9 推し様のお声に似たイケメンを門前払いできようか!?


 ヒルデンさんの動きは素早かった。


「いらっしゃいませ、お客様。占いを御所望ですか?」


 駆け込んできたお客にさっと近づくと、恭しく尋ねる。一本筋が通ったように姿勢のよい長身のお客が、姿勢とは裏腹の揺れた声で気ぜわしく頷いた。


「ああ、ここに何でも悩みを晴らしてくれる占い師がいると……っ」


 え……。なんか知らないうちに、すごい尾ひれがついてるんですけれど……。


 ヒルデンさんが申し訳なさそうに顔をしかめて、深々と腰を折った。


「申し訳ございません。占い師は先ほど店じまいをしたところでして……」


「そんな……っ!」


 愕然とした声とともに、青年の引き締まった身体が揺れる。よほどの衝撃だったらしい。


 フードを深くかぶっているせいで、お客の顔は見えないが、声から察するに、まだ若いだろう。私より少し上くらいだろうか。

 町人街で浮かないように質素な服装をしているけれど、所作から察するに、お忍びで来た貴族の坊ちゃんかもしれない。


 うーん。貴族はなぁ……。私の正体がバレたら困るし……。けど……。


「ようやく、何とか時間やりくりして来られたというのに……っ!」


 今にも床にくずおれそうな様子で嘆く青年の肩には、かなりの量の黒い靄が揺蕩たゆっている。下手をすると、向こう側が見えないほどだ。


 さすがに、これを見て「はいさよなら」はできない。それに……。


「あのー、店じまいはしましたけれど、どうしてもと言うのならいいですよ。あんまり時間は取れませんけれど……」


 戸口へ歩み寄りながら話しかけると、青年が勢いよく顔を上げた。目深にかぶったフードから、口元と顎のラインが覗く。


 うわっ、口元見ただけでもわかる。絶対イケメンだわ、この人……っ!


 それに、この声……。私の推しであるレイシェルト様に似てるんだよね~っ!


 王子であるレイシェルト様がこんな町人街にいるはずがないけど、でも推し様のお声に似たイケメンを門前払いできようか!? いや無理! 絶対無理っ!


 申し訳ありません、レイシェルト様! あなた様以外の人にときめいてしまうなんて……っ! でも、それもこれもレイシェルト様のお声に似ているからなんです~っ!


「きみが……?」


 呆気あっけにとられた声を上げた青年に、こくりと頷く。


「はい。私がお探しの占い師ですけれど……?」


「ありがとう!」

「ひゃっ!?」


 歓喜に満ちた声を上げた青年が、やにわに両手で私の手を握る。日常的に剣の訓練をしているんだろう。剣だこのある大きくあたたかな手。


「す、すまない……っ」


 私の悲鳴に、弾かれたように青年がぱっと手を放す。


「い、いえ……っ」


 び、びっくりした――っ! 一応、深窓の公爵令嬢で通っているのだ。年頃の異性と手をつないだ経験なんて、あるわけがない。


「で、ではこちらへどうぞ……」


 さっきまでいたテーブル席へ青年を案内する。ヒルデンさんが「門限は大丈夫ですか?」と言いたげな心配そうな顔でこちらを見ていたが、小さく頷くと、それ以上は何も言わずに厨房に戻ってくれた。


 気を遣わせてしまってごめんなさい……。


「それで……。どうしてこちらの店へ?」


 私はテーブルの向かいに座った青年に、できるだけ穏やかな声で問いかける。


 が、両肩に濃く黒い靄をまとわりつかせた青年は、「その……」と呟いたきり、何も話さない。


 こんなお客さんはたまにいる。ほとんどが男の人で、たとえ占い師が相手でも、自分の心の弱いところや情けないところを出すことができない性格の人だ。


 これが女の人だと逆で、だんなさんの愚痴に始まり子どもへのお小言、しゅうとめさんへの溜まりに溜まった鬱屈からご近所付き合いの苦労話まで、聞かなくても次から次へと話してくれる。時には、私が靄を祓わなくても、話している間に勝手に靄が消えていくくらいだ。


 いつもだったら、相手が話し出すまで根気よく待つ。けど今日はあんまりのんびりしていられない。


 マルゲの雷は何度も喰らってる私でも、ぴぎゃっ! って叫んで尻尾を丸めて震えたくなるくらい怖いんだからね!


「あのぅ、ごめんなさい。今夜はあんまり時間がないんですけれど……」


 おずおずと告げると、「すまない!」と、青年が弾かれたように背を伸ばす。が、すぐにフード付きのマントに覆われた広い肩が、しょぼんと落ちた。


「その……。せっかく占ってもらえるのに、いざ前にすると、何をどう話したらいいかわからなくなってしまい……」


 うわ――っ! やっぱりこの声、推し様のお声に超似てるっ!


 いや、公爵令嬢と言えど、邪悪の娘と蔑まれてる私はレイシェルト様と直接お言葉を交わしたことなんてないから、妹のセレイアに話しかけているお声を遠くから拝聴しただけだけど!


 っていうかレイシェルト様からお声掛けをいただいたりなんてしたら感動のあまり萌え死ぬ! 爆発四散する!


 いやでも、いつか一度でいいからレイシェルト様とお言葉を……っ! あっ、でも目の前で昇天したらレイシェルト様にご迷惑をおかけしてしまう……っ! 清く正しい一ファンとして、そんな暴挙は許せないっ! 自分で自分を成敗してくれる! そこへ直れ……っ!


「自分が、恵まれすぎているほどに恵まれているのはちゃんとわかっているんだ……」


「ほぇ? あっ、はいはい!」


 脳内で自分で自分を成敗しかけていた私は、はっと我に返ってこくこく頷く。


 妄想が暴走するあまり、現実に帰ってこれなくなるところだった……っ。


 失礼極まりない態度を取っていた私にも気づかぬ様子で、苦悩に満ちた声をこぼした青年が、テーブルの上に置いた右の拳をぐっと握りしめる。


「自分の責務を放り出したいわけじゃない。誰よりも立派にやり遂げたいと励んでいるつもりだ。けれど、そう思えば思うほど、何もかもを投げ出してしまいたい誘惑に駆られて、周りの期待を裏切っている自分が許せなくて……っ」


 とすっ、と。青年がこぼした言葉が矢のように胸を貫く。穿うがたれた穴から、封じる間もなく前世の記憶があふれ出してくる。


「お兄ちゃんみたいに満点を取って、学年一位になるのよ」


「いい高校へ行っていい大学へ行って、非の打ちどころのないだんな様と結婚して、お母さんを安心させてちょうだい」


 ずっとかけられていた期待。でも、前世の私は応えられるだけの能力が無くて。


「お兄ちゃんは満点なのに、あんたはいつもこんな点で!」


「お母さんに恥をかかせたいの!? この親不孝者!」


「私が産んだ子とは思えない! そうよ! あんたなんか私の子じゃないわ!」


 ごめんなさい。ごめんなさいお母さん。前世でも今世でも……。お母さんの期待を満たせる子どもじゃなくて。駄目な娘でごめんなさい……。


「……望まない期待を、押しつけられているんですか……?」


 無意識に口から洩れた声は、自分でも驚くほど低かった。青年が弾かれたようにかぶりを振る。


「いやっ! 違うんだ! 期待されて嬉しくないわけではない! ただ……」


 声と一緒に、フードの奥で視線が揺れた気配がする。


「称賛されても、それがわたしの身分を慮って言われた言葉ではないかと……。素直に信じることができなくて……っ」


 不安に満ちた声。


 胸をかれるような声に、私は反射的にテーブルの上で握りしめられた拳に手を伸ばしていた。


 遠い昔、自分自身がそうしてほしかったように。


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