19 悩みがあるんなら俺が聞いてやろうか?
ヒルデンさんのお店のいつもテーブルで、レイシェルト様と一緒のお茶会なんて無理……っ! 砂の柱と化して、瞬時に風化してさらさらと崩れちゃう……っ! いやでもレイシェルト様と直接お言葉を交わせる今後あるかどうかわからない貴重極まりない機会を放棄するなんてもったいなさすぎる……っ! それにティアルト様に直筆のお手紙をいただいちゃったし……っ! ああっ、あのお手紙も可愛かったなぁ~。いかにもちっちゃい子が頑張って書きました! って感じで……。そんなティアルト様の期待を裏切るなんて無理~! 私、ショタの気はないと思ってたけど、新たな萌えに目覚めちゃいそう……っ!
と脳内でめまぐるしく考えながら客待ちをしていた私は、
「おい。さっきから百面相してるぞ? 大丈夫か?」
不意にかけられたぞんざいな口調に「ほえ?」と間の抜けた声を上げた。
お茶会に行くべきか行かざるべきかとハムレット状態だったんだけど……。どうやら、顔にまで出ていたらしい。
というか、フードやヴェールがあるから、鼻から下くらいしか見えないはずなのに、どうして変顔だってわかったんだろう。
「どうした? 悩みでもあるんなら俺が聞いてやろうか?」
そう言いながらテーブルの対面の空いている椅子に座ったのは、町人街の警備隊長をしているジェイスさんだ。
まだ二十代の若さながらも仕事ができると評判で、町人街の人達にも慕われているらしい。うら若い女性達から何度も恋愛相談を受けているので、かなりモテているのだと、密かに知っている。
確かに警備隊長をしているだけあって、長身で鍛え上げられた身体をしているし、濃い茶色の髪と同色の瞳の野性的なイケメンさんなんだけど……。
私の好みは玲様やレイシェルト様みたいな凛々しさと同時に高貴さが漂うタイプなので、女性達がそこまで熱を上げている理由が今ひとつわからない。まあ、確かに気さくで話しやすいとは思うけど。
いや、オタクたるもの他人の趣味嗜好を尊重しないといけないというのは重々承知してるから絶対口には出さないけどね!
っていうか、レイシェルト様も気品あふれる端正なお顔立ちなのに、勇者の子孫として剣の鍛錬に励まれてらっしゃるから、細身ながら引き締まった身体つきをしてらっしゃって、そのギャップがまた……っ!
「おい? ホントに調子が悪いんじゃないか? 今度は突然にまにましだして……」
「ち、違います! 大丈夫ですから!」
うっかり妄想の世界へ旅立ちかけていた私は、フードの中を覗きこまれそうになって、あわててのけぞる。
本人は身分をひけらかさないけれど、ジェイスさんは男爵だ。顔を見られたら、邪悪の娘だとバレてしまう。
「っていうか、悩みを聞くのは私の仕事ですよ! 仕事を取られちゃ困ります!」
悩む人がいないのはいいことだけど、お小遣いを稼げなくなるのは困る。
だって、レイシェルト様の肖像画をまだまだいっぱい発注したいし! ロブセル氏の絵は素晴らしいけど、宮廷画家だけあって、デッサンであってもすんごくお高いんだよね……。
私の反論に、「でもよ」とジェイスさんが気遣わしげな顔になる。
「占い師自身だって、悩むことくらいあるだろう? 毎日、相談だの愚痴だのを聞いてるんだから。時々こいつ殴りてぇって思うこともあるだろうし」
最後の言葉にぷぷっと吹き出す。
「ジェイスさんったら、町の方達から相談を受けている時に、そんなことを考えてるんですか?」
「たまにだけどな、たまに。もちろん、実際には手を出さねぇぜ?」
ジェイスさんが
口調も言ってる内容も乱暴だが、私を心配してくれているというのはわかる。
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」
毎日推し活に励んでるおかげで、少々のストレスなんて感じる暇がないくらい萌えるのに忙しいですから!
「大丈夫っていう奴ほど、陰で無理してたりするんだよ。さっきだって、何か思い悩んでる風だったし……。ほんとに何か困りごとがあるんじゃないのか?」
「い、いえっ、さっきのは……」
素性を隠している以上、素直に話せるわけがない。私はあわてて話題を変える。
「そ、それよりジェイスさんこそどうしたんですか? 今日はいつもより顔を出してくれるのが遅かったですし、こんな風に座ってのんびりおしゃべりしてるなんて……。何か相談事があるんじゃないですか?」
職業柄、ジェイスさんはこの辺りのお店を巡回している。こんな風に親しく話すようになったのも、何度も会っているうちに顔見知りになったからだ。
「私でよければ聞きますよ? お役に立てるかどうかはわかりませんけれど……」
ジェイスさんからは黒い靄は見えないけれど、靄となるほど負の感情がたまっていなくても、
祓えるものがなかったら私なんて役立たずだけど、でも愚痴を聞くくらいならできる。
「あっ! もちろんタダでいいですからね! ジェイスさんにはお世話になってますし……」
警備隊の皆さんがちゃんと治安を守ってくれてるから、こんな風に夜でもひとりで出歩けるんだもんね。
「ばっか。もし頼む時は、ちゃんと払うさ。っていうか、悩みなんて別に……」
ジェイスさんがふいと顔を背ける。
「俺が顔を見せる時間はたいてい客でにぎわってるだろ? 今日はたまたま誰もいなかったからゆっくり話せると思ってさ……」
「店じまいが近いこの時間は、いつもお客さんが少ないからこんな感じですよ? そういえば、今日はいつもより遅い時間に来られましけど……。何か、あったんですか?」
「ああ、最近、なんかやたらと
はぁっ、とうんざりしたようにジェイスさんが吐息する。
とっさに脳裏に浮かんだのは、前回の帰り道に出くわした酔客同士の
結局あの時、玲様(仮)に何も言わずに逃げちゃったんだよね……。
「そう、なんですね……」
誰かを傷つけようと炎のように立ち昇る黒い靄のことを思い出すと、思わず身体がすくんでしまう。低い声で呟くと、ジェイスさんの大きな手が伸びてきた。
「そんな不安そうにすんなよ。大丈夫だ。町の安全は俺がしっかり守るからよ」
大きな手がわしわしとフードごしに頭を撫でる。
「わっ、ちょっ! フードがずれ――」
「やめないか。嫌がっているだろう?」
あわててフードを押さえると同時に、鋭い声が割って入る。
「え……?」
忘れようもない美声に、驚いて顔を上げる。視線の先、店の戸口付近に立っていたのは、フードを目深にかぶった玲様(仮)だった。
顔は相変わらず鼻から下しか見えないけど、一瞬、レイシェルト様かと錯覚するほどの美声は間違いようがない。
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