11 どこまで君を送らせてもらったらいいだろうか?


 店の外へ出た途端、ぴゅぅ、と冷たい秋の夜風が吹きつけ、思わずフードがめくれないように押さえる。顔や髪を人目に晒すわけにはいかない。


「さむぅ……」


 両手を口元に持って行って息を吹きかけるが、全然あたたまらない。


 あ、そうだ。マントのポケットに魔石を入れていたはず。炎の魔法を宿してカイロ代わりにすれば……。


 腰近くにあるポケットに手を伸ばそうとして。

 はしっ、と大きな手に指先を握られる。かと思うと。


 持ち上げられた手に、はあっとあたたかな呼気が吹きかけられた。


「っ!?」


 何が起こったのかわからず、ぴきっと固まった私の視線が捉えたのは。


 白い呼気の向こうで柔らかく微笑む玲様(仮)の形良い唇だった。


 えっ? 私いま、玲様(仮)に手を握られて、息で手をあっためてもらった……?


「ずいぶん手が冷えているね。すまない。わたしが長居したせいで……」


「い、いいいいえいえいえいえっ!」

 フードが脱げそうな勢いでぶんぶんぶんぶんぶんっ! と首を横に振る。


 寒い? いえっ、顔も身体も熱すぎるくらいで、心臓がばっくばくいってるんですけど! 極寒のツンドラからサウナに叩き込まれたくらいの落差なんですが!?


「ところで、どこまで君を送らせてもらったらいいだろうか?」

「あの、貴族街の――」


 夢見心地のまま、危うく真っ正直に答えかけ、はっと我に返る。


 あっぶな――っ! ふつーにいまサランレッド公爵家の場所を言いそうになったよ! 何このヤバすぎるイケメントラップ! この声で聞かれたら、住所でも本名でも、何でも答えちゃいそう!


「貴族街?」

 玲様(仮)の声がいぶかしげに低くなる。


「あっ、いえ! 方向がですよ、方向が!」


 あわてて取り繕うが、ううっ、どうしよう……っ! この人、どう見ても貴族のお坊ちゃんぽいし、家まで送ってもらったら、私が邪悪の娘だって即バレしちゃうよね……。


 私なんかに優しく微笑みかけてくれる面輪が、侮蔑と嫌悪に歪むかと思うと、全身が凍えるような心地がする。


 震えが伝わってしまったのか、手を引きながら半歩前を歩いていた玲様(仮)が振り返った。


「どうかしたのかい?」

「その……」


 何と言えばいいかわからない。困り果て、もぞ、とつないだ手を動かすと、


「ああ、すまない」

 謝罪とともに、ぱっと手を放された。


「会ったばかりのお嬢さんの手を取るなんて、不躾ぶしつけだったね。失礼した」


「い、いえ……っ」

 ふるふるとかぶりを振り、胸の前でぎゅっと両手を握りしめる。


 まだほのかに熱が残っている手。


 放してもらってほっとしているのか残念なのか、自分でもよくわからない。


 いや、心臓が壊れなくて済んだのはわかるけど!


 玲様似のイケメンなんて、存在からしてもうヤバイ! 私にとってはダイナマイト級の危険物だよっ!


 いやいやいやっ! しっかりして私! この世ではもう最推しのレイシェルト様がいらっしゃるでしょ!?


 王太子であるレイシェルト様が天上の星よりも遠い御方だからって、そばで言葉を交わせる推し様似のイケメンにふらついちゃうなんて……っ!


 私の推し様への愛はそんなもろいものなのっ! 違うでしょっ!? しっかりしろ私――っ!


 レイシェルト様は私にとって道標みちしるべの星であり、生きる活力であり、喜びの源泉であり……っ! そう! 推し活人生そのものなんだからっ!


 いくら玲様(仮)がレイシェルト様を想起させるとしたとしても、そう簡単にふらついたりしちゃ、レイシェルト様に顔向けできないっ!


 ふんぎぎぎぎ、と内心で理性を奮い立たせながら、玲様(仮)の後について歩いていると。


 不意に、道の向こうに黒い靄が湧きあがり、反射的に身を強張らせる。

 同時に、ろれつの怪しい男達の怒鳴り声が聞こえてきた。


「何だ、やる気か!?」

「おうっ、やってやらぁ!」


 互いにお酒が入っているらしい荒れた声。掴み合う二人を取り囲んでいるのは、炎のようにうねる黒い靄だ。


 誰かを傷つけようとする怒りの感情は苦手だ。たとえそれが私に向けられたものじゃなくても。


 前世で私を突き飛ばしたお兄ちゃんの顔を、嫌でも思い出してしまうから。


 身体の震えが止まらない。


 ここは、みっちゃんと待ち合わせしてた場所じゃない。近くに川だってない。


 頭ではわかっているのに、一度外れた記憶の栓は閉まらない。


 だめだ。考えちゃだめだ。もっと楽しいことを考えなきゃ。そう、レイシェルト様のことを考えて――。


「最近、め事が多発しているという報告は聞いていたが、その通りだな」


 固く低い美声に、はっと現実に引き戻される。


 視線を上げると、玲様(仮)がフードをかぶっていてもわかる端正な面輪を男達に向けていた。


 確かに、私もヒルデンさんから聞いた覚えがある。


 最近、酔っ払い同士の喧嘩けんかが多いから、帰り道は重々お気をつけください。お嬢様に何かあったら、マルゲから半殺しどころか全殺しにされてしまいますから、って……。


 でも、実際にその場に行きあたったら、どうしたらいいかわからない。

 掴み合っている二人の周りの人達も、止めるどころかはやし立てている。


 ど、どうしよう。間に入るなんて怖くてできないし、警備隊を呼んで来たらいいのかな……。


 おろおろとうろたえていると。


「大丈夫だ」

 力強い声と同時に、肩を抱き寄せられる。


「きみを危ない目になど遭わせはしない。仲裁してくるから、少し待っていてくれないか?」


 フード越しに、驚くほど近くて囁かれた魅惑の声。驚きに顔を上げるより早く、腕をほどいた玲様(仮)がもみ合っている酔っ払い達へ、マントの裾を翻して駆けていく。


 その背中から、目が離せない。


 何なの今の魅惑のイケボ――っ! こ、腰が砕けるかと思った……っ!


 よろろ、とよろめきかけ、はたと気づく。


 あっ、逃げるんだったら今が大チャンスじゃない!? 「待っていてくれ」って言われたのを裏切るのは申し訳ないけど、でも……っ!


 ごめんなさいごめんなさい、と心の中で詫びながら、私は脇道へと駆けだした。



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