第3話

「……っ」

 その光景を目にしたのは路地裏の物陰を覗き込んだ瞬間だった。

 三体の特殊義体がゆっくりと歩みを進めている。その先にいるのは、一人の少年だ。壁際に追い詰められてしまった彼をクロノスたちは追い詰めるように進む。

 その手にあるのは赤く光る高熱のブレード――。

 それを目にした瞬間、静香の身体は動いていた。

「止まりなさい! クロノス!」

 飛び出して制止の声をかける。瞬間、ぴたりとクロノスたちは動きを止め、彼女の方を振り返る。その間に素早く静香は少年の方に駆け寄り、背に庇う。

 クロノスは冷静に静香を視界に収めると、淡々とした声で告げる。

『焚書課執行係、後藤静香を確認』

『警告――我々は指令に従い、行動中。この場から立ち去るように』

「……ええ、立ち去りたいわよ。この子を連れてね」

『否定。それは認められない』

『我々の任務は、それの排除』

『それは焚書対象に認定されたため』

 立て続けの言葉に思わず静香は目を見開いた。

「……うそ、でしょう? この子が『焚書』対象?」

 表情を引きつらせながら、背中にいる少年の気配を探る。彼は大きく身を震わせながら、静香の背中にしがみついている。

 それを護るように手を回しながら、目の前に立つ三人の義体を見やる。

「人工知能のくせに笑えない冗談は止しなさい。『焚書』対象は魔導書に限定されており、それ以外に貴方たち、クロノスが火器の使用はできないはずよ」

『返答。執行規定第九条第三項が適用された』

「……っ! 第九条……? そんなわけあるものですか……っ!」

 第九条は、執行規定の特例措置について書かれている。その第三項は――緊急時の臨時執行について。大臣が最優先で『焚書』すべき対象を認定した場合、火器の使用を無制限で『焚書』を執行する。

(……確かにその対象は魔導書に限られていない。だから人間にも執行可能――だけど、法務大臣が一般人に対して『焚書』命令……? そんなの考えられない)

 考えられる可能性は一つ――クロノスたちが暴走していることだ。

 ウイルスかシステム改ざんか、何らかの理由で法務大臣の承認が捏造され、少年の焚書を狙っている。その理由は分からないが――。

(……そんなの、見過ごせるはずないじゃない)

 一瞬で腹を決める。睨み返す静香を前に、特殊義体は無機質な声で告げる。

『――最終通告。対象を引き渡せ』

「そう……分かったわ。なら……」

 彼女は息を吸い込み、鋭い声を放った。

「コードE3!」

 その声が放たれた瞬間、特殊義体はぴたりと動きを止めた。その目に宿っていた光が抜け落ち、腕をぶらんと垂れ下げると、沈黙――静けさが訪れる。

 静香は吐息を一つとき、ほっと胸を撫で下ろす。

(よかった。強制停止コードは生きている……)

 焚書課のクロノスには焚書課に所属する人間の指紋、声紋などが登録されている。登録された人間の指、声の指示しか認識しないようにし、不正利用を防ぐためだ。

 そして、そのクロノスが不測の事態で予期せぬ行動をしたとき、強制的に動作を停止させるコマンドがある。それがコードE3だ。

 だが、クロノスは強制停止させられた後、一定の操作がない限り、数分で再起動してしまう――所詮は時間稼ぎの一手だ。

 静香は振り返ると、そこに立つ少年の手を掴んだ。少年はびくりと身を震わせるが、それに構っている暇はない。

「すぐに移動するわよ。のんびりしていたらまた追手が来る……!」

 少年の手を引くと、彼はこくこくと何度か頷く。静香は頷き返すと、小走りでその場を後にした。


「……ひとまず、ここまで来れば大丈夫ね」

 静香が足を止めたのはしばらく歩いた先にあった公園だった。

 街灯が一つだけの薄暗い場所。そこで足を止めると、少年は息を弾ませながら一つ頷き、息を整える。彼女は少年の手を離すと、少し屈んで視線を合わせた。

「強引に連れてきて悪かったわね。キミの名前は?」

「ぁ、え、と……」

 彼は少し口ごもっていたが、やがておずおずと目を見て答える。

「ルカ……です。市ヶ谷、ルカ」

「そう。ルカくん。私は後藤静香。一応公務員をやっているわ」

「静香さん……公務員……」

 口の中で繰り返し、少年、ルカはこくんと頷く。緊張を解いたのを確認し、改めて静香は目の前の少年を観察する。

 顔立ちは中性的で、どこか幼さも残している。体型も小柄であり、その表情には不安さを滲ませ、子犬のように揺れる瞳は縋るように静香を見つめている。

(……なんだかこう、庇護欲のそそられる子ね……)

 こういう子を好むような性癖の人もいるだろうか――と、邪な方向へ動きかけた思考を振り払うように視線を逸らし、ふと思いつく。

「あ、ごめん。少しだけいいかしら」

「あ、はい」

 ルカに断り、静香は懐から携帯端末を取り出す。現在、クロノスがメンテナンス中なのでハチの機能は使えないが、多少のアプリケーションは使える。

 それの電磁探査機能を使い、辺りを確認――特にルカの周りをチェックする。

(……異常は、ないわね)

 ほっと一息つく。つまり彼は間違っても魔導書関連の人間ではない。

 魔導書を所持しているのなら、多少なり電磁以上を引き起こしているはずなのだから。だが、それならそれで疑問が生じるが――。

 静香は端末の電源を切ると、お待たせ、とルカに声をかけた。

「それで――聞きたいのだけど、なんで貴方はあの機械たちに追われていたの?」

「それ、は……」

 ルカはぎこちなく視線を動かし、口ごもる。

「……何か、事情がある?」

 静香が訊ねると、ルカは小さく頷いた。その反応に静香は眉を寄せる。

(……困ったわね。言えない事情が恐らく絡んでいるのだろうけど)

 だが、ただの人間がクロノスに追われるなど、普通の事態ではあり得ない。ならば、焚書課の静香の選択肢はたった一つだ。

「仕方ないわね。ひとまず二人でここから離れましょうか。このままだとクロノスたちに感づかれて追手がかかるわ。コードE3もいつまで使えるか分からないし」

「……え……助けて、くれるのですか……?」

 少年は微かに目を見開く。静香は苦笑い交じりに一つ頷いた。

「一応、私は公務員だからね。市民の安全を守る義務はあるもの」

(それに、ここで見捨てたら家族になんて言われるかな)

 静香は内心でひっそり思う。後藤家は公務員の一家だ。父は消防、兄は自衛官と部署は違えど、国に属する公務員たち。

 その薫陶を受けて静香もまた、法務省に属しているのだ。

「だから貴方をクロノスから守る。そして必ず貴方の安全を保障してあげるから」

 静香はルカの頭に手を置き、撫でながら言う。少年はその彼女の顔を見上げていたが、やがて小さくこくんと頷いた。

(……強い子ね)

 彼は取り乱したりせず、ちゃんと静香の言葉に耳を傾けている。

 思いのほか、賢い子なのかもしれない。彼女は微笑みながら彼の手を取ると、夜の街に向けて足を向ける。

「じゃあ行きましょうか」

「はい……でも、どこに……?」

「まずはここから離れる。この場所はすぐに割れるでしょうし」

 クロノスが暴走しているとすれば、法務省のネットワークを駆使できる。すぐに静香の端末の場所を検索し、居場所を特定しようとするだろう。もう電源を切ったから追跡の心配はないものの、直前にいた場所――ここはすぐに発覚する。

「だから足がつかないように移動して、まずは連絡を取りましょう」

「連絡……警察?」

「警察は危ないわね。下手したら、焚書課の権限で警察に手配が掛かる可能性もあるし」

 焚書課は警察と密接に連携しているからこそ、警戒しなければならない。

 だからこそ、すぐに警戒できない場所に連絡を取る必要がある。

「……法務省や警察庁が頼れないなら、別の組織を頼るべきよね」

 静香は口角を吊り上げるのを、彼は不思議そうに首を傾げて見ていた。

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