12 ご依頼の品が届いておりますが


「お嬢様! そろそろ起きてくださいませ!」


「うぅ、マルゲ~、もうちょっとぉ……」


 マルゲの声に、私は甘えるようにもごもごと呟き返して、布団を抱きしめて寝返りした。


 最近、寒くなってきたから、布団にくるまって二度寝するのが至福なんだよね~。


「起きられないのでしたら、夜遅くに帰ってこられるのはおやめくださいまし!」


「うぅん……」


 マルゲのお説教を寝たふりでやり過ごそうとする。


 夕べ帰ってきた時も、離れの玄関で仁王立ちで待ってたマルゲにさんざん怒られたし。


 と、マルゲが仕方がないと言いたげに吐息した。


「……宮廷画家のロブセル様にご依頼していた絵画が届いておりますが」


「っ! それを真っ先に言ってよ!」

 がばっと即座に跳ね起き、立ち上がる。


「どこっ!? どこどこどこ!? 麗しのレイシェルト様の肖像画はっ! ああっ、早く見たい今すぐ見たいっ! ねぇどこマルゲ――」


「先に身支度を整えて、朝食を召し上がってからです」


 飛び起きた勢いのままに掴みかかった私に、マルゲにいわおのごとく厳然と告げる。


 うっ。これ、素直に指示に従わないと、絶対に渡してくれないヤツだ……っ!


 さすがマルゲ。二年間頑張って貯めたお金でようやく依頼できた品だというのに、容赦がない。


 となれば、私がすることはただひとつ!


 ささっと着替え、流し込むように朝ごはんを食べて――。


「これでいいでしょう!? ねぇどこレイシェルト様の肖像画はっ!? 早くはやく~っ!」


「……お嬢様……。せめてもう少し淑女らしくお食べくださいませ……」


「大丈夫! 外ではちゃんとするから! それより早く――」


「わかりましたから落ち着いてくださいませ。こちらです」


 マルゲが丁寧に梱包された手のひら二枚分ほどの大きさの板状のものを差し出す。


「こ、これが……っ!」


 かすれた声で呟いたきり、動きを止めた私に、マルゲがいぶかしげに眉をひそめる。


「……お受け取りにならないのですか?」


「ちょ、ちょっと待って……っ」


 私は轟く心臓が飛び出さないように、ぎゅっと両手で胸を押さえる。


「だ、だって……っ! この中にレイシェルト様の肖像画が入っているのよ!? いきなりご対面だなんて、光栄すぎて意識が飛んじゃいそう……っ! ねぇっ、マルゲ! やっぱり失礼のないように正装したほうがいいかしら!?」


「殿下ご本人にお会いするのではなくて肖像画を見るだけですよ?」


 あわあわとうろたえる私に、真冬の清水のように冷静にマルゲが答えてくれる。


「そ、そうよねっ! ご本人じゃないものね……っ!」


 っていうか、ご本人を前にしたら、尊さに失神しちゃう!


「そんなに緊張されるのでしたら、わたくしが開けましょうか?」


「えっ、いいの!? ああっ、でもやっぱりせっかくの機会なんだもの! 私が手ずからレイシェルト様を……って、今の言い方、なんかすごくおそれ多くないっ!?」


「申し訳ございませんが、わたくしにはわかりかねます」


 はーっ、ふーっ、と息を荒げる私に、マルゲはどこまでも冷ややかだ。


「マルゲもレイシェルト様ご本人に拝謁したらきっとわかるわよ! あの凛々しくて端正な顔立ち! 陽光にきらめく金の髪、空を映したかのような碧い瞳! 形良い唇から発される魅惑のお声は天上の調べのごとき美しさ! しかも素晴らしいのはお姿だけじゃなくて、王太子殿下として日々立派にご公務をこなされて……っ! しかも邪神を封じた勇者の血をその身に受け継いでいるなんてもう……っ! ヤバイ! 尊い! どこまでも推せるぅ~っ!」


 あふれる情熱のままに叫んだ瞬間、不意に脳裏に「きみを危ない目に遭わせなどしない」と玲様(仮)の声が甦り、ぼんっと顔が爆発しそうになる。


「はぅあぁぁ~っ!」


 今思い返してもやっぱりあのお声、レイシェルト様にほんと似てた……っ!


 融ける。脳が融ける。でも融けてもいいから脳内でエンドレスリピートしたいぃ~っ!


「……わたくしにはさっぱりわかりかねますが、お嬢さまがお幸せだということは理解いたしました。それで、開けられるのですか? 開けられないのですか?」


「開けます! 開けます~っ!」


 マルゲから小包を受け取り、緊張に震える手で苦労して紐をほどく。丁寧に取った布の下から現れたのは、簡素な額縁に入れられたレイシェルト様のご尊顔のスケッチだった。


「ひょわわわわぁ~っ!」


 う、美しい……っ! 尊すぎる……っ!


 彩色もされていないペンで書かれただけの素描だけれども、さすが若手随一と言われる宮廷画家、ロブセル氏の手によるもの。


 わずかに斜めを向き、どこか遠くを見つめるレイシェルト様の端正なお顔は、まるで今にも呼気が聞こえてきそうなほど。どこか憂いを含んだまなざしは遠くを見つめ、思わずその視線の先を追いたくなり――。


「はぅあぁぁ~っ! 尊い……っ! 尊すぎて気絶しちゃうぅ……っ!」


「お嬢様っ!?」


 額縁を抱きしめ、突然テーブルに突っ伏した私に、マルゲがあわてふためいた声を上げる。


「ヤバイ~っ! 尊い~っ! もぉ無理ぃ~っ!」


「お嬢様っ! しっかりなさってくださいっ! 医師を呼んできたほうがよろしいですか!?」


「だ、だいじょぶ、生きる……っ! このレイシェルト様を見てたら生きる気力があふれてくる……っ!」


 胸に抱きしめた肖像画をちらっと見やる。途端、心臓がきゅぅっと締まった。


「でもやっぱり無理ぃ~っ! 尊すぎるぅ~っ!」


「どっちなんですか!?」


「どっちもなの~っ! 尊い! 素晴らしいっ! 存在してくださってありがとうございますっ! この世に存在してくださるだけで世界が輝いて見えます! って思うと同時に、太陽の下に引き出された日陰の泥まじりの雪みたいに神々しさで融けちゃうの~っ!」


「はあ……?」


 マルゲが「理解不能」とでかでかと顔に書いて吐息する。


「ともあれ、お望みの肖像画は手に入りましたし、これでもう、夜に働きに出るなんてことはしなくてすみますね」


「そんなわけないでしょう!?」

 マルゲの言葉を間髪入れずに否定する。


「確かに、レイシェルト様の肖像画は手に入ったけれど、まだたった一枚きり! 推し様に関わるグッズはあればあるほど欲しくなるのかオタクの常! なければ己で発注してでも欲しいのよっ! 一枚きりで終わるなんてとんでもないっ! これからもこつこつ稼いだお金をすべてレイシェルト様につぎ込むんだから……っ! ああっ! 推し様に捧げられるものがあるって素晴らしい……っ!」


 みっちゃんだって言ってたもんね! 「湯水のようにお金があれば、もっともっと玲様に捧げられるのに!」って!


 うんっ、わかるよみっちゃん! ロブセル氏は王城に雇われている宮廷画家。つまり、ロブセル氏へ渡したお金は王家に、そしてレイシェルト様に捧げているも同じ! アルバイトしてそのお金を推し様に捧げられるなんて……っ! これこそ至高の循環経済っ! ……あれ? 循環経済って違う意味だっけ? ともかく!


「もちろんこれからも働き続けるに決まってるでしょう!? 次は、彩色されたスケッチを……っ!」


 宮廷画家に絵を依頼するなんて、私なんかの稼ぎじゃ次は何年かかるかわからない。けど、千里の道も一歩から! 何より、想像するだけでこんなに心弾むこともないんだから、推し活ってほんと素晴らしいっ!


「……お嬢様が稼がれたお金ですから、わたくしはつべこべ申しませんが……。ですが、昨日のように遅くなるのはおやめくださいませ! ご心配もうしあげたんですよ!」


「はい、ごめんなさい……」

 素直に頭を下げた拍子に気づく。


「あーっ! 朝のお祈り! 浮かれすぎてすっかり忘れてた! まだ間に合うかしら? ちょっと行ってきます!」


 毎朝の大切な用事をすっかり忘れていた私は、胸に抱いていた肖像画をいったん布で丁寧にくるみ直すと、大慌てで離れを飛び出した。


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