5 ずっと、私が求めていたもの


「まあ嫌だ! なんて禍々しい髪の色でしょう!」


「サランレッド公爵がかたくなに公の場に連れてこなかったのも理解できるな。瞳まで黒いとは、なんと不気味な……」


「まだ明るい昼間だというのに、あの方の周りだけ夜のよう。穢れがこちらまでうつってきそうで嫌ですわ……っ」


 貴族達の間から、侮蔑と嫌悪に満ちた低い囁き声が聞こえてくる。私はマルゲに忠告されていた通り、反応しないよう、必死で表情筋の動きを止めた。


 口さがない貴族達が、初めて王城へ参内した邪悪の娘を見て、誹謗中傷を浴びせるのは最初から予測できていたこと。ここで過敏に反応すれば、それをネタにまたありもしないことを言い出すに違いない。


 けれど、貴族達から湧き出し、とぐろをもたげる蛇のように揺らめく黒い靄に、息が詰まる思いがする。


 私に投げつけられる言葉よりも、人を傷つける愉悦に揺らめく靄のほうに気持ちが悪くなりそうだ。


 意識を逸らそうと、私は貴族達の最前列に立つセレイアの姿を探す。


 うわ~っ! セレイアかっわい~! お姫様みたい!


 盛装した両親に挟まれて立つセレイアは、聖女であることを示す純白のドレスを纏っていた。純白といっても金糸や銀糸で刺繡を施された華やかなドレスで、ふんわりと広がったスカートが可愛らしい。


 綺麗に結い上げた金の髪と相まって、まるで童話の中から抜け出したお姫様みたいだ。


 私からは後ろ姿しか見えないけれど、きっとこれから国王陛下からお言葉を賜る栄誉に目を輝かせているに違いない。


 と、侍従の一人が国王陛下のご入場を宣言する。ざっと衣擦れの音を立てて、貴族達がいっせいにこうべを垂れた。もちろん私も周りと同じようにスカートをつまんで、深く頭を垂れる。


 静まり返った会場に陛下の重々しい足音と、もうひとつ優雅な足音が聞こえる。


 聖女の成人の儀ということで、王妃様もいらっしゃっているのだろうか。


 と、足を止めた陛下がいぶかしげな声を出す。


「はて……。今日、成人を迎えるのは、聖女であるセレイア嬢と、姉のエリシア嬢と聞いていたが……。セレイア嬢しかおらぬではないか」


 陛下のお言葉に、お父様があわてふためいた様子で口を開く。


「い、いえっ、御前に参っております! ですが、お目汚しになってはならぬと思い、後方に……」


「そのような気遣いは無用である。エリシア嬢。前へ」


「は、はいっ。失礼いたします……」


 まさか、前へ出るよう促されるとは思ってもみなかった。


 一瞬、前に呼ばれた上で、邪悪の娘が王城へ伺候するとは何事だと叱責されるのではないかと懸念がよぎるが、陛下の声音からは嫌悪感は感じられない。


 一度さらに深く頭を下げると、顔を伏せたまま、両側に分かれた貴族達の間を通って前へ進む。


 私の姿を見た貴族達から嫌悪の黒い靄が湧きおこり、蛇のように足元に絡みつく。


 緊張と足元を覆う黒い靄とで、気を抜くと転んでしまいそうだ。


 最前列へ出た私は、お父様達には並ばずに一歩下がった場所で歩を止め、もう一度深々と頭を垂れた。「うむ」と満足そうな声を上げた陛下が、「面を上げよ」と命じる。


 さやかな衣擦れの音とともにおずおずと顔を上げ――。




 その瞬間、世界が止まった。




 雷が直撃したに等しい衝撃だった。


 この衝撃を前世にも一度だけ、経験したことがある。


 忘れるはずもない。心友のみっちゃんに玲様のピンナップを見せてもらった時だ。

 あの瞬間、玲様が私の推し様になった。


 壇上の陛下の隣に立っていたのは、王妃様ではなかった。きらびやかな衣装を纏う恰幅のよい陛下の隣に凛と立つ御方は――。


 今年で十八歳になられる王太子・レイシェルト殿下だった。


 ギリシャ彫刻のように引き締まった姿勢のよい立ち姿。陽光を融かしたような金の短い髪は、凛々しくもどこか甘さを孕んだ端正な面輪を華やかに縁取り、晴天の空を映した碧い瞳は、至高の宝石のよう。


 優雅な微笑みをたたえる形良い唇から発される声は、天上の調べに違いないと、聞く前から確信できる。


 ……え。なにこの御方。尊い。推したい。


 真っ白に漂白された脳内を、「推したい」という単語が一瞬にして埋め尽くす。


 転生してからずっと、心のどこかに大きな穴が開いていた。


 家族に距離を置かれているとはいえ、何不自由なく日々を過ごせる暮らしに不満を唱えるなんて贅沢ぜいたくすぎると、ふたをして見ないようにしていたけれど……。


 求めていたものが、今わかった。



 私――全身全霊をかけて推せる推し様が欲しかったんだ!



 神様仏様光神アルスデウス様! 私を転生させてくださったばかりか、玲様に並ぶ推しに出逢わせてくださってありがとうございますっ! いくら感謝を捧げても足りませんっ!


 私……っ! 今世こそ、思う存分、推し活に励みますっ!


 世界が色あざやかに輝いて見える。


 陛下が何やらありがたいお言葉を話されているが、ろくに頭に入らない。


「レイシェルト。おぬしからも何か一言を」


 陛下に促されたレイシェルト様が一歩踏み出し、姿勢を正す。


 う、動いた……っ! 佇まいを整えるだけで、なんと優雅な仕草……っ! 一挙手一投足すべてが尊いですっ!


 形良い唇が柔らかな笑みを刻み。


「セレイア嬢、エリシア嬢。成人おめでとう。今後も、貴族の中でも第一位である公爵家の令嬢としてふさわしいふるまいを望みます」


 鼓膜どころか心臓を撃ち抜く美声を耳にした途端、尊さのあまり、私の意識は真っ白に染め上げられた。

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