8 推し活の資金稼ぎのために!
ヒルデンさんの店の隅にあるテーブルで、奥さんと喧嘩したというおじさんの話を聞き終えた私は、
「ご事情はわかりました。では、目を閉じてください」
と、いかにもご利益がありそうに重々しい口調で告げた。十五歳の頃から、もう二年も経っているので、この程度はお手の物だ。
今の私は占い師・エリとしてフードを深くかぶって顔と黒髪を隠し、さらには顔にヴェールまで垂らしているので、一目見ただけでは邪悪の娘とはわからない。
私の言葉におじさんが素直に目を閉じる。その肩に陽炎みたいにゆらゆらと揺れているのは、黒い負の感情だ。
「気持ちを落ち着けて……。大切な人のことを心に思い描いてください」
目を閉じたおじさんの唇がもごもごと動く。奥さんの名前を声に出さず呼んだのかもしれない。
今だ、と私は椅子から腰を浮かし、身を乗り出しておじさんの肩にふれた。
「あなたとあなたの大切な人達に幸せが来ますように」
祈りながら黒い靄が揺れる肩を手のひらで、さっとひと撫でする。
途端、黒い靄が跡形もなく消えた。
「目を開けてくださって大丈夫ですよ。どうですか、ご気分は?」
おずおずとまぶたを開けたおじさんが、「おお……っ」と呟いて目を瞠る。
「何だかわからねぇが、心が軽い……っ! いや、身体まで軽くなったみたいだ!」
ぶんぶんとさっきまで黒い靄がついていた肩を回す。
「徒弟達に聞いた時は半信半疑だったが、あんた、ほんとに腕のいい占い師なんだなぁ! いやあ、俺、何に怒ってたんだろうな。別に怒るほどのことじゃなかったってのに」
「いいえ。心が晴れたようでよかったです」
ほっとしながら、にこりと微笑んでかぶりを振る。
黒い靄を祓うことはできるけれど、私にできるのはあくまで祓うことだけ。祓って空いた心の隙間を埋めることはできない。
だから、お客さんには大事なもののことを考えてもらって、その気持ちで隙間を埋めるようにしてもらっているんだけど……。よかった。うまくいったみたいだ。
これが怒り狂っている人だと、そううまくはいかない。祓ってもすぐにその隙間に怒りが入り込んでしまうからだ。
「家に帰ったらかみさんに詫びないとな。許してくれたらいいんだが……」
「きっと大丈夫ですよ。あ、心配ならお土産を持って帰るなんてどうですか? ここのお店は焼き菓子もおいしいんですよ」
「おお! そいつはいいな。ありがとよ」
代金の銅貨五枚を置いたおじさんがいそいそと立ち上がる。心はすっかり奥さんへ向かっているようだ。
「こちらこそ、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて銅貨を腰に下げた袋にしまい、立ち上がったおじさんを見送っていると、「お疲れ様でした」と穏やかな声とともに、テーブルにスープが入った木製のカップが置かれた。
「あ、ヒルデンさん。ありがとうございます」
置いてくれたのは、この店の店長であり、マルゲのお兄さんでもあるヒルデンさんだ。まだ三十をいくつか過ぎたくらいの若さなのに、料理の腕でこのお店を繁盛させている。
「いいんですか? いただいて」
カップを手に取ると、冷えた指先にスープのあたたかさが伝わってきて心地よい。おずおずと問うと、ヒルデンさんが笑顔で頷いた。
「もちろんですよ。エリ様が来てくださる日は、この店もいつも以上に繁盛しているんですから。これは心ばかりのお礼です」
ヒルデンさんの視線の先には、店員さんから買った焼き菓子の紙袋を手に、笑顔で店を出ていくおじさんがいる。
エリ様なんて、前世の名前に様付で呼ばれるのは恥ずかしいけれど、「エリシア」と本名で呼ばれるわけにはいかない。なんてたって、これは秘密のアルバイトなんだから。
二年前、推し活のために始めたアルバイトだけと、幸いにも今のところ特に正体がバレることもなくうまくいっている。
毎週末、片隅のテーブルをひとつ借りて、よろず相談処を開いているのだ。が、気がつけば「ここで占ってもらうと幸運が起こる」という噂が広がり、いつの間にか占い師ということにされている。
まあ、私としては、お金さえちゃんと稼げれば相談員でも占い師でも、どっちでもいいんだけど。
「どうぞお飲みください。秋も深まって外はかなり寒くなってきましたからね。もしエリ様がお風邪なんて召されようものなら、妹に半殺しにされてしまいます」
冗談には聞こえない口調で恐ろしげに身を震わせたヒルデンさんが、スープを勧めてくれる。
前にうっかりヒルデンさんが洩らした話では、私がここで働くことになった時、マルゲがすごい剣幕でヒルデンさんに詰め寄ったらしい。
「兄さん、いいことっ!? もしこのお店の中でエリシア様に何かよからぬことがあったりしたら……っ! 兄さんを半殺しの上、全殺しにしたくらいじゃ済まさないわよっ! お店も全壊させるから!」と……。
……うん。マルゲだったら本気でやりそうだなぁ……。
「ありがたくいただきます」
ぺこりと頭を下げ、カップに口をつける。細かく刻んだ野菜がとろけるまで煮込まれたスープは優しい味わいで、身体に染み渡るように美味しい。
お店の中には炎の魔法を宿した魔石が照明兼暖房器具として諸所に置かれているけれども、壁際の席に座っているせいで、思った以上に身体が冷えていたらしい。
「ごちそうさまでした」
スープのおいしさに、ごくごくと一気に飲み干した私は、お礼を言って立ち上がる。
今日のお客さんはさっきのおじさんで最後だ。
「夜も遅いですからね。どうぞ、くれぐれもお気をつけて」
丁寧に頭を下げるヒルデンさんに見送られて、戸口へ向かおうと歩き出した途端。
「まだ占い師殿はいるだろうかっ!?」
張りのある美声とともに、フードを目深にかぶった人物が、お店の中に飛び込んで来た。
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