52 王妃様の心遣い


「あなたがさらわれたと聞いて、本当に心配していたのよ。あなたには何のとがもないというのに……。ひどい目に遭ったわね。サランレッド公爵を庇って傷を負ったと聞いたわ。傷の具合はどう?」


 驚いて顔を上げた視線が、王妃様とぶつかる。


 瞬間、王妃様は事情を知った上で、あえてお声をかけてくださったのだと理解した。


 私が蔑まれているのを見て、少しでも私を慰めようと、自らの評判が落ちる可能性もいとわず、話しかけてくださったのだと。


「王妃様……」

 王妃様の心遣いに涙があふれそうになる。


「はい、もう怪我はすっかり……。数日もすれば、傷も消えてしまいます」


 王妃様の思いに応えるべく、手を握り返す。


「それはよかったわ。あなたの可愛らしい顔に傷が残っては大変だもの」


「僕も……。とても心配していました」


 王妃様の隣に立つティアルト様が、つぶらな瞳に不安をにじませて私を見上げる。


「兄様がエリシア嬢を助けたと聞きましたが……。とても大変だったんでしょう? 帰ってこられてから、兄様はずっと部屋に閉じこもってしまわれて……」


「っ!」


 前ぶれもなくもたらされた情報に、思わず息を飲む。


 そんな……っ! 部屋にもられるほどのショックを受けられたなんて……っ!


 己が犯した大罪を突きつけられて、目の前が真っ暗になる。


「エリシア嬢」

 王妃様に強く手を握られ、かろうじて我に返る。


 そっと私に身を寄せた王妃様が低い声で囁いた。


「実は……。今日、強引にあなたを誘ったのは、レイシェルト様のことがあったからなの。誘拐事件の日以来、ご様子がどうにもおかしくて……。レイシェルト様のお心をこんなに乱すなんて、あなた以外に考えられないわ。ねえ、あなた達の間に、いったい何があったの?」


「申し訳ございません……っ!」


 抑えきれない涙があふれそうになり、ぎゅっと目を閉じ謝罪する。


「すべて、私が悪いのです……っ! 私が務めを放棄したばかりに、レイシェルト様を傷つけてしまい……っ!」


「務め? どういうことなの? 納得がいくように説明してちょうだい。レイシェルト様ったら、あんな態度を取るなんて……。あなたの前で見せていた輝くような笑顔がもう見られないなんて! 損失よ、これは! わたくしの公務への張り合いにも大いに関係してくるもの! だからちゃんと――」


「王妃様、ご機嫌うるわしゅうございます」


 王妃様が身を乗り出そうとしたところで、お母様の恭しい声が割って入る。


 視線を向けた先にいたのは、豪華なドレスを纏ったお母様と、まるでレイシェルト様に合わせたように銀糸で刺繍を施された白いドレスを纏ったセレイアだった。


「まもなく神前試合が始まりますわ。今回はセレイアが光神アルスデウス様に祈りを捧げる役目を果たしますのよ。取るに足らぬ者へのおたわむれはそのくらいになさって、神殿へお越しくださいまし」


 お母様が恭しく王妃様へ告げる。まるで存在すらしないと言いたげに、私には視線ひとつ向けない。


 王妃様がきっと目をすがめた。


「取るに足らぬ者? わたくしの大切なお友達を侮蔑する気でしたら、ただではおきませんわよ?」


「い、いえ……っ! とんでもございません!」


 王妃様のまなざしに気圧けおされたお母様がかぶりを振る。恭しく割って入ったのはセレイアだ。


「お許しくださいませ、王妃様。母はわたくしが大役を務めるとあって、気が張っているのですわ。お姉様がお邪魔になってはいけないと、気を遣っただけなのです」


 愛らしい面輪に聖女としての自信をみなぎらせたセレイアは、豪奢ごうしゃなドレスと相まってまぶしいほどだ。だけど……。


「セレイア、大丈夫……?」


 無意識に一歩踏み出し、セレイアに手を伸ばす。

 何だか、いつもより元気がないような……。


「さわらないで!」


 ぴしゃり! とセレイアが私の手を払い落す。


「わたくしは光神アルスデウス様に祈りを捧げる大役を担っているの! 邪悪の娘がわたくしに穢れをうつすつもり!?」


 セレイアが目を吊り上げて言い放つ。


 けれど、セレイアの罵声より、私の心を捕らえたのは。


「もしかして、熱が……っ!?」


 私の手を叩き落としたセレイアの手の熱さだ。


 かすれた声で問いかけ、はっと気づく。


 そうだ。誘拐事件からこっち、屋敷の神殿に行けていない。

 もしかしてセレイアは冷たい水を浴びて、そのせいで……!?


 セレイアが怒りの炎を目に宿して私を睨みつける。


「そんな顔をしてもごまかされないわよっ! わたくしを陥れるために仕組んだんでしょう!? さすが邪悪の娘ね! 手の込んだ嫌がらせだこと! 今日が聖女としてこの上なく大切な儀式だと知っていて……っ!」


 私を睨みつけるセレイアの目は、矢のように鋭い。


「ち、違……っ!」


 これ以上、口をきくのも嫌だと言わんばかりにきびすを返したセレイアが、私を無視して歩き出す。


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