42 馬車を襲った目的は――。


「なんだお前達は!? この馬車がサランレッド公爵家の馬車と知っての狼藉ろうぜきか!?」


 血の気の引いた青い顔で、それでもお父様が毅然きぜんとした声で侵入者を誰何すいかする。私は驚きと恐怖で声ひとつ出せない。


「もちろん、知ってのことさ」


 リーダー格らしい男が、覆面のせいでくぐもった声を出す。


「おとなしくしてくれりゃあ、こっちも手荒な真似をしないで済む。お偉い公爵サマなんだ。その程度のことはわかるだろ?」


 リーダーの男の言葉に、後ろの二人が品のない笑い声を上げる。


 三人とも腰に剣をいている。こちらが抵抗すれば、ためらいなく抜く気だろう。


 さっきからずっと、かたかたと音が聞こえる。それが己の歯の根が恐怖に噛み合わない音だと、私はようやく気がついた。


 怖い。震えが止まらない。


 どうにかして逃げられないかと、恐怖にろくに動かぬ頭で男達を見回す。


 馬車の扉は片側だけだ。小窓は人が通り抜けられるほど大きくはない。


 公爵家の立派な馬車とはいえ、男が三人も乗り込んできた馬車の中は手狭だ。男達の包囲を破って外へ飛び出すなど不可能だろう。


 もし外へ出られたとしても、外には何人の仲間が待ち構えているのか、ここからではわからない。


「何が目的だ!? 金か!?」


 気圧けおされまいとするようにお父様が声を張り上げる。


 今日、購入したドレスなどは、後日届けられることになっているので、馬車に高価な荷は何もない。けれど、お父様や私の絹の衣装だけでも、十分な価値があるのかもしれない。


「金だというのなら、十分な金額をやろう。必要な金額を――」


「問答につき合う気はないんだよ。警備隊が来る前に引き上げなきゃならないんでな」


 交渉しようとしたお父様の言葉を、男が乱暴に遮る。


 そうだ。ここは貴族街の一角だ。こんなところで馬車が襲われていたら、すぐに警備隊に通報が行くに違いない。


「わけもわからず襲われて、従順に従うことなどできるか! お前達のようなごろつきなど、すぐに警備隊が追い詰めて捕まえるぞ! おとなしく退くなら今のう――」


「ごちゃごちゃうるせぇ奴だな。少し黙ってろ!」


 不意に後ろにいた濁声だみごえの男がさやごと剣をベルトから引き抜きながら一歩踏み出す。


 黒い靄が一瞬にして身体から湧き上がり。


「お父様!」


 考えるよりも早く勝手に身体が動く。

 同時に、がつっ、とこめかみに固いものが当たる。


 一瞬、頭が白くなるほどの痛みと、次いで生温かなものが顔を伝う感触。


「おいっ! 娘のほうには傷ひとつつけるなって言っただろう!?」


 鋭い怒声が響き、よろめいた身体を無理やり引き寄せられる。


「嫌……っ!」


 恐怖のままに身をよじらせて暴れる。だが。


「っ!?」

 リーダー格の男が分厚い布を口元に押し当てる。


 強いお酒のような不快な臭いを反射的に吸いこんでしまい。


 底無し沼に落とされたかのように、私の意識は暗い闇の中に沈んでいった――。



   ◇   ◇   ◇



「本当に出来の悪い子」


「なんでこの程度の問題も解けないんだよ」


「汚らわしい邪悪の娘!」


「寄って来ないでくださる? 穢れがうつったら困りますもの」


「本当に、消えてくださったらよろしいのに」


「あんたなんか産むんじゃなかった!」


 前世でも今世でもさんざん投げつけられた侮蔑の言葉が、重みを持ってどんどん身体の上に降り積もる。


 苦しい。息ができない。

 このままじゃ、押し潰されちゃう。


 助けて。誰かっ! レイシェルト様……っ!


「う……」


 低く呻いて重いまぶたをうっすらと開ける。


 途端、目の前に渦巻いていたのは夜の闇――ううん、違う。


 これは、私の心が生み出した黒い靄だ。


 もう一度目を閉じ、消えてしまえと強く念じる。


 大丈夫。確かに私は出来そこないの邪悪の娘だけど、私の全部がどうしようもないわけじゃない。


 たったひとつ、私の中で燦然さんぜんときらめくものがある。推し様への熱い思いが。


 たとえ、太陽の輝きに照らされているだけで、自分では光を放てない石ころだとしても。推し様のおかげで、心にきらめく感情が生み出されるのは確かだから――。


 気を抜けばふたたび甦りそうになる恐怖や罵声の数々を胸の底に押し込める。「大丈夫、大丈夫」と呪文のように心の中で呟き、風が塵を吹き飛ばすようなイメージで、自分自身の靄を祓う。


 もう大丈夫だろうと、ゆっくり目を開けたところで。


「お嬢様、お目覚めかい?」


 降ってきた声に、びくりと身体を震わせる。

 同時に、意識を失っていた理由を思い出した。


 そうだ。覆面の男達に馬車に乗りこまれて、変な臭いのする布をかがされて……。


 思い返そうとすると、左のこめかみがずきりと痛む。反射的に手をやろうとすると、


「さわらねぇほうがいいぜ。手当はしておいたからな」


 と男から声が飛んで来た。声から察するに、馬車に乗りこんできたリーダー格の男だ。後ろにもう一人いる男もきっと、馬車に乗りこんできたうちの一人だろう。


 覆面をかぶったままの男に視線を固定したまま、ゆっくりと身を起こす。


 手のひらに粗削あらけずりな木目きめがふれる。どうやら、木箱をいくつか並べて簡易ベッドにした上に寝かされていたらしい。


「お父様は……っ!? それに、ここはどこですか……っ!?」


 周りを見回しながら男に尋ねる。


 どこかの古い民家か店舗だろうか。部屋の中はさほど広くなく、物はほとんどない。窓はあるが、板が打ち付けられていて外はまったく見えなかった。板の間から差し込む弱々しい光に、まだ日が暮れていないとかろうじてわかる程度だ。


 部屋にいるのは私と男達の三人きりで、お父様の姿はない。


 ここはどこなのか、目の前の男達は何者なのか。そして、馬車を襲った理由は何なのか。


 私にはまったく何もわからない。


 問いかけに、なぜかリーダー格の男が驚いたように口笛を吹いた。


「へぇ。かなり強いよどみを吸わせたのに、起き抜けにふつーにしゃべれるなんて、さすが邪悪の娘サマだな。その見事な黒髪に黒い目……。こりゃあ期待大だ」


「どういう意味ですか……?」


 男の言葉に、ひたひたと嫌な予感が胸に押し寄せる。


 手足を縛られていないのは、かよわい娘一人、どうとでもなると侮られているからだと思っていた。


 けれど、こめかみを手当てされているところといい、男の台詞といい……。


「馬車を襲った目的は、もしかして私……?」


 震える声で問うと、覆面から唯一のぞく目が弧を描いた。


「察しがよくて助かるぜ」


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