Hide-ous 望むものはなんですか?
下之森茂
2月7日、訪れて
古びたセダンが、山間の高速道路をひた走る。
サイドミラーは車の持ち主の性格が出ており、
塗装は
カーラジオから流れる音程の
「組長とドライブ楽しいっす。」
車の持ち主でトサカ頭が、
しゃがれた声で喜んでいる。
助手席に座る人物はなにも
わずらわしいラジオを切った。
胸元を大きく開いたワイシャツの、
爪はマニキュアで綺麗に手入れされている。
足元に置いた
タイトな黒色のスラックスを履く細身の美人。
もの憂げなその目鼻立ちは洋人形のようで、
金色に染めた髪には蛍光ピンク色を混ぜていて、
車内でも
浮かれ気分のトサカ頭に、
窓枠に頬杖をつく指にいらだちがあった。
トサカ頭は変わらず能天気で、反応がなければ
今度はちらちらと助手席を見て運転する。
「ずーっとおんなじような景色っすね。
組長、ヤノハマって、あとどんくらいっすか?」
「
俺の命預けてんだぞ。
調子に乗ってんじゃねえよ。
あと組長って呼ぶんじゃねえ。」
助手席の美人が威圧感のある太い声で、
とさか頭の
大きく
助手席に座る組長と呼ばれた美人。
ワダは男である。
「35で二見の漁協のボスっすよ?
俺、舎弟っすから組長は組長っす。」
「舎弟でもねえよ。
お前はパシリだ、パシリ。」
いまもむかしもこんな職業は存在しないが、
ワダが半年ほど面倒を見ている新入りだ。
ワダは彼を自分の家に住まわせ、
一般常識を学ばせている。
顔も悪いが口も悪い、髪型からして頭も悪いが、
ワダが教えればできる器量の持ち主ではあった。
生まれや育ちのせいか
性格の
家では掃除を
与えた
ワダに
――
と、思うのであった。
「でも組長すげーってみんな言ってます。
取材だってあったじゃないっすか。」
「少子高齢化だ。人手不足なんだよ。
前組合長なんて80過ぎてたぞ。
おかげで引き継ぎぐちゃぐちゃ。」
「でも、ほかにも候補者いたんじゃないっすか?」
「んなもん家柄で決まんだよ。
こんなのやりたくてやるわけじゃねえ。
実家がイヤで
「ところで組長の家ってなにやってんですか?」
「
ワダは少しいたずらっぽい笑みを見せた。
「そうだな。お前もこの車で入ってるだろ。
全国の駐車場管理してる元締めだよ。」
「マジっすか! マジっすかぁ…。
マジどこでも見かけて不思議だと思ってたけど、
それじゃ組長ん家、超すげーじゃないっすか。」
「お前、マジか…?」
月契約の駐車場の看板など全国どこでも
見かけるが、
頭の程度であることにワダは
「なんすか、
ウソっすか?」
「
でもまぁ、実体のなさで言えば近いぜ。
本家に近い西側だと特にな。」
「へぁー。じゃあアレっすか。
ヤのつく職業っすか。やべーじゃねえっすか。」
「ちげーよ。
近いことやってるヤツはいたけど。」
ワダの遠く離れた兄がそれに近い
気に病んだ姉が引きこもったこともあった。
そんなことを思い出して、
今日の目的を
「んで、これからその実家に行くんすか?」
「実家じゃねえな。兄貴の家だ。
俺と同じで
分家みたいなもんかな。」
「そんな
ますますやべーっすね。」
「そうだよ、やべーんだよ。」
形容しがたい実情に便乗して同意した。
今日は本家ではないだけマシだと、
ワダは自分を納得させた。
「組長が休み返上で行くような、
ステキな用事があるんすか?」
「俺が行きたい用事だったらひとりで行くわ。
お前なんかに運転させず。」
「ひでぇっすよ、そりゃ。」
「俺だって新年だけは否応なしに、
本家に挨拶に行くんだがなぁ。」
趣味ではなくこれまでの教育の
今日ばかりは気乗りしない用事であった。
「ヤノハマでしたっけ? なにがあるんすか。
酒がうまいとか。あっ! その酒飲むんすか?」
「お前は運転するからダメに決まってんだろ。
しかし、地方自慢の定番だよなぁ。
酒だの米だの魚だの。」
「ないんすか?」
「そりゃ
「くぁー。」
「んなとこ、なにしに行くんすか?」
「だからお前は来なくていいって言ったろうが。
それをしつこくなぁ。」
――本当にしつこかった。
置いていくと知れば泣いてすがりつき、
玄関で土下座するので邪魔で踏みつけたが
それを喜ぶとは思いも寄らなかった。
「俺のせいっすか! それ、俺のせいっすか!
そうっすね…。」
普通ならこの素直なところを
どうせ調子付くだけなので無視を決める。
――育て方は悪くない。育ち方が悪いんだ。
ワダはそう自分を納得させた。
「少し年の離れた俺の兄貴の家だがな。
そこに娘がふたりいるんだよ。
たぶんお前と同じくらいの。」
「おっ! いいじゃないっすか。
美人っすか? なんなら紹介してくださいよ。」
発情期のサルのような、
――ウチの漁協の老人連中に近いもんがあるな。
しかし自分も昔はこうだったのではないかと、
ワダは
「お前は山に埋められたいのか?」
「マジっすか? そんなにっすか?」
「分家でもそんぐらいのデカい山主なんだよ。
で、そこの長女の
前に本家の人間と見合いしたんだと。」
「ほぼ身内っすね。」
最初の子は
「相手は姉の
そいつは
顔はいいらしいが悪い
しかも本家の後ろ盾があるんで
好き放題やりやがる。」
そんなワダも
「くぁー。そんなやつにも、
見合い話なんてあるんすねぇ。」
「やんちゃ坊主が嫁でも持てば、
多少なりとも落ち着くって、
姉さん連中は考えたんだろ。
まあ古い考えだな。」
本家で年の離れた姉のヒメとその娘、
分家のワダには知るよしもない。
「で、娘の見合いに、
兄貴は家族全員で行ったんだよ。
向こうは本家だから挨拶しなきゃならん。」
「ヤバいっすね。」
「クソみてえなしがらみばっかだ。
そこで
見合い相手の姉の
妹の
「ひっでぇ!」
「だろう?」
「相手は本家。
分家の兄貴が強く出られるはずもない。
一応食い下がってはみたらしいんだが、
結局、
妹の
本家への
しかももうすでに妊娠したんだと。」
「うげぇ。アネキはメンツぐちゃぐちゃっすね。」
「そうだよ。それでショック受けてな。
「あれ…えっ! ちょっと待ってください。
ちょっと待ってくださいって。
んじゃひょっとして…。
そんな
これから?」
「おう、そうだ。」
ワダは眉間にシワを寄せ、深くうなずく。
――
「お前、俺の
まだ関係ねぇと思ってるだろ。」
「オレ、車で待ってようかなぁと。」
「車と一緒に海に沈めるぞ。
お前は俺ら兄弟の、酒の
笑っては見せたがワダも気が沈んでいる。
分家となってから起業した兄弟同士、
部下の数や能力で自慢をし合う仲だったので、
今回の呼び出しは、互いに参っていた。
「んで、組長はどうすんすか?」
「たまには挨拶に来いと
それ以上、どうとも言われてねえしなぁ。
そもそもよぉ。35のおっさんがだ。
20の姪っ子相手になにができんだって話だ。」
「いやでもオレが女なら
「んな気持ちの悪い仮定の話で、
お前に
言われた
「どうせまた、家族のつまんねぇ
付き合わされるだけだろ。」
――だけではなかった。
「なんで俺が引きこもりの説得せにゃならん。
ワダは
ハナジャコ|(ヒメジという赤い小魚)の干物を
かじっていたら無理な頼みをされた。
「そりゃお前にしか頼めんからだ。
嫁も
口の周りにヒゲを
「ふたりの言う通り、
「そのおふたりは?」
「嫁入りだって喜んで、
「だからふたりがいない今日に呼んだのかよ。
ちゃんと家族会議しろよなぁ。
そもそも引きこもりなんて、
俺らの姉貴もやってたろ。」
「ヒメ姉さんくらい本家の偉い立場ならともかく、
こっちは分家で
ここでつまづいたまま、
転落人生ってのもなぁ。」
「転落人生って決めつけるのも
いかがかと思うぜ。」
「しかし久々に組長見たら
男前過ぎてびっくりしやしませんか?
娘さん。」
今度は
「んなこと、するわけない。
こいつとウチの娘は、
子供んときから知ってんだ。」
「最後に会ったの、10年前くらいだぜ。
覚えてねえって。」
「お前、新聞にも載ってたろ。
見たぜ。イケメン組合長だって。」
「取材されてましたもんね。組長。」
軽く頭を小突いた。
「いまどき地方紙なんて、
誰も読まねえと思ったら。いたわ。」
「いいから頼むぜ。ダメ元だが。
説得できたら今度なんかおごるから。」
「そんな期待、してねえよ。」
深々と頭を下げて頼む
ワダは重い腰を上げて、2階へと上る。
しかし階段にある可愛い姪っ子の家族写真は、
数年前から止まっている。
娘には
とは余計な心配だ。この引きこもりこそが、
娘の遅い
ここへ来る前の最悪の予想が見事に当たって、
大きなため息をついた。
「
ワダは彼女の部屋の前に立つ。
15もトシの離れた娘を相手に、
どのように接すればよいものか、
扉をノックするまで考えてはいなかった。
それからなるべく穏やかな口調を心がける。
「
昔会ったことあると思うが、
まあ覚えてないだろうな…。
兄貴、君のオヤジに話を聞いたよ。」
「
まさか返事があるとは思わず、
1階に戻ってハナジャコを食べようと
背を向けた瞬間だった。
おいちゃんとは懐かしい響きだが、
これが成人女性から発せられたと思うと
「ははは…。いま話はできるか?」
「入っていいよ…。」
扉の向こうで相手が顔を確認できないのを
いいことに、ワダは黙って渋い顔を見せた。
――入りたくねぇ…。
引きこもりの部屋など、
溜め込んだ
身の毛がよだつ思いで扉を開けた。
「失礼するよ。」
ワダが想像したものとは違い、
大きなゴミ袋も、変色したペットボトルもない。
風呂に入らず、トイレにも行かないような、
そんなワダの想像の中にある
引きこもりではなく
扉に鍵さえ掛けないあたり、
しかし女性の部屋と呼ぶにも殺風景だった。
――
タンスの防虫剤の臭いが鼻につく。
ベッドの隅に寝間着姿をした黒髪の女が座り、
大きなクマのぬいぐるみを抱いている。
これが引きこもりの正装だろうか。
ワダが姉妹ふたりに買い与えたものだった。
目元が兄の骨格に似ているのか、色気はない。
それに濃い眉毛に薄い表情。
――子供の頃から変わってないな。
それが久しぶりに再会した姪への第一印象。
明るい妹に比べ、姉の
それとも
「久しぶりだねぇ――。」
「大きくなった。」と付け加えようとも考えたが、
「父親に似て。」と勘ぐられても困るので省略。
本人が好きで似せているわけでもない。
それに自室に籠もっていれば化粧の必要はない。
進学校育ちで化粧を必要としなかったのか。
いままで外見に
彼女は環境に恵まれているのかもしれない。
しかし、
悪意を持つ
「お久しぶりです…。
あの、パパがなにか言ってましたか。」
「…心配してたよ。」
あのクマかイノシシのような顔の父親を、
娘がパパと呼ぶので笑いをこらえた。
「おいちゃんにまで…。
パパは世間体しか考えてないんです。
私は
だから私はこうして岩になるの…。」
「岩ねぇ。
…じゃあ兄貴を困らせるために、
ずっと岩になってるのか?
岩でいるわけじゃないだろう。」
「おいちゃんなんて恵まれてるんだから、
私の気持ちなんてわかんないでしょ!」
他所の家の事情など知ったことではないが、
会話を
「まぁ自慢じゃないが、それはよく言われるね。
ひとは
俺だってそれを
ワダを招き入れた
しばらく会話をする気がなさそうなので
よくある
「遊んでそうに見える俺でも、
見えないとこで努力してるんだぞ。
食事制限は当然、毎週ジムに通ってるし、
海の上だと
日焼け止めを絶対に欠かさない。
髪なんて紫外線と潮風で傷むから大変だ。
爪だって手入れしてんだぜ。ほれ。」
両手の甲を向けて爪をよく見せると、
ぬいぐるみから顔を突き出して細い目を見開いた。
日焼けして肉のついた太い指だが、
手にはクリームを欠かさず塗っている。
仕事で使う
「俺だって
まだ若くて
これも
バカな
成人した娘の引きこもりを
理解ある両親に恵まれてるのもいいな。
酒の席に無理やり付き合わされることもない。
俺なんて漁協の組合長になって大変だぜ。」
そう言うと、会話をしてくれる気になったのか
「新聞見たよ。
おいちゃんは自由で
パパがよく言ってた…。」
「自由ぅ~?
俺なんて兄貴から呼び出されただけで、
こうして犬のように
いまは会社もあるし、しがらみだらけの人間だ。
それなら
「じゃあ私でも、おいちゃんと結婚できますか?」
「はぁ? いや、待て待て。
じゃあじゃないでしょ。じゃあ、じゃ。
こんなおっさんをからかうんじゃないよ。」
軽く
和田の反応を面白そうに眺めている。
「
俺も若い頃はそこそこ遊んでた。
結局、女と付き合うのもしがらみに感じて
いまはこうして独身を
和田は部屋の
勝手に腰掛けて、
存在感は無いに等しいのですぐに無視した。
「それに
「えっ。」
「だってそうだろ?
誰かがなにかして来るのを待ってたわけだ。」
否定をしかけたが、
ぬいぐるみの頭に口づけをして
「そりゃ兄貴たちは色々と経験してるから、
あれやこれやとアドバイスしたくなる。
結婚すればきっと得られるものもあるだろう。
これまでを否定したいわけでもないだろ。」
目線を下げたままだが、うなずいてはくれる。
「でなきゃ
一生実家暮らしでもするなら別だが、
成人すればいずれは家を離れる。
――甘え。…とは、昔の言い方か。
和田がそう考えて頭を
「甘え、てるかな…。」
「いや、甘えて困らせるのはいいと思うぞ。
どうせ兄貴は甘えであっても喜ぶだろ。」
言ってから、ひとついい案が浮かんだ。
「いっそひとり暮らしでもしたらどうだ。」
「へっ? ひとり暮らし?」
「
遅かれ早かれするつもりだろ?
兄貴は過保護なくせに、甘いんだから
甘えられるウチは甘えちまえ。」
「なんなら俺も
「ホント?」
「まあ、俺が言って説得できるとは思わんが。」
目を輝かせる
兄に対する罪悪感が
「でぇっ!」
扉を開けた途端、汚い悲鳴と綺麗な
どうやら盗み聞きをしていた
扉にぶつかり壁に頭を打ったらしい。
廊下には
「
胸ぐらを
細身の和田でもその程度の力は持ち合わせる。
「いやぁ、組長が遅いんで旦那とね、
ふたりがしっぽりやってんじゃねえかって
話したら俺ひっでー怒られて、
言われて
「クズかよ。兄貴もさぁ。」
「いや、スマン。で、どうだった?」
「
ふたりのデリカシーのなさに、
和田は
痛がりつつ
邪魔にならないように頭を踏みつけた。
廊下にはぬいぐるみを抱いたままの、
「パパ…。」
「ミカちゃん…。」
――あれ? ミカって呼んでんの…?
兄の親バカっぷりを目の前で見せられ
「ワガママ言ってごめんなさい。
ママとサクちゃんにもあとで謝るね。」
「いや、ミカちゃんがつらかったのに
助けになれなくて、パパは情けないな…。」
ミカちゃん――もとい、
「それで、パパ。
私ね、ひとり暮らししてみたいの。」
「そうか…。いや、聞いてたが…。」
「おいちゃん…。」
巻き添えついでに一応ひとこと告げておく。
「兄貴もいい加減、子離れしとかないと。
今度はもっと
――引きこもりの
「ひとり暮らしの話はあとでママと…、
待て、こいつの家はパパ、ダメだぞ。」
「それは俺も断っておく。」
「あはははは。
組長と娘さんは釣り合わないでしょ。
俺もいるんで、
笑われた
再度説得を要する事となった。
今度は兄の
天井にぶつけて潰すほど高く上げた。
「なぁ、
海と山どっちが好き?」
「え…。怖…。」
「山でじっくり菌類に分解されるのと、
魚と一緒に海で泳ぐの。
どっちがいいかって話だよ。」
「う…どっちも…いやです。」
質問の意味が理解できたようで、
ねじ切りそうな勢いで鼻息を荒くしている。
荒れていた昔の彼を思い起こさせて
ワダはそれを懐かしむ。
「
俺がつけるべきなんだが…。ところでだ、
お前は他人の結婚にとやかく言えた立ち場か?
それともそういう仕事にでも
「いえ…。その――。」
「んーじゃあ結婚する気は?
あぁ、中古で車も買ったし、
一緒にドライブする相手も欲しいもんな。
俺の
「いえ…じゅ、充分…いただいて…ます。」
「お前のその口は、
海底の砂でもすくうために付いてんのか?
そのトリ頭使って考えてみろ。
「す、ずんばぜん…。」
息苦しさと
涙とよだれと鼻水が混ざって
「どした? 兄貴。」
「ぐぁははっ…。
いや、だってこいつの顔、おかしいだろ。」
ゆでダコかサルだかわからない
「いまさらかよ。
このアホを顔で
笑って許せるなら許してやってくれよ。」
「おし。笑おう。」
生まれつきの顔を笑ってやるのは
しかし、埋める沈める『本家流』よりはマシだ。
怒ってふたりを追い出さないところを見る限り、
問題はなさそうだ。
和田は階段を降りて、
遅くなったが彼女の成人祝いに用意した
――――――――――――――――――――
本作はフィクションであり、
実在の人物・地域・団体などとは
一切関係がありません。
参考元:
山の神講(オコゼ):尾鷲市(三重の伝統行事-東紀州地区)
https://www.youtube.com/watch?v=zJfpr8ag2V0
三重県観光連盟公式サイト「観光三重」
https://www.kankomie.or.jp/event/detail_39567.html
一日一魚 ヒメジ(ハナジャコ)
https://www.city.owase.lg.jp/public/ichigyo/kyounosakana/140419.htm
Hide-ous 望むものはなんですか? 下之森茂 @UTF
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