28 どちらも確かにわたしだよ


「っ!? あ、あの……っ!?」


 息を飲み、手を引き抜こうと反射的に後ずさった私に、レイシェルト様が哀しげに眉を寄せる。


「そんなに警戒しないでほしいな。ただのレイの時は、手をつないで歩いてくれたのに……」


 もの哀しげな表情に、ずきゅんと心臓が撃ち抜かれる。

 っていうか……。


「あの……。あれは、夢じゃなく、て……?」


「夢などではないよ」


 一歩大きく踏み出したレイシェルト様が、不意に私の腰の後ろに手を回し、身を寄せる。薔薇の薫りよりもさらに高貴で華やかな薫りが揺蕩たゆたい。


「レイシェルトもレイも、どちらも確かにわたしだよ、エリ」


 耳元で甘く囁かれた途端、膝からくずおれそうになる。

 途端、力強い腕にぎゅっと抱き寄せられた。


「も、ももも……っ」


「大丈夫かい? 気を失いそうなら、抱き上げようか?」


 くすり、とからかうように微笑まれ、弾かれたようにかぶりを振る。


「だ、だだ大丈夫ですっ! 申し訳ございませんっ、ふらついてしまいまして……っ!」


 頑張れ私! 奮い立て両足! いくら事故とはいえ、レイシェルト様に抱きしめていただくなんて……っ!


 だ、だめだっ! 尊すぎて昇天しないように、脳が理解を拒んでる……っ!


 ぷるぷると生まれたての子鹿のようになりつつも、なんとかレイシェルト様から身を離そうとすると、


「本当に大丈夫かい?」

 と、心配そうに顔を覗きこまれた。


 はぅわっ! い、いま必死で理性を立て直してるところなのでっ!

 ちょっとの刺激で理性が崩壊して「尊いぃぃぃぃ~っ!」って五体投地しそうなので! こ、これ以上の刺激はお許しください……っ!


「だ、だだだ大丈夫ですっ! そ、そう! 四阿に戻らないとですよね……っ!」


 よろよろと歩き出そうとすると、


「それほど慌てる必要はないよ」

 と、つないだままの手を優しく握りしめられた。


「こんなにゆったりと庭園を散策するのは久しぶりなんだ。一人では寂しいし、きみがつきあってくれれば嬉しいのだけれど。……だめかな?」


「わ、私などでよろしければ……っ!」


 脳が判断を下すより早く、口が勝手に言葉を紡ぐ。


 レイシェルト様にエスコートされて美しい薔薇園を歩くなんて……っ!


 そんな超レアな体験、断れるハズがありませんっ! 地の果てまでもお供させていただきますっ!


「では、行こうか」


 にこやかに微笑んだレイシェルト様が、ゆっくりと歩を進める。


 足元がふわふわして、雲の上を歩いている心地がする。


 え? これほんとに現実? っていうか大丈夫? 地上を歩いてる? いつの間にか、天国に来てるんじゃない?


 不安に駆られて視線を向けると、


「どうかしたかい? 歩くのが早すぎたかな?」

 と高貴な微笑みにぶつかった。


 や、やっぱりここが天国です……っ!


「いえっ、大丈夫ですっ! その……っ」


 何か気の利いたことを言わなくちゃ!


 えっと、もっと薔薇を褒めたらいいかな? でも薔薇よりも高貴で薫り高いのはレイシェルト様だし!


 それとも無難に天気の話? ああでも、レイシェルト様が太陽よりもまばゆい……っ!


 一瞬にして知恵熱が出そうなほど高速回転した脳内に、天啓がひらめく。


 そうだ! 共通の知り合いの話なら……っ!


「そ、そういえば、前に送っていただいた時、途中でジェイスさんと別れてしまいましたけど……。ジェイスさん、無事に騒動を収められたでしょうか……?」


 うんっ! ジェイスさんなら共通の知り合いだし、ナイスチョイスだよねっ!


「ジェイス……?」


 口にした瞬間、レイシェルト様が不快げに形良い眉を寄せる。


 あっ! そばに誰もいないとはいえ、王城で町人街のことを話すのはよくなかったかも……っ。私の馬鹿――っ!


 別の話題がよかっただろうかとおろおろしていると、レイシェルト様が仕方なさそうに吐息した。


「誰に対しても優しいところは、きみの美点のひとつだからね。……実は、翌日にも町人街に行って、ジェイスに話を聞いたんだ。身分を明かしてはいないが、邪教徒が関わっているとしたら、放ってはおけなかったからね」


 さすがレイシェルト様! 責任感にあふれてらっしゃる……っ!


 ほれぼれしている私にレイシェルト様が話してくださったところによると、騒ぎを起こした者達の全員が、酒場で見知らぬ男から酒をおごられていたらしい。


 その酒の中に何か仕込まれていたのだろうというのが、警備隊の見解なのだそうだ。


「酒を振舞った男の人相も聞き出したそうだが、証言がばらばらでね。どうやら、一人ではなく何人もが関わっているらしい。さらに、邪教徒達が根城にしているとおぼしき場所も見つかってね。二日後、警備隊が突入することになったんだが……。ジェイスに頼んで、わたしも加えてもらうことになった」


「えっ!?」


 驚きに思わず声を上げた私に、レイシェルト様が苦笑する。


「身分を隠したままジェイスを説得するのは大変だったけれどね。わたしも邪教徒の一味だと疑われていたようだし。手合わせをして、ようやく納得してくれた」


「いいえ、その……っ。邪教徒達の根城に突入なさるのでしょう? 危険ではないのですか?」


 レイシェルト様が危険な目に遭うかもしれないなんて、考えるだけで恐怖に震えが走る。


 と、私とつないだレイシェルト様の手に力がこもった。


「エリシア嬢の目には、そんなにもわたしが頼りなく見えるのかい?」


「え? とんでもありませんっ! 去年の神前試合で、準々決勝まで進まれていたと存じておりますし……っ!」


「結局、そこでジェイスに敗退したけれどね」


 レイシェルト様の声に、かすかな苛立ちが混じる。レイシェルト様も敗退がかなり悔しかったのだろう。


「で、ですが、優勝候補のお二人の戦いは、素人の私が見ても、見惚れずにはいられないほど熾烈しれつで接戦でした! そ、それに……」


 おそれ多さに、心臓が破裂しそうになりながら、レイシェルト様の手をきゅっと握り返す。


「初めてお逢いした日に、申しあげましたでしょう? あの時は、レイシェルト様だと存じ上げませんでしたが……。こんな立派な剣だこができるくらい鍛錬なさっているのですもの。その努力は、決して裏切らないと思います!」


「エリシア嬢……っ!」


「ひゃっ!?」


 告げた瞬間、前ぶれもなく腕を引かれる。よろめいた身体が、薔薇よりも華やかな薫りとあたたかさに抱きとめられる。


「そんな風に言ってもらえるなんて……っ! きみの応援があれば、今年こそ、優勝できる気がする」


 耳元で聞こえる熱を宿した声。耳朶じだにふれる呼気に、あぶられたあめのように身体から力が抜ける。


 わ、わたっ、いまレイシェルト様に……っ!? えぇぇぇぇ~っ!?


 応援に対するファンサだとしても……っ! 刺激が強すぎて、心臓が爆発四散しちゃいますっ!


 どきどきしすぎて、心臓が口から飛び出しそうだ。頭がくらくらして、身体に力が入らない。


「エリシア嬢!?」


 くにゃり、とへたりこみかけた私を、レイシェルト様がぎゅっと抱きしめる。


 ひゃあぁぁ~っ! 意識が飛んじゃいそう……っ!

 刺激がっ! 刺激が強すぎます……っ!


「も、ももも申し訳ございません……っ!」


 私ちゃんと話せてる!? っていうか息してる!?


 身を離してしっかり立たなければと思うのに、身体に力が入らない。


 嬉しさと恥ずかしさで真っ赤になっているだろう顔を見られなくなくてうつむくと。


「どうして謝る必要があるんだい?」


 美声が耳元で聞こえたかと思うと、次の瞬間、横抱きに抱き上げられていた。


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