40 そんなに頼りなく見えるのかい?


「きみの目から見てわたしは……。そんなに頼りなく見えるのかい?」


「っ!? とんでもありませんっ!」


 息を飲んでかぶりを振る。


「レイシェルト様はいつだって素敵で高潔で光り輝いていらっしゃって、非の打ち所がない素晴らしい御方で……っ! 存在なさっているだけで空気まで芳しく色づいてゆくほどの至尊の御方でございますっ!」


「……目の前できみにそこまで褒められると、照れてしまうな……」


 レイシェルト様が頬をうっすらと染めて視線を揺らす。


 はぅわっ! その恥じらいの表情、見惚れずにはいられない色気が漂いすぎていて、鼻血噴出ものなんですけど……っ!


 つい脊髄反射せきずいはんしゃで推し語りをしちゃったけど大丈夫!? レイシェルト様に呆れられたりしていないっ!?


「……ともかく」


 ひとつ咳払いしたレイシェルト様が、正面から私を見つめる。


「わたしは、他の誰でもないわたし自身の意志で、きみとこうして過ごしているんだ。義母上やティアルトも同じだよ。たとえ、他の者が根拠のない誹謗ひぼうをもとに異を唱えたとしても、それを受け入れる気など、欠片もない」


 きっぱりと、レイシェルト様が迷いなく断言する。


「わたしは、他人の言に惑わされて、己の心を偽るような卑怯者になどならないよ」


 卑怯者。その言葉がきりのように心を貫く。


 聖女の力を持ちながら、そのことを隠している私は、果たして本当にレイシェルト様のおそばにいていいのだろうか――。


「だからね」


 甘い響きを宿したレイシェルト様の声が、思惑しわくの海に沈みかけた私の意識を引き上げる。


「きみには――」

 レイシェルト様が何やら言いかけたところで。


 がたん、と馬車が揺れて止まる。


「あ、あのぅ……。着いたようです……」


 なぜか、顔を赤く染めたロブセルさんが、申し訳なさそうに口を開いた。



   ◇   ◇   ◇



 一人暮らしですし、絵を描くだけですから、そんなに広くなくていいんです。という言葉とともにロブセルさんに案内された小さめの屋敷の北側には、立派なアトリエが設置されていた。


 そこここに置かれた作成途中のレイシェルト様が描かれた絵画の素晴らしさに、来られてよかった……っ! と駆け寄って拝み倒したい衝動をなんとか抑えこみ、ロブセルさんの指示に従って、窓際に置かれたゆったりした肘掛け椅子に座ったのだが。


「あっ、あのあのあのっ!? レ、レイシェルト様……っ!?」


「どうしたんだい?」

 レイシェルト様の美声が、頭の上から降ってくる。


 はぅあぁぁ~っ! 美声が近くて融けちゃいそう~っ!


 って、いや! それどころじゃなくてっ!


 どうして私のすぐ後ろにレイシェルト様が立ってらっしゃるの――っ!?

 しかも、私の右肩にさりげなく片手を置かれて!


「こ、これは……っ!?」


「ああ、せっかく来たのだし、わたしも一緒に描いてもらおうと思ってね」


 うわずった私の声に、さも自然にレイシェルト様が答える。


「それとも、エリシア嬢はわたしと一緒では嫌かい?」


「そ、そんな! とんでもありませんっ!」


 レイシェルト様と一緒に描いていただくということは、つまり、推し様とツーショット写真を撮るようなもの……っ!


 そんなの、光栄すぎてどうにかなっちゃいそうです~っ! いえ、もう今の時点でどうにかなりそうですけど!


「最初は、きみがロブセルに描かれるのを、そばで見ているだけでいいかと思っていたんだけれどね」


 絵を描いていただいている間、レイシェルト様にずっと見られるなんて……っ! そんなの困りますっ! 絶対に冷や汗だらだらで挙動不審になってしまいますからっ!


 ……はっ! けど、その間、私からもレイシェルト様のお姿を見放題に……っ!?


 いやいや無理無理無理っ!

 恍惚こうこつとなって、そのうち忘我の極致で気絶するに決まってるから!


「きみ一人がロブセルに見つめられて描かれるのかと思うと、我慢できなくて」


 肩に置かれたレイシェルト様の手に、わずかに力がこもる。


「す、すみませんっ! そうですよね、私なんかが宮廷画家でいらっしゃるロブセルさんに描いていただくなんて、練習台とはいえおそれ多いことですよね……っ」


 あんなに腕のいいロブセルさんだもの! 私なんかより、レイシェルト様の麗しのお姿をばんばん描いてほしいですっ!


 推し様の絵画は人類の宝! そんな至宝を生み出せるロブセルさんって、本当に素晴らしい……っ!


 心の中でロブセルさんへ賛辞を捧げていると、くすりと小さな笑い声が降ってきた。


「きみの謙虚なところも好ましいけれど……。もう少し、自信を持ってもいいと思うよ」


 肩に置かれていた手がするりと動き、下ろしていた髪をひと房持ち上げる。

 ロブセルさんの要望で、今日は髪を結い上げずに下ろしているのだ。


「つややかで綺麗な髪だね」


 レイシェルト様の美声が近くなり、高貴な香水の香りが淡く揺蕩う。


 え? いま背後で何が……っ!?


 振り返りたいけど、動けない。振り返ってレイシェルト様と目が合っりしたら心臓が爆発しちゃう!


「あの、殿下……。動かないでいただけると嬉しいのですが……」


 正面でキャンパスに向かっていたロブセルさんが、困ったような声を出す。


「ああ、すまない」


 謝ったレイシェルト様が、長い指先で優しく私の髪をひと撫でしてから、肩の上に手を戻す。


 わ、私……っ、今すごい顔をしてるんじゃあ……っ!?


 鏡を見なくても、顔が真っ赤になっているだろうとわかる。


 ばくばくする心臓の鼓動が、置かれた手からレイシェルト様に伝わってしまいそう……っ!


 私、ロブセルさんが描き終わるまで、気絶せずにいられるかな……っ!?


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