10 おまじないをしましょう


「大丈夫ですよ」


 口が勝手に言葉を紡ぐ。


「大丈夫です。周りの人はお世辞なんか言ってません。あなたはちゃんと、努力できている人です。でなかったら……」


 私はそっと、固く握りしめられた拳をほどく。


「こんな風に、剣だこのある手にならないでしょう?」


「っ!」

 びくり、とマントに包まれた肩が揺れる。


「……信じて、いいのだろうか……?」


 道に迷った子どもみたいな頼りない声。


「もちろんです」

 きゅっと手を握りしめながら、大きく頷く。


「私は剣術のことなんて全然知りませんけれど、それでもこの手が一朝一夕でできるものじゃないというのはわかります」


 きっぱりと断言して、いつものように「目をつむってください」とお願いする。


「目を……?」


「ええ。おまじないです」


 私の言葉に、ぎこちなく青年が姿勢を正す。フードで見えないけれど、たぶんちゃんと目をつむってくれているんだろう。


「あなたの大切な人のことを心に思い描いてください」


 告げると、軽く指先を握り返された。私は椅子から腰を浮かせ、握られていないほうの手を青年へと伸ばす。 


「あなたとあなたの大切な人達に幸せが来ますように……」


 生真面目すぎて思い詰めてしまっているんだろうこの人の心が、少しでも晴れますようにと願いながら、両肩に淀んだ靄を祓う。


「……どう、ですか……?」


 いつも祓った直後は緊張する。ふたたび靄が湧き出したりしていないから、大丈夫だと思うんだけど……。


 おずおずと問うと、凍ったように固まっていた青年が身動みじろぎした。


「……なんだか、今ならわたしへ向けられた言葉も、素直に受け入れられそうな気がする……」


 ぼんやりと寝起きみたいな声で呟いた青年が、やにわに両手でぎゅっと私の手を握る。


「すごいなきみは! 噂通りだ!」

「ひゃっ!? あの……っ!?」


 そ、そういえば無意識に手を握っちゃってたんだった!


 あわてて引き抜こうとすると、「すまない」とぱっと手を放してくれた。


「なんとお礼を言えばいいんだろうか! あ……っ、そうか、お代を払わなくては……っ」


 懐から青年が取り出し、ことりとテーブルに置いたのは。


 銀貨――っ! いえあの、これいつもの代金の二十倍なんですけどっ!

 こんな高価なお代、もらえるわけがない。


「あの、これ……」


「すまない。足りなかっただろうか?」


 何の疑いもなく次の銀貨を取り出そうとする青年を必死で押し留める。


「違います! 逆です、逆! これ、いただきすぎです! いつもは銅貨五枚なんですから!」


 告げると、青年の声が困り果てたように沈んだ。


「銅貨……。すまない。銅貨は持ち合わせが……」


 この人お坊ちゃんだ! 貴族だとは思ってたけど、予想以上のお坊ちゃんだ! 下手したら銅貨なんて見たことないって言い出しそう!


「申し訳ないが、今日のところはこれで許してもらえないだろうか……? というか、わたしの感謝の気持ちは銀貨一枚では足りないくらいなんだ。きみさえよければ、これを受け取ってほしい」


 真摯な声で告げた青年が、強引に私の手に銀貨を握らせる。


 ううっ、困ったなぁ……。私の手持ちじゃ、おつりを渡すにしても足りないし、でもヒルデンさんに両替を頼んでいたら手間をかける上に、時間もかかるだろうし……。


 こうなったら仕方がない。


「では、ありがたくちょうだいします。でも、銀貨はいただきすぎです。だから……。もしまた次にお客さんがこられた時は、ただで占うということでどうでしょうか?」


 私のところへ来るってことは、何か悩みがあるということだから、本当はもう二度と会わないほうがいいんだけれど。でも、さすがに二十倍のお代じゃ申し訳なさすぎる。


 私の提案に、青年はあっさりと「きみが望むならそれで」と優雅に頷く。


 わわっ、フードから覗く口元に浮かんだ笑みに、抑えきれない高貴さが漂ってる……っ!


「では、ありがとうございました」


 立ち上がった青年にぺこりと頭を下げる。が、青年はテーブルの横に立ったまま、立ち去ろうとしない。


「あの……?」


 門限がヤバイので、私もそろそろ帰りたいんですけれど……?


 さっさと帰ってくださいとハッキリ言うのははばかられて、困って声を上げると、青年がさも当然と言った様子で尋ねてきた。


「先ほど店じまいと言っていたということは、これから帰宅するのだろう?」


「そうですけど……?」


 うわぁ、やっぱりこの声、レイシェルト様のお声に似てるなぁ……っ! ううっ、もっと早くに来てくれてたら、なんだかんだ引き延ばして、このお声を味わえたのに……っ!


 間の悪さを悔やむ私に、フードから覗く口元が優しい笑みを浮かべる。


「なら、送っていこう」


「……ほぇ? えぇぇぇぇっ!?」


 いやいやいやっ! 結構です! 全力でご遠慮申しあげますっ!

 送ってもらったりしたら、私の素性がバレちゃうし!


「い、いいですっ! 結構です! ひとりで帰れますからっ!」


 激しく首を横に振って断る私に、けれど、青年はさも当然といった様子で口を開く、


「だが……。こんな夜遅くに、若い乙女をひとりで帰すわけにはいかないだろう?」


「っ!」


 ぱくんっ! と心臓が大きく跳ねる。


 こ、これ……っ! 玲様主演のドラマ『手をつないで一緒に帰ろう』で出てきた台詞に超似てる――っ! ドラマでは「遅いのにお前をひとりで帰せるわけないだろ」だったけど!


 いやもうあれは神演技だった! ちょっと怒ったような、でも内心は心配で仕方ないって感じが表情と口調からびんびん伝わってきて、画面のこっちできゅん死するかと思ったもん!


 いや~っ、翌日はみっちゃんと熱く語りに語り合ったなぁ、懐かしい……っ!


 まさかそれを転生してからリアルで聞けるなんて! あなたが神かっ!? いえっ、今世の推しはレイシェルト様ですっ!


 いやもう破壊力がヤバすぎるんですけどっ! この人……いや、この御方のことは玲様(仮)って呼ぼう、うんっ! みっちゃん! 私こっちでも充実した推し活ライフを送ってるよ!


「どうかしたのか……?」


 心の中で前世の心友みっちゃんに怒涛どとうの萌え語りをしていると、玲様(仮)が戸惑ったお声を上げられた。


「それとも、迷惑だろうか……?」


「いえっ! とんでもないですっ!」


 玲様(仮)のお声をもっと聴けるなんて、私、目を開けたまま夢の世界へ入っちゃった!?


 間髪入れず答えてから気づく。


 いやダメじゃん! 私の正体を知られるわけにはいかないんだから! ここははっきり断らないと!


 と、フードの下の口元がほっとしたように柔らかな笑みを浮かべる。


「よかった……。では、行こうか」

「はい……っ!」


 口が! 口が勝手にうーごーくぅ――っ!


 無理ぃ――っ! この御声に否を突きつけるなんて、私には絶対無理ぃ……っ!


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