第2話「かみさまの結婚式」



 それは私達が高校一年生だった頃、長々と居座る冬の寒さにうんざりしていた2月のこと。


「七ちゃん! これ見て!」


 そう言って星君が見せてきたのは、鮮やかな黄色を放つ綺麗な手紙だった。拝啓、何たらかんたらの候がどうのこうの……堅苦しい文章を読んでめまいを感じた直後、ようやく私の記憶にも馴染みのある人物の名前が飛び込んできた。



 浅野陽真 清水凛奈



「あ、凛奈先生……」

「そう、清水先生の結婚式、再来週の土曜日にやるらしいよ!」


 私達1年1組の担任で、美人な女教師の清水凛奈先生。彼女は先日同い年の知人男性と結婚することを発表した。色恋が好きな青少年達は、これでもかと言うほどに沸き立った。

 それもそうだ。あの学校中に人気の凛奈先生が結婚するのだ。男子達は泣き崩れ、女子達は黄色い歓声の嵐だった。


「てことは、それ結婚式の招待状?」

「そうなの。恵美さんに日程を教えてもらって、先生にこっそりお願いしたんだ。そしたらもらえたんだよ~」


 周りに気付かれないようにヒソヒソ声で話す星君。生徒に招待状を出す先生もアレだけど、恵美のリーク力が衝撃的過ぎて怖い。先生も日程だけは秘密にしてたのに、なんで知ってるのかしら……。


「よかったわね。楽しんで」

「あ、七ちゃんの分もあるよ」

「は?」


 星君が手紙を横にずらすと、もう一枚の手紙が後ろからこんにちはと顔を出した。







 会場にいる出席者はみんな知らない人ばっかりだ。スーツをバッチリ着こなして、主役の晴れ舞台を心待ちにしている。私と星君はそれらしい衣装は持っていないため、普段着用している高校の制服で出席した。


「私達、かなり浮いてるわね」

「でも、先生には一年間ものすごくお世話になったし、綺麗な姿見てみたいでしょ?」

「まぁね」


 先生は苦手な社会の勉強を教えてくれたし、私達生徒のことを思いやる優しい人だった。そのお礼として、しっかりお祝いしてあげたい気持ちは私にもある。


「二人共、失礼のないようにね」

『はーい』


 お母さんが私達に釘を指す。流石に未成年者だけでの出席は認められないため、同伴者として私のお母さんも出席することになった。私達なら失礼はない。多分カズ君とかなら、泣き叫んで迷惑かけちゃいそうだけど。


「あ、時間だね。行こうか」

「えぇ」


 早くも時間が迫ってきた。私は胸元のリボンを整え、一呼吸して挙式へ向かう。








『新郎 陽真さんのご入場です』


 大きな扉が開き、凛奈先生の新郎さんが姿を見せた。会場は拍手に包まれる。陽真さんは黒髪で背の高い男性だった。紺色のタキシードを着用し、凛々しい表情で歩みを進める。真面目そうでカッコいい。正統派イケメンってやつね。


「イケメンだ……」


 星君は陽真さんの圧倒的なカッコよさを前に、口をポカンと開けて突っ立っている。凛奈先生が惚れたのも無理はない。あんなに一目で心を掴んでくるような男性、この世になかなかいないもの。


 でも、星君も悪くないわよ……。


『続いて、新婦、凛奈さんのご入場です』


 いよいよ凛奈先生の入場だ。




「あぁぁ……」


 あまりの美しさに言葉を失った。胸元や裾を純白のバラで飾ったAラインのウェディングドレス。まさに先生の清楚なイメージを体現した美しいドレスだった。そそり出る白い肩や腕が眩しい。


「先生、綺麗だね」

「えぇ、凄く綺麗」


 私もいつかあんなふうに綺麗になれるのかな……。




『それでは、新郎 陽真さんから、新婦 凛奈さんへ、ウェディングキスを』


 陽真さんが凛奈先生のウェディングベールを上げ、彼女の柔らかい唇に自分の唇を重ねる。なんと美しい光景だろうか。二人の愛し合う男女が見せる珠玉の一幕。


 私達の目の前で繰り広げられる二人のやり取りが、私達の心の凹凸を削ぎ落としていく。






「いやぁ~、何となく二人は結婚するだろうと思ってましたが、いざ目の当たりにしてみると、過去最高に口の中が甘ったるくて仕方がないですわ」


 厳かな挙式はあっという間に幕を閉じ、隣接されたパーティールームで披露宴が始まった。凛奈先生の高校時代の友人がスピーチを行っている。

 先生も私や星君と同じ葉野高校出身だ。今私達の周りにいるほとんどの人が、OBということになる。みんな新郎新婦の共通の知り合いなのね。


「とにかく二人共おめでとう! 絶対に幸せになりなさい! 以上! 元生徒会長からでした!」

「ありがとう、花音ちゃん♪」


 メガネをかけた紫髪の女の人が、親指をグッと立てて祝福を贈る。あの人、元生徒会長なの?

 彼女の語りによると、陽真さんは先生が小学生の頃からの幼なじみらしい。私と星君と同じだ。小さい頃から同じ時を過ごしてきて、長年想いを寄せていた相手と結ばれるなんて漫画みたいね。


「続いて、自称新郎新婦の一番の親友である、アンジェラ・クラナドス様からのビデオメッセージです」


 司会の人が口にした自称という言葉に、会場は笑いに包まれる。名前からして外国人かしら。そんな知り合いがいるのね。


「え!?」

「アンジェラから!?」


 先生と陽真さんが驚く。そして、前方の天井からスクリーンが降りてきた。どうやら自称一番の親友さんは、都合が悪くて式には出席できなかったらしい。


『凛奈! 陽真! おめでとぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!』


 ライブ会場顔負けの爆声が鳴り響く。出席者は思わず耳を押さえて萎縮する。威勢のいいお祝いだこと。


『式に参加できなくてごめんね~。こっちの仕事が忙しくて、日程が合わなかったのよ。でも哀香と蓮太郎がビデオメッセージ?ってやつを撮ってくれるみたいだから、これでお祝いってことにしてね♪』


 金髪のウェーブがかかった女の人が、可愛らしいドレスを着て映像の中ではしゃいでいる。日本語が流暢ね。あと、どことなく凛奈先生にも似てる。


『あなた達と一緒に闘ったあの戦争が、つい昨日のことのように感じられるわね。本当に私を救ってくれたみんなには感謝してるわ』


 せ、戦争? 今戦争って言った!? どういうことだろうか。女の人が話している内容がいまいち理解できない。他の出席者は平然としてるどころか、うるうると瞳に涙を浮かべている。戦争したことが感動的な思い出なの!?


『そして陽真、凛奈、あなた達が結婚したって聞いた時は、飛び跳ねて喜んだわ。本当は私が陽真と結婚したかったけど、やっぱり凛奈の愛には負けるわね』


 ほら、またしれっと衝撃的なこと言ってるし。結婚式でそんなこと言っていいんですか? まぁ、当の本人は満更でもないような笑みを浮かべてるから、笑い話で済ませられることなんだろうけど。


『凛奈、いつまでも陽真のそばにいて、彼を支えなさい。そして陽真、一生かけて凛奈を守りなさい。永遠に愛し続けなさい。不倫したら許さないわよ』


 勇ましく二人に語りかけるアンジェラさん。二人のことを大切に思う気持ちがよく伝わる。どうやら一番の親友というのは嘘ではないみたいだ。


『二人共、決して離ればなれになっちゃダメだからね。愛し合う二人で、一生懸命生きていきなさい。これは女王命令よ!』


 じょっ、女王……? ダメだ。もう話に付いていけない。周りは上手いこと言ったであろう彼女に対し、大きな拍手を贈っている。


「アンジェラ……ありがとう……」

「言われなくても分かってるっての……」


 瞳に大粒の涙を浮かべる二人。よく分からなかったけど、二人はたくさんの人に愛されてるんだなぁ。いろんな人から祝福を貰えるのは実に嬉しいことだ。




 新郎新婦の親友、親戚、そして両親……各々の暖かい言葉を受け、披露宴は和やかな雰囲気に包まれた。ウェディングケーキの入刀にファーストバイト、特別な写真撮影など、様々なイベントが披露宴を彩っていく。


「ここで、新婦 凛奈さんから、新郎 陽真さんへの特別スピーチです」

「え!?」


 盛り上がってきたところで、凛奈先生からの突然のサプライズだ。陽真さんが驚きの声を上げている。スタッフが立ち上がった先生に近付き、口元にマイクを伸ばす。


「私と結婚してくれた浅野陽真さんに向けて、改めて感謝の言葉を贈らせていただきたく、お時間を用意させていただきました」


 会場内の照明が一時的に暗くなり、先生に大きくスポットライトが当てられる。手紙を広げ、今までの人生を見つめ返すような麗らかな声で、愛しの陽真さんに向けて語る。


「私と陽真君の出会いは、小学3年生の時だったね。陽真君が転校生としてやって来たあの日のこと、鮮明に覚えてる。初めて見た時から、陽真君はカッコよかったよ」


 言葉が軽やかになる。出会った当時の自分に若返ったように、先生の語りは幼く聞こえる。いつもの凛々しくて大人びた美人教師の風格とはまるで違う。今の彼女は、愛する男性に想いを伝える一人の女の人だ。


「いじめっ子から私を助けてくれたこと、今でも鮮明に覚えてる。本当に嬉しかった。私の人生を救ってくれた陽真君は、最高のかみさまだよ」


 先生が陽真さんのことを“かみさま”と呼称した。それがどんな意味が込められているかは私には分からないけど、その言葉一つに数えきれないほどの大切な思い出が詰まっていることだろう。


「小学校、中学校、高校、大学……。いつでもどこでも私のことを思いやってくれて、大切にしてくれて、泣き虫で弱虫な私達をそばで支えてくれた」


 ふと隣を見ると、星君が真剣な表情で先生の涙ぐんだ顔を眺める。先生の過去が自分の人生と重なっているように感じているのだろう。それと同時に、誰かを思う心の大切さを目の当たりにして、深く感動している。


「特にフォーディルナイトに行った時、命懸けで私を守ってくれたことは凄く嬉しかった。そして私の告白の返事のために、帰ってきてくれた。忘れた私との記憶を思い出してくれた。優しく抱き締めてくれた。本当に……ありがとう……」


 二人だけにしか分からない思い出のはずなのに、なぜか私や星君まで涙を誘われる。二人はきっと辛く苦しい出来事を乗り越えた末に結ばれたんだろう。本当に漫画のような人生だ。


「ありがとうが言い足りないので、思い付く限りここで全部言います……私と出会ってくれてありがとう……私を選んでくれてありがとう……たくさん助けてくれてありがとう……愛してくれてありがとう……こんな素敵なウェディングドレスを着せてくれてありがとう……」


 ありがとうを重ねる度に、嗚咽が止まらなくなる先生。手紙も溢れ落ちる涙でしわくちゃになっている。でも、今先生が伝えているのは、きっと手紙にも書いていない彼女の丸裸の心だ。


「私と結婚してくれて……ありがとう……」


 陽真さんも何か言いたげに、隣で体を震わせる。思い付く最後のありがとうを言い終わると、先生は涙を拭いて陽真君の方へと顔を向ける。


 そして、飛びっきりの笑顔をつくって叫んだ。


「陽真君、大好きだよ!」


 先生が叫んだ瞬間、陽真さんは立ち上がって先生を抱き締めた。強く、優しく、誓いを込めた手つきで。それを見てしまった私達も、ついに涙が床に溢れ落ちた。


「俺も凛奈のことが大好きだ。いつまでも愛してる。改めて、俺と結婚してください」

「ふふっ、喜んで」


 結婚式でまさかの再びのプロポーズ。会場は再び笑いに包まれる。しかし、誰よりも美しい愛を目の当たりにした人々は、大きな拍手で二人を祝福した。私達も涙を拭うことを忘れ、力一杯手を合わせた。






 披露宴が最高に盛り上がってきたところで、ずるずると庭園に出ていく女性の出席者達。どうやら今からブーケトスを行うらしい。挙式が終了した直後にやるのが一般的なのに、珍しいなぁ。


「七ちゃん、行ってきなよ♪」

「え、えぇ……」


 星君が私の肩を押す。ブーケトスは結婚式のイベントと一つで、花嫁が投げたブーケを出席した女性達がキャッチする。見事キャッチできた女性は、次に結婚することができると言われている。ゲストに幸せをおすそ分けするために行う催し物だ。


「みんな、いくよ~」


 チャペルの2階から凛奈先生が手を振り、下に群がる女の人達は歓声を上げる。その勢いに押し負かされ、私は端っこで突っ立ていることしかできない。

 まぁ、私もまだまだ子供だし、結婚を望む大人の人達の前で出しゃばるわけにもいかないだろう。


「せーの!」


 凛奈先生が背中を向け、思いきりブーケを空中に放り投げた。


『えぇ!?』


 しかし、先生のコントロールがあまりにも悪く、ブーケは女の人達を無視してあらぬ方向へと飛んでいく。




 バサッ


「……え?」


 そして、ブーケは私の腕の中に収まった。


「おぉ~、ナイスキャッチ!」

「誰かと思ったら、凛奈の教え子ちゃんじゃん!」

「学生のうちから結婚決まるとか、めでたいねぇ~♪」

「おめでとう! 式、楽しみにしてるよ♪」


 さっきあらぬ方向と表現したけど、正直に言うとあまりに綺麗に私のところへと飛んできた。凛奈先生へと顔を向けると、彼女は優しい瞳を輝かせながら私に微笑みかけていた。


 もしかして、わざと私の方向に投げたの……?


「七ちゃん! やったね!」


 星君が歩み寄って祝福してくれる。もちろん他の出席者の人達も。




「……」


 何となく、凛奈先生がみんなから慕われる理由が分かった。長年仲が良い学生時代の友人ではなく、未来ある子供の私にブーケを贈った。

 彼女の心はこちらが恥ずかしくなるほどに綺麗なのだ。誰に対しても平等に優しい感情を振り撒き、暖かい愛で包み込む。陽真さんはきっと、そんな彼女だからこそ惹かれたんだろう。


「ふふっ……///」


 世界はなんて美しいんだろう。この会場にいる人達のような、そして星君のような優しい人間がいっぱいだ。そんな中でたった一人の愛する人と出会い、恋をして、結ばれる。そんな愛の形に私は感動した。


 結婚式に来てよかった。


「七ちゃん、どうしたの?」

「何でもないわ。誘ってくれてありがとね、星君」

「うん!」


 そして、今隣にいる男の子が、その愛しの相手になるのだろうか。そんなこと考えてみながら、私は愛というかけがえのないものの素晴らしさに、こんな美しい世界に生まれたことに心から感謝した。


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七つ星ロマンティック 番外編 KMT @kmt1116

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