41 お父様と初めてのお出かけ
「だんな様、申し訳ございません。この先で荷車が事故を起こし、通行止めになっているそうでして……。回り道いたします」
御者台から遠慮がちにかけられた言葉に、お父様が
私がいつも借りている貸馬車とは異なり、サランレッド公爵家の家紋が入った馬車の内装は見事だった。
ふだん使い用の質素なほうの馬車とはいえ、小窓にかかったカーテンは絹だし、クッションだってふこふこだ。
思えば、サランレッド公爵家の馬車に乗ってお父様と二人でお出かけするなんて、生まれて初めてだ。
「お父様。今日は本当にありがとうございました」
私は向かいに座るお父様に深々と頭を下げてお礼を述べた。
レイシェルト様が公爵家に私を迎えに来てくださった翌日、お父様はレイシェルト様に約束した通り、私を高級服飾店に連れて行ってくださった。
まさか、本当に実行されるとは、と目を白黒させていた私を馬車に乗せたお父様は、お店に着くなり、
「王城へうかがう公爵令嬢にふさわしいドレスを、必要なだけ見繕ってくれ」
と私を店員さんに引き渡し、
「ではまた迎えに来る」
とだけ言い置いて出て行ってしまった。
初めて訪れた高級店で私がパニックに陥らなかったのは、ひとえに、よく教育された店員さん達のおかげだ。
内心では「邪悪の娘なんかが、由緒ある高級店の敷居をまたぐなんて……」と苦々しく思っていたかも知れないが、誰一人そんな素振りはおくびにも出さず、丁寧に応対してくれた。
冬用の厚手のドレスだけでなく、毛皮の房飾りがついた美しい外套、あたたかな手袋や靴……。
生まれて初めての高級店でのお買い物に、金額を考えて
さまざまな色に染められた絹の布地はみているだけでわくわくしたし、繊細なレースの数々や
今まで私が来ていたドレスは、マルゲがサイズを測って発注してくれていたので、自分自身でお店に行って選んだ経験なんてなかったのだ。邪悪の娘である私を、できるだけ離れから出したくなかったためだろう。
それが、急に高級店へ連れて行ってもらえることになるなんて。
レイシェルト様の言葉がもたらした威力の大きさに驚愕すると同時に、お母様が行っていた通り、本当に私などが王城に出入りしていいものか不安になる。
「礼など別によい。これは必要な投資だからな」
私の感謝の言葉に、にこりともせずお父様が返す。私ではなく、どこか遠くを見つめるまなざしは、何を考えていらっしゃるか読み取れない。
「まさか、聖女であるセレイアではなく、お前のほうをお気に召されるとはな……。まったく、ままならぬものだ」
低い声で呟いたお父様が疲れたように吐息をこぼす。
「い、いえっ。レイシェルト様は決して私をお気に召してなんて……。
身を縮め、ふるふるとかぶりを振る。
レイシェルト様が私を気遣ってくださるのは、私がファンだと知ってらっしゃるからだ。
こんなに細やかで手厚いファンサをしてくださるなんて……っ! 本当にもう、レイシェルト様は尊すぎますっ!
でも、お忙しいのですから、ファンサより、もっとご自身を大切になさってください……っ!
レイシェルト様が健やかにお過ごしくださっていることこそが、ファンにとって一番の幸福ですから!
「身の程をわきまえているのは賢明なことだ」
私の返答にお父様が満足そうに頷く。
「王太子殿下の一時の気まぐれという可能性は十分にありえる。今後とも、過分な望みは抱かぬほうがよかろう。ただ……」
「ただ、何でございましょう?」
お父様の呟きに、首をかしげて問い返す。
「いや……。お前を通じて、王太子殿下とセレイアが親しくなってくれれば、我が家も安泰だと思ってな。まもなく神前試合がある。そこでセレイアを見直してくださればよいが……。お前も、姉としてセレイアの栄達は望ましいことだろう?」
「はいっ、それはもちろん……っ!」
セレイアならば、神前試合の祈りも立派にこなし、ますます聖女の地位を確固たるものにするだろう。
レイシェルト様とセレイアなら、並び立つ姿もまぶしいほどにお似合いだ。心からそう思う。
なのに。
つきん、と胸の奥が痛くなる。
レイシェルト様が名声を高められ、ますます光り輝く存在になられるのは、ファンとして、この上なく嬉しいはずなのに。
ずきずきと胸の痛みが止まらない。
……そっか、これが……。
この初めての感情が何なのか、ようやく気づく。
前世の心友・みっちゃんが言っていたことを思い出す。
これが、推し様の恋愛報道が発覚した時に、言いようのないつらさと虚無感に襲われるというファン心理……っ!
みっちゃん! 私いま、オタクの階段をもう一段上ったよ!
確かみっちゃんが言ってた。こんな時、ファンにできることはただ、心を無にして推し様のお幸せを祈るだけ。痛みは耐えるしかないって……っ!
心友の言葉を胸の中で噛みしめていると。
「だ、だんな様っ!」
不意に御者台から叫び声が聞こえた。
同時に、馬が激しくいななき、馬車が揺れながら止まる。
「ひゃっ!?」
投げ出されそうになり、あわてて小窓にしがみつく。
「何事だ!?」
顔を緊張に強張らせて叫んだお父様の声に応じるように、がんっ! と大きな音が鳴り響き、扉の鍵が叩き壊される。
かと思うと、馬車の扉が乱暴に開け放たれ、覆面をかぶった三人の男達が乗り込んできた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます