魔導書は笑わない
アレセイア
第1話
通報のあった場所に車をつけると、そこにはすでに規制線が張られていた。
車から降りた女性は周りを見渡し、包み込んでくる蒸した空気に顔をしかめる。
(……全く、こんな暑い日に出動とはね)
昼間は猛暑日を記録した今日。真夜中になってもその猛暑は残っている。真面目にスーツを着ているのがバカバカしくなる気温だ。
早くも車の中に戻りたくなる気持ちを抑えていると、小走りに一人の警官が駆けてきた。
「すみません、ここは今立ち入り禁止でして――」
「ああ、すみません、私はこういう者でして」
苦笑いを浮かべつつ、女性は上着の内ポケットから手帳を取り出す。その中にある身分証明の部分を見せると、警官は息を呑んで敬礼する。
「失礼しました――焚書課の方でしたか」
「ええ、警察から出動要請を受けました。現場の担当者は――」
「お、今日来たのは後藤の姉ちゃんか」
その声と共に物陰から現れたのは、中年の男性だった。ワイシャツ姿の彼はやれやれとため息をこぼし、腰に手を当てる。
「責任者は俺だ。お互い、こんな日に出動なんて嫌になるな」
「ま、仕事だから仕方ないでしょう。木場さん」
「それもそうだな。西場、持ち場に戻って大丈夫だ。焚書課はこちらで対応する」
「はっ、了解しました」
若い警官は敬礼をすると小走りでその場を立ち去る。木場は彼女に視線を向け、鋭く眼差しを細めて言う。
「要請した通り、『対象』が出た。対応を頼む」
「了解しました。現場は?」
「先の地下通路だ。幸い、封鎖が早かったおかげで被害は少ないが、ちと規模がでかいな。ま、あんたなら心配いらないと思うが」
「木場さんの目算だと、どれくらいだと見ますか?」
「……そうだな。被害の規模だけで見るとD級だが、俺の勘だとC級だと思える」
「分かりました。対応を急ぎます」
彼女は一つ頷くと振り返り、車の後部座席の扉を開け、中にいる人影に声をかける。
「行くわよ。ハチ」
『了解しました。静香様』
声に応じて中から姿を現したのは、丸みを帯びた金属のボディだった。人型をした機械は滑らかに二本足で地面に立つ。
『動作問題なし。オールグリーンです』
「了解。後藤静香、突入を開始します」
『クロノス八号機、随伴します』
スーツ姿の女性と機械の人間は並び立ち、規制線を潜っていく。その後ろ姿を木場刑事は見送ってから、一人の警官の方へと足を運ぶ。
「……西場は焚書課案件ははじめてだったな」
「は、はい……あの方が焚書課の方、なんですね」
「ああ、若い姉ちゃんだがそれなりに場数は踏んでいる。あとは対応が終わりまで待てば、俺たちの仕事は終わりだ」
「わ、分かりました……あの、木場さん」
「うん? なんだ?」
「あの……ロボットは、一体?」
西場の視線の先には滑らかに動く、女性の傍の機械。それを見やると、ああ、と木場は一つ頷きながら告げる。
「特殊義体だな。中には人工知能が搭載されている」
「あ……十年前に自衛隊に配備されたというロボットですよね。主に人が立ち入れない場所に入るための義体――火山地帯の災害救助などでよく見ます」
「ああ、焚書課が対応するのもある意味では『災害』だからな。それに柔軟に対応するために焚書活動には同行しているんだ――それだけ厄介な存在なんだよ」
木場は後半から苦々しさを滲ませながら吐き捨てる。
「魔導書、っていうのはな」
この世界に魔導書が生まれたのは、いつかだろうか。
その存在は古来より語られていたが信じる者はなく、ずっと捨て置かれていた。だが、その存在が顕在化したのは、ある凄惨な事件がきっかけだった。
ある国の街で発生した大規模爆発事件。
それはテロと呼ぶには生易しすぎる事件だ――何故なら、街が一個爆発で消し飛んだのだから。
その衝撃波は百キロも先にまで轟き、衝撃をもたらした。そして肝心の爆心地は、まるで隕石が落ちたかのようにクレーターが生じ、住む人やそこにあるものが全て消し飛んでいた。誰もが唖然とした光景の中――そこにはある物が残されていた。
それが魔導書――爆発を引き起こした元凶だった。
その事件を皮切りに、さまざまな場所で魔導書が原因と思われる不可解な爆発事件が多発。可燃物が一切ない場所での爆発も相次ぎ、各国はすぐさま魔導書の対応を急ぐことになった。
魔導書はどこから現れるのか分かっていない。だが予兆として、特殊な電波障害を放つことが捜査で判明してきた。
予兆が分かれば対応も可能だ。だが、魔導書は総じて危険であるものが多い。そのため特殊な訓練を積み、人工知能が搭載された特殊義体――通称、クロノスを相棒として、魔導災害に対応する特殊部隊が派遣される。
その役目を負った組織こそ、法務省直轄の魔導書対応組織、焚書課執行係だ。
駅に繋がる通路は薄暗く静まり返っていた。
太い柱が立ち並び、その柱には最近流行っているゲームのキャラクターが貼られている。非常灯だけが照らす通路に後藤静香は足を踏み入れ――。
その異変にすでに気づいていた。
「……なるほど、今回の魔導書は少し厄介かもね」
そう告げた彼女の吐息は白く染まる――異常にその空間が寒い。
真夏とは思えず、冷凍庫に入ったかのような寒さ。静香はその空間を冷静に見極めていると、隣に立つ義体が平坦な声で告げる。
『対象を視認――奥50m先です』
「そう。ちなみに付近の温度は?」
『接近しなければ正確には特定できませんが、-50度付近かと』
「……回収は厳しそうね」
彼女はため息をつきながら、上着の内側からスコープを取り出す。それを覗き込んで倍率を調整。最後に光量を自動で合わせると――くっきりとそれが見える。
通路の真ん中で浮かび、開かれている一冊の本――魔導書だ。
「ハチが風邪引く前に仕事を終わらせるわよ」
『私は病気になりませんが』
「ただの冗談よ。それくらい分かりなさい。人工知能」
『学習はしますが、理解は不能です』
「……ま、冗談に対する理解は人間だけの特権かもしれないわね」
軽口を叩きながらスコープで魔導書を見つめ、静香ははっきりと口にする。
「最終確認――後藤静香、魔導書を視認」
『クロノス八号機、視認しました』
「焚書活動を申請します」
『申請を受理――承認します』
その承認の言葉と共に、義体の背中のハッチが開く。静香はそのハッチの中に手を伸ばし、一本のライフルを取り出す。黄色と黒の警告色に銃身が彩られている。
AR15をベースにした小銃。ストックを肩に当て、ハンドガードに手を当てて射撃姿勢を固定。その一方でハチは前に進み出ると、腕の装甲を開いて刃を引き抜く。
『火器の限定使用を承認。外部に通達――完了』
「了解――焚書活動を、開始します」
その言葉と共にヴン、とハチの身体から重い駆動音を響かせる。深い震動と共に放たれた排気が白い煙となり、周りを彩る。
体勢を低くしたハチの傍で静香は立射の体勢を整え、鋭く告げる。
「コードA5。突貫命令よ。行きなさい――ハチ!」
『了解。援護をお願いします』
その言葉の直後、だん、と激しく地を蹴り、ハチは疾駆した。迷わず凍結された床を踏み抜き、両手にブレードを構えて疾駆。
それに反応するように最奥の魔導書が青白い光を放つ。瞬間、彼方から襲ってきたのは猛吹雪だった。熱を奪い去る冷気が迸り、静香の体温を奪っていく。
だが、静香は身動きせずに息を吸い込み、引き金を引いた。
直後、放たれたのは鮮紅の閃光だった。膨大な熱量と共に放たれたレーザーが冷気を引き裂き、魔導書に向かい――。
その光の軌跡が、ねじ曲がった。
上方へと直角に曲がり、天井に着弾。轟音と共に被弾場所が穿たれ、白熱――だが、すぐに冷気に包まれ、蒸気と共に消えてしまう。その光景に舌打ちをこぼす。
(やはり自衛反応はある……厄介ね……)
スコープで見ると、魔導書の周りに光り輝く何かが浮かんでいるのが見える。恐らくは氷の盾か何か――あれによって光線が防がれた。
レーザー銃で全て撃ち落とすこともできなくはないが――。
(あまり器物損壊はしたくないよね……それに光線の弾数も少ない……)
焚書課に配備されているレーザー銃は最新の小型銃だ。内蔵バッテリーで出力するが、小型であるために装弾数が少ない。強出力の射撃になると、あと三発が限界だ。
(この寒さも考えると、一発で仕留めたい……)
白い息を吐き出しながら、指の震えを努めて無視する。寒さは射撃はもちろん、銃器自体にも支障をきたしかねない。早い対応が必要になってくるはずだ。
となれば、解決できるのは寒さに突貫できるクロノスしかいない。
(……頼んだわよ。ハチ)
特殊義体は寒さにも臆せず、全速力で突貫する。足のスパイクを床に突き刺し、滑ることは全くない。その猛進に魔導書はさらなる冷気で阻む。
虚空から作り出したのは氷のつらら。それを連続で放ち、接近を阻む。
だが、ハチは怯むことなく前へと駆け、両手のブレードを閃かせて次々とつららを打ち砕く。さらに発生した氷の壁や塊も力技で粉砕――。
そして、とうとう魔導書の目の前まで踏み込んだ。
その危険の接近に魔導書は一気に力を解き放った。視界が真っ白になるほどの冷気が放たれ、ハチを直撃。彼の身体が真っ白に染まっていく。
だが、彼の動きは止まらない。一気に前に躍り出ると、魔導書を取り囲む氷の壁を打ち砕く。直後、そこからあふれ出た冷気が義体を包み込んだ。
万物を凍結させる無慈悲な寒波にハチの動きは止まり、ぴたりと動かなくなり――。
「けど――よくやったわ」
遮蔽物は、なくなった。
それを視認した瞬間、静香は引き金を引いていた。静かな反動と共に赤い閃光が視界を染め上げ、虚空を引き裂く。光速の一撃は違うことなく、魔導書の真ん中を撃ち抜いた。
途端に冷気の放出が止まる。中央を焼かれた魔導書は弱々しく光を放っていたが、やがて軽い音と共に床へと落ちる。静香は白い吐息をつきながら小さく告げる。
「焚書完了を確認――状況を終了」
その言葉と共に手の中のレーザー銃がかちりと音を立てる。安全装置がかかったことを確認してから、静香はハチに近づきながら訊ねる。
「ハチ、動ける?」
『――作動可能。動作不能』
「……つまり?」
『受け答えはできますが、身体は動かせません』
「でしょうね」
遠目から見ても分かる。ハチは真っ白く凍り付き、足は床に縫い付けられている。それを対処するのは技術班が必要だろう。静香は白い息をつくと、腰に手を当てて言う。
「しばらくそこで待っていなさい。技術班を呼んでくる。その間、私は上でコーヒーでも飲んでいるわ」
『……了解しました。お身体を冷やさないように』
「もう手遅れよ……夏用のスーツで来るんじゃなかったわ」
かじかんだ指を揉みながら静香は踵を返す。
今だけは夏の蒸し暑さが恋しかった。
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