られて研究されている。だが、それがどのような研究に結びついているか全く分からない。

 他にもいろいろな非合法的な活動をしているのは、警備企画課時代から知っている。

 そういう背景を鑑みると、ルカは法務省の暗部を知ってしまい、それを消すためにクロノスが利用されている――という線が濃厚かもしれない。

(となると、ますます法務省には頼れないわね)

 疑念が濃くなっていくのを感じながら、静香は視線を先に向けた。

「いずれにせよ、クロノスとは正面切ってやり合うことになるわ――そのためにも準備が必要になるわ。そのためにもう少し違法活動に手を出す」

「今度は、何をするつもりですか?」

「買い物よ。買い物。ちょっとイケない、ね」

 静香は悪戯っぽく言うと、地上に繋がる扉を目指して歩みを続けた。

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