43 こいつの絶望から生まれる澱みはどれほどのモンになるんだろうな?


「どうして私なんかを……っ!?」


 公爵家の当主であるお父様が目的だったというのなら理解できる。


 もしかしたら政敵がお父様の妨害をしたかったのかもしれないし、そうでなくとも、当主の身柄と引き換えに身代金を要求すれば、とんでもない額が支払われるだろう。


 けれど、何の権勢も財力もないどころか、邪悪の娘として蔑まれている私を狙う意味なんて――。


 そこまで考えて気づく。


 ついさっき、男は私のことを「邪悪の娘サマ」と呼んだ。しかも、澱みを私に吸わせたと。ということは……。


「あなた達は、邪教徒なんですか……?」


「どうやら邪悪の娘サマは察しがよすぎるみたいだな」

 男が覆面からのぞく眉をわずかに寄せる。


「わ、私っ、邪悪の娘と呼ばれてますが、何の力もありませんっ! 解放してください! それに、お父様は……っ!?」


 声が震え、ひびわれる。


 まさか、邪教徒の標的になるなんて、思ってもいなかった。


 いったい何を求められるのか。

 怖くてたまらない。がたがたと身体が震える。


「ぴぃぴぃうるせぇ娘だな!」


 苛立たしげな濁声だみごえに、びくりと身体を強張らせる。


 口を開いたのは、それまで黙っていたもう一人の男だ。荒々しい濁声に、剣の鞘でお父様を殴ろうとしていた男だと気づく。


「本当にこんな娘が邪神ディアブルガ様復活の鍵になるのかよ? 確かに真っ黒な見た目だが、それ以外はその辺の小娘と変わらねぇじゃねえか」


 『邪神ディアブルガの復活』という不穏極まりない言葉に、さらに恐怖が募る。


「わ、私に何をさせる気なんですか……!? 私、邪法なんて使えませんっ!」


 訴える声がどうしようもなく震え、かすれる。


 逃げなくちゃと思うのに、恐怖で頭が真っ白になって何も思い浮かばない。


 己で己を抱きしめ、がたがた震えていると、濁声の男の目がさらに胡乱うろんげに細まった。


「おい。危険を冒してさらったはいいが、役立たずだったっていうんじゃシャレになんねぇぜ。でもまぁ……」


「ひっ」


 好色そうなまなざしを向けられ、喉の奥で悲鳴が潰れる。


「こいつが邪悪の娘だっていうんなら、こいつの絶望から生まれる澱みはどれほどのモンになるんだろうな?」


「よせ」


 ぎし、と床板を鳴らして踏み出した男を、リーダー格の男が短く制止する。


「まだ手は出すな。邪悪の娘サマには、イロイロと使い道があるんだとよ。しばらくは大切に扱え。ま、その時が来れば――お前の好きにできるかもな」


「そいつは楽しみだ」

 覆面越しに男が下卑た笑いをこぼす。


 怖い。うまく息ができない。

 今すぐ耳をふさいでここから逃げ出したい。


 心を覆う恐怖に応じて、じわりじわりと私の足元から黒い靄がしみ出してくる。


 消えて消えて、と心の中で必死に念じる。


 これが澱みの素なのだとしたら、黒い靄が見えないのだとしても、男達に知られるわけにはいかない。


 けれど、祓っても祓ってもつきぬ恐怖を源泉に、黒い靄はどんどんしみ出してくる。


 だめだ。もっと楽しいことを考えないといけないのに。

 恐ろしい想像が止められない。


「なぁ、傷つけなけりゃあいいんだろ? こんなに怯えてるんだ。きっといい澱みが取れるぜ? 少しくらいなら――」


 舌なめずりするような声で言いながら、濁声の男が前に出る。


「いや……っ」


 反射的に後ずさろうとした背中が固い壁に当たる。

 逃げられないという絶望が、心を塗り潰そうとし――。


 不意に、空気がざわめく。


 聞こえてくるのは、いくつもの怒声と叫び声。鋼が打ち合う音と、何人もの乱れた足音。


 男達の反応は素早かった。

 即座に腰の剣を抜き放ち、扉を振り返ったところで。


 ばんっ! と扉が蹴り開けられる。


 リーダー格の男が反応するより早く、抜身の剣を手に踏み込んできたレイシェルト様の剣が肩に突き立つ。


 「ぐぅっ」と呻いた男の右手首を、素早く剣を引き抜いたレイシェルト様が斬りつける。


 がらん、と剣を落としたリーダー格の男を無視し、レイシェルト様が強引に前へ出る。


「てめぇっ!」


 濁声の男が振るう剣を受け流し、巧みに位置取りを変えたレイシェルト様が、私を背に庇って剣を構える。


「エリシア嬢! 無事かっ!?」


 いつもの穏やかな美声とは打って変わった険しい声。


「は、はい……っ!」

 反射的に頷きながら、これは夢ではないかと疑う。


 心に思い描いたレイシェルト様が、私を助けに来てくださるなんて。


「この建物は警備隊が包囲している。無駄な抵抗はやめて投降しろ!」


 油断なく剣を構えたレイシェルト様が告げる。

 が、濁声の男は戦意がくじかれるどころか、笑い出した。


「ほんとに王太子が助けに来るとはな! 邪悪の娘サマサマだぜ! まだ二対一、こちらの有利は変わらねぇ」


 濁声の男の後ろで、リーダー格の男が、血を流しながらも立ち上がる。


 部屋の外から聞こえる音はますます近づいてきているが、戦況がどうなっているのか、ここからではわからない。


「へへっ」

 と濁声の男があざけりの声を上げる。


「一人で先走ったのを悔やむんだな。待ってな。お前を動けない程度に痛めつけてたら、目の前で邪悪の娘サマをひんいてやるからよぉ。せいぜい指をくわ――」


「貴様っ!」


 レイシェルト様の声が激昂にひび割れる。

 一瞬にして、黒い靄が全身から炎のように立ち昇った。


「エリシア嬢には指一本ふれさせん!」


 電光石火で踏み込んだレイシェルト様の剣が、男の剣を跳ね上げる。


 がら空きになった胴に、素早く剣を引いたレイシェルト様の突きが叩き込まれる。


 絶叫が響くがレイシェルト様の攻撃はまだやまない。

 黒い靄がレイシェルト様の全身を覆い隠すほどに濃く大きく湧き上がる。


「だめ……っ!」


 このままでは、男を殺してしまう。


 そう思った瞬間。思わず背中に飛びついていた。


「だめです! 私は無事ですから、これ以上は……っ!」

 消えろと念じながら、必死に黒い靄を祓う。


 私のせいでレイシェルト様が人殺しになるなんて、絶対に嫌だっ!


「レイシェルト様……っ!」


 黒い靄がすべて消えたところで。


「殿下! ご無事ですか!?」


 ジェイスさんが他の警備隊員達と一緒に、開いたままの扉からなだれ込んでくる。怪我を負った男達を警備隊員達が、すぐさま拘束する。


「一人で突出されるなんて何を考えてるんですか!? エリシア嬢はっ!?」


「ジェイスさん……」


 黒い靄が消え、呆然と立ち尽くすレイシェルト様の後ろからおずおずと顔を出すと、ジェイスさんがほっと息を吐き出した。


「よかった、無事だったか……っ!」


「は、はいっ。私は何とも……。あのっ、お父様は……!?」


「サランレッド公爵もすでに保護されて無事だ」


「よかった……っ」


 私の巻き添えになってしまったお父様には申し訳なさしかない。


 ほっ、と心の底から安堵の息をついた瞬間、緊張の糸が切れた。


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