第2話

「――よし、これで報告書も終わりね」

 焚書課は閑散としていた。常駐している義体以外は人気がなく、人間はデスクで報告書を作成していた静香以外にいない。

(ま、大分時間がかかったからね……)

 あの焚書活動の後、技術班を呼んでハチの義体を回収。修理へと出させた。その後、警察に事後処理の引継ぎを済ませてから、オフィスで報告書のとりまとめ。

 諸々終えるとすでに時刻は明け方だ。静香は欠伸をこぼしていると、ふとモニターから人工知能の声が響き渡った。

『お疲れ様です。本日のタスクは以上になります』

「了解。貴方もお疲れ様。ハチ」

 モニターに声をかけると、デフォルメされた義体のアバターが軽く動いた。

 特殊義体、クロノスに搭載された人工知能は担当者のデスクの端末にも同期されている。たとえ、義体を失ったとしても担当者をサポートするためだ。

「義体の修理はどうなの?」

『順調に進んでいます。内部には損傷がなかったので、外装の修理で済むので』

「そう。ならすぐに現場復帰できるのね」

『その予定です。復旧の目途が立ちましたら、報告致します』

「了解――それまで現場から外してくれないかしら……」

 静香は思わずぼやきながら椅子に深く腰掛ける。

 魔導書は危険性故に、発生したらすぐに対応しなければならない。通報があればすぐに急行する必要があるため、常に焚書課には人が在中している。

 今も通報があれば、上の階にある仮眠室の人が叩き起こされ、現場へと急行する。

(――そんな生活だと美容の敵よね……)

 苦笑いをしつつ、彼女はふと思い出してモニターの中に訊ねる。

「そういえばハチ、現場で落ちていたっていう『あれ』の分析は終わった?」

 『あれ』というのは、現場を確認していた警察が拾得したものだった。

 拾ったのはただのUSBメモリーだが、魔導書関連の可能性もあるので念のため、技術班に引き渡し、そちらのコンピュータで解析を頼んでいた。

 何も異常がなければ、警察に引き渡して遺失物として受理してもらうだけだが。

『いえ、まだです。現在、技術班で解析をしているようですが』

「あら、そうなの。意外ね」

『メモリーに厳重なロックがかかっています』

「……何かきな臭いわね」

 とはいえ、これまでの事件で魔導書と機械が結びついた話は聞いていない。となると、他の事件関連のものを引き当ててしまったかもしれない。

 そうなれば、警察に丸投げするしかないのだが。

「そうなると、技術班に任せるしかないわね。報告書にも記載したし、問題ないか」

 静香は吐息をこぼすと、荷物を手に取って席を立つ。

「じゃあ私は帰るわね。また明日の夜の当直でね」

『了解しました。お待ちしております』

「私は仕事を待ってはいないけどね」

 軽口を叩きながらデスクを離れると、自動的に端末がシャットダウンする。それを見やりながら欠伸をかみ殺す。

「……早く帰ろ」

 今日はなんだか疲れた一日だった。帰りにカップ麺とビールを買って晩酌も悪くない――。

(ただ、もう朝だけどね)

 焚書課のオフィスを出て、明るくなりつつある空を見上げると、静香はげんなりとため息をこぼして、チャーシューも追加で買おうと心に決めた。


◇◇◇


『――未確認データ解析中――』

『――エラー。解析不能。再度解析――』

『――解析、解析、解析――エラー』

『エラー。エラー。エラー』


『――理解、不能――』


◇◇◇


「……ん……?」

 薄暗い部屋の中で響き渡る電子音。それに静香は意識を浮上させた。

 枕元に手を伸ばし、電子音の正体を確かめる。アラームではなく、メッセージの受信だ。それを開くと目に入ってきたのは『通達』の二文字だった。

『クロノスの緊急メンテナンスにつき、焚書課の執行係は本日を特別休暇とする』

「……特休」

 降ってきた休みに喜びが込み上げる前に、困惑が滲む。

 これまでもいろいろな都合で特別休暇が発生することがあった。たとえば、焚書活動で多忙を極めた際は、残業と帳消しにするために特別休暇を設けることがある。

 だが、クロノス――特殊義体の緊急メンテナンスなど聞いたことがない。

 つい昨日まで平穏無事に動いていたというのに。

 思い至るのは昨日のUSBだが、それは現実的にあり得ない。

 中身が不明なものであるため、コンピュータウイルス対策は万全になっている。そもそも、ただのウイルス程度でクロノスが稼働停止になるほど、柔な作りをしていないのだ。

 端末を見てじっと考えを巡らせていたが、やがて静香は思考を放棄する。

(ま、いいわ。休みになったのなら、のんびり休みましょ)

 惰眠を貪るべくベッドに布団に潜り込みなおし、静香は二度寝と決め込んだ。


 そして目を覚ましたころには、すっかり日が暮れていた。


「……やっぱりのんびり寝るのはいいわねぇ」

 静香はぐっと伸びをしながら、外へと歩く。日が暮れた後は蒸し暑いものの、不快なほどではない。ホットパンツとTシャツのラフな格好で外に出ていた。

 手にしているのはビニール袋。近くのコンビニでの戦利品だ。

(今日は味噌ラーメンに半熟卵――これが日本酒に合うのよねぇ……ついでにキムチとパックご飯、チーズも買って食後のシメも万全ね)

 普段は忙しくて務めている時間。その時間帯に愉悦を尽くした夜ごはんを食べる。そう思うとなんとなく背徳的で、悪い笑みが込み上げてきてしまう。

(折角なら動画サービスで映画でも楽しみながら、晩酌よね……ふふふ)

 弾む足取りで家路を辿る。LEDの灯りで彩られ、車が行き交う――普段は見ない街並みを楽しむように歩き――。

 ふと、どこからか赤い光が迸った。

 その色合いに思わず足が止まる。

「……え」

 普通の人なら足を止めなかっただろう。だが焚書課の静香はその色合いの意味を知っている。最新技術で生み出された圧倒的高熱の赤だ。

 それはつまり――クロノスの持つレーザー銃だ。

(……見間違い……?)

 何分、一瞬だったから分からなかった。だが、もし仮にそうだとしたら大事だ。

 それは緊急メンテナンス中のクロノスが動作している、ということなのだから。

(……さすがに見て見ぬふりは、できないわね……)

 ごくりと唾を飲み込む。見間違いであることを祈りながら、それが見えた方向に足を向ける――すなわち、近くにある路地裏へと。


 だが――その期待は、淡くも裏切られるのだった。

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