27 推し様が微笑んでらっしゃるここは天国……?


 レイシェルト様とお会いするのは、レイ様の正体を知って気絶しちゃったあの日以来だけど……。


 やっぱり、あれは私の願望が生み出した妄想だったんじゃなかろうか。


 レイ様がレイシェルト様なら、同一人物だから、両方を推しても問題なしだろうというオタク心が見せた夢じゃあ……?


 秋の爽やかな陽射しの中、咲き誇る薔薇を背景に歩むレイシェルト様は、一分の隙も無いきらっきらの王子様で、とてもじゃないけれど、身分を隠して庶民のお店に出入りするような方には見えない。


 もしレイシェルト様がヒルデンさんのお店に降臨なさったら、抑えきれないあふれる高貴オーラで店中がまばゆく輝き、馥郁ふくいくたる薫りが漂って、その場が天上の国に変わるに決まってるもの!


 って、あれ? ということは、レイシェルト様が隣で微笑んでらっしゃるここは天国?


 そうよね。推し様がすぐ隣でこんな風に微笑んでくださるなんてありえないもの。私、いつの間に昇天したんだろう……?


「どう? エリシア嬢!」


 ティアルト様の弾んだ声に、意識を手放しかけていた私ははっと我に返る。

 見下ろすと、ティアルト様がレイシェルト様そっくりの碧い瞳を期待に輝かせて私を見上げていた。


「はいっ! とても素晴らしい薔薇園ですね。四阿あずまやの眺めも素晴らしかったですが、近くで一輪一輪愛でるのも格別です」


 お世辞などではなく、心からの思いを込めて告げる。


 そもそも、邪悪の娘である私をお茶会に誘ってくれる令嬢なんていないので、マナーの先生から作法だけは習っていたものの、今日が初めての本番だ。今日が茶会の主催が初めてというティアルト様と大して変わらない。


 でも、初めてのお茶会が王家の方々とのお茶会なんて……。


 初心者が高難度ミッションに挑むようなものだと思う。しかも、レイシェルト様がまばゆすぎて、気を抜くと意識が飛んじゃいそう……っ! っていうステータス異常付きで。


 ちゃんとふるまえているのかどうか、はなはだ不安だけど、王妃様やレイシェルト様は人間ができてらっしゃるから、私が粗相をしても、あからさまには不快感を出されないだろう。


 だけど、せめて純真な笑顔を見せてくださるティアルト様の顔は、落胆で曇らせたくない。


「さすが王城の薔薇園ですね。これほど見事な庭園は初めて見ました」


「えへへ~っ! あのね、あっちにもっとすごいのがあるんだよ!」


 にぱっと輝くような笑みをこぼしたティアルト様が、私の手を引いて薔薇園の中を進んでいく。


 三人が並んで歩いても狭さを感じない通路の両側には、薔薇が咲き誇る生け垣が並び、緩やかなカーブを描きながら、奥へ奥へと見る者を誘う。


 品種が違うのか、赤、白、淡いピンク、濃いピンク、黄色やオレンジ、はたまた花弁の先だけ色が異なるもの……。などなど、進むたびに色が移り変わってゆくのも楽しい。


「ほら! あそこだよ!」


 ティアルト様が弾んだ声で指さした先に見えるのは、支柱につる薔薇をわせたアーチだ。


「まあっ! 素敵ですね! 近くで見てみたいです!」


「うんっ、行こう! こっちだよ!」


 ティアルト様が手を引いてくださる。生け垣はところどころ分かれ道になっていて、私ひとりでは迷いそうだ。


 だが、ティアルト様には慣れた道なのだろう。軽やかな足取りで迷いなく進んでいく。


「わぁ……っ!」


 実際にアーチのところまでくると、思わず歓声が洩れる。


 アーチに使われているつる薔薇は花の大きさこそ小ぶりながら、花の数が多く、薫りも豊かだ。高貴で豊潤な薫りに、空気までもが色づいて見える気がする。


「花の美しさだけでなく、薫りまで素晴らしいですね。どうやってこんな風に隙間なくアーチに絡められるんでしょう……?」


 美しさに魅せられ、ティアルト様とつないでいないほうの手を、薔薇の一輪に伸ばすと。


「危ないよ」


 柔らかな美声とともに、レイシェルト様に指先を掴まれた。


「美しくても、薔薇には鋭いとげがあるからね。怪我をしては大変だ」


「も、申し訳ありません。これほど見事な薔薇をこんなに近くで見たことがなかったものですから、つい……」


 詫びながら手を引き抜こうとするが、レイシェルト様は放してくださらない。と。


「どうしたんだい? ティアルト」


 レイシェルト様の声に振り向けば、ティアルト様が愛らしい顔を赤くして、困ったようにもじもじと身体を揺らしていた。


「ごめんなさい。まだ案内の途中なのに、僕、お手水ちょうず……」


 そういえば、ティアルト様は砂糖とミルクをたっぷり入れた紅茶を何杯も飲んでいた。


「では行っておいで。エリシア嬢の案内の続きはわたしが引き受けるから。先にお義母様のところへ戻っておくといい」


 レイシェルト様の優しい声音に続いて、私も頷く。


「ティアルト殿下。ご案内いただき、ありがとうございました。また後ほど四阿でお会いいたしましょう」


「ごめんなさい。行ってきます!」


 ティアルト様が従者と一緒に小走りに駆けていく。その小さな後姿が生け垣の向こうへ消えたところで。


「やっと二人きりになれたね」


 私の手を握ったままだったレイシェルト様が、指先を持ち上げ、ちゅ、とくちづける。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る