18 招待したのは、エリシア嬢で間違いない


「あなたは、我が弟のティアルトが間違いをしたと?」


「め、滅相もございませんっ! ち、違うのです! 畏れ多くもこの邪悪の娘がティアルト殿下を謀ったに違いないと……っ! まさにいま真実を明らかにしようと――」


「ひとつ、はっきり言っておくが」


 レイシェルト様の凛とした声が、お母様の言葉を遮る。


「ティアルトが招待したいのは、エリシア嬢で間違いない。それと、母親ともあろう者が、娘を邪悪の娘と呼ぶのは感心しないな」


 ぐぅっ、と喉の奥で蛙が潰れるような音を鳴らしたお母様が、酸欠になったように口をぱくぱくさせる。


「畏れながら……っ」

 と声を上げたのはセレイアだった。


「これまでお茶会に出た経験などない姉は、礼儀作法が心許こころもとないのです! ましてやお招きいただいているのはティアルト殿下のお茶会。きっと心の中では粗相をするのではないかと不安に思っていることでしょう。妹として、ぜひとも姉についてあげたく存じます……!」


 セレイア……っ! 心配してくれてたなんて……。ありがとう! 感動して涙がこぼれちゃいそう……っ!


「なるほど……」


 私とセレイアの顔を交互に眺めたレイシェルト様が、「ふむ」と頷く。


「姉を思うセレイア嬢のお気持ちはわからなくもない」


「では……っ」


 愛らしい面輪を喜色に輝かせたセレイアに、「だが……」とレイシェルト様が困ったように眉を下げる。


 ああっ、そんなお顔も素敵です……っ!


「今回の茶会の主催はあくまでティアルト。わたしは単なる使いに過ぎなくてね。招待客を選ぶ権利はないんだ。すまないが、今回は遠慮願いたい」


「で、ですが……っ!」


 なおも食い下がろうとするセレイアに、レイシェルト様がにこやかに微笑みかける。


「その代わり、エリシア嬢はわたしが責任をもって見守らせていただこう。それとも、わたしでは大切な姉上を任せるのに不足かな?」


「い、いえっ! とんでもございません……っ!」

 ふるふると弾かれたようにセレイアがかぶりを振る。


「では、決まりだね。エリシア嬢」


「は、はいっ」

 視線で促され、壊れたばね仕掛けの人形のように立ち上がる。


 レイシェルト様が片手に持っていた金で装飾が施された箱から、一通の手紙を取り出し、私へ歩み寄る。


「ティアルトからの招待状だ」


「あ、ありがとうございます……っ」

 差し出された封筒を、ぎくしゃくと受け取る。


 待って。こんなに近いなんて無理。なんかいい匂いがするし、きらきらまぶしすぎるし……っ!


 それに手渡しだなんて……っ! この封筒を通じて私の手とレイシェルト様の手が……っ! ひゃあぁっ!


「開けてみてくれ。ちゃんと読めるかどうか、少し不安だからね」


 くらくらしている私に、レイシェルト様が悪戯っぽい笑顔で促す。力が入りすぎ中身ごと破ったらどうしようと不安になりながらも、なんとか手紙を引っ張り出す。


 手ざわりからして高級だとわかる紙には、ティアルト様直筆だろう、元気いっぱいのたどたどしい文字が並んでいた。


「日時は十日後の午後二時、場所は王城でと書いているのだけれど……。ちゃんと読めるかい?」


「はい、もちろんです。ティアルト殿下らしい、元気いっぱいの字ですね」


 可愛らしくて、思わず口がほころんでしまう。ティアルト様直筆というだけでなく、レイシェルト様から手渡ししていただいた手紙だなんて……っ! 末代まで家宝にいたします!


「あっ、お返事を……」


 どうしよう……っ! 王家の方にお渡しできるような高級な便箋なんて、離れにはないよ……っ!


「きみさえよければ、わたしから口頭で返事を伝えよう」


 私の心を読んだかのように、レイシェルト様が助け舟を出してくださる。


「どうかな? 招待を受けてくれるかい?」


「も、もももももちろんです……っ!」


 たとえやりが降っても行かせていただきますっ!


 思いきり噛みながら答えると、不意にレイシェルト様が口元をほころばせた。


 きゃ――っ! 麗しすぎて融けます――っ!


「よかった。きみが受けてくれてわたしも嬉しい」


 甘やかに微笑んだレイシェルト様が、不意に手紙を持っていないほうの私の手を取る。


「きみとお茶を楽しめる日が、今から楽しみで仕方がないよ」


 脳まで融けそうな美声が鼓膜を震わせると同時に、私の手を持ち上げたレイシェルト様が、ちゅ、と手の甲に軽いくちづけを落とす。


 ――瞬間、世界が止まった。


 鋭く息を飲んだのは私かセレイアかお母様か。


「当日は王城から迎えの馬車をよこそう。ではね、エリシア嬢。楽しみにしているよ」


 何事もなかったかのように微笑んだレイシェルト様が優雅に身を翻す。


 私が正気に返ったのは、レイシェルト様の高貴なお姿がすっかり見えなくなってからだった。見送るということすら思い浮かばないほど、思考が凍りついていた。


 え? いま私、レイシェルト様に……。えぇぇぇぇぇぇ~っ!?


 無理。待って。無理むりむりぃ~っ!

 脳が理解するのを拒んでる……っ! だって、理解したら昇天しちゃうもんっ!


「レ、レレレレイシェルト殿下が、邪悪の娘を、そんな……っ!」


 お母様が息も絶え絶えに呟く。表情が抜け落ちた顔は今にも気絶しそうだ。


 わかりますっ、お母様! 私も今すぐ気絶しそうです……っ!


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