3 妹こそが、予言の聖女


「いやぁっ! 邪悪の娘が! きっとセレイアちゃんをねたんで傷つけに来たんだわ! 誰か! 誰か追い払って!」


 叫ぶお母様の全身から、炎のように黒いもやが湧きあがる。


 前世でも人の負の感情が黒い靄として見えていたけれど、この目は転生しても変わらなかった。


「今日はセレイアちゃんが聖女としての務めを初めて果たす記念すべき日だというのに、邪悪の娘なんかにそれを穢されるなんて……っ! 誰か! 穢れた邪悪の娘を神聖なこの場から叩き出してちょうだいっ!」


 お母様がひびわれた声で侍女達に命じる。お母様が狂乱するあまり、腕の中のセレイアがふたたび泣き出す。


「お母様、ごめんな――」


「邪悪の娘なんかにお母様と呼ばれる筋合いはないわ! あなたみたいな穢れた娘が、わたくしの子であるはずがないじゃない!」


 叩きつけられた言葉に、矢を射かけられた狐のように身を翻して駆けだす。


 胸が痛い。でも、お母様が私を嫌うのも仕方がない。


 八年前、予言の力を持つ聖者が、とある予言を告げた。



「サランレッド公爵家に、聖女が生まれるであろう」と。



 当時、公爵家に嫁いだばかりのお母様は、それはそれは喜んだそうだ。「聖女の母となれるなんて、なんと光栄なことでしょう!」と。


 勇者の血は王家に受け継がれているが、勇者を助けて邪神を封じた聖者・聖女達の力は一代限りで子どもに受け継がれないばかりか、生まれるのも不規則だ。


 それゆえに、サランレッド公爵家に生まれる聖女は、貴族達の間でも注目の的だったのだという。聞いた話によると、まだお母様が妊娠すらしていない頃から、聖女が生まれた際には、ぜひとも我が家の息子と縁組をと婚約の申し込みが殺到したらしい。


 そんな中で生まれたのが、私だった。


 私はかすかにしか覚えていないけれど、生まれた瞬間、産室は混乱の坩堝るつぼと化したらしい。


 聖女が生まれてくるはずなのに、実際に生まれてきたのは、邪神の色とされる黒髪と黒い瞳の赤ん坊だったからだ。


 予言に反して黒色を纏って生まれた私は、邪神が予言を歪めて己の手下を産ませたのだと噂され――半狂乱になったお母様に危うく殺されかけた。


 当時、侍女の一人として雇われていたマルゲのお母さんが気づいてくれたおかげで、なんとか命を取り留めたけれど、精神の均衡を失いかけたお母様を刺激しないため、またこの上ない醜聞をサランレッド公爵家に与えた罰として、以来、私の存在はほぼなかったものとして離れに押し込められている。


 お母様が回復したのは、淡い金の髪に薄青い瞳と、まごうことなき聖女の力を持った妹のセレイアを生んで以降だ。


 だから、お母様が妹のセレイアばかりを可愛がって、私を忌み嫌うのはわかる、けど……。


 息が上がって走れなくなる。走るのをやめ、重い足をひきずるようにして離れへと向かっていると。


「お嬢様!」


 私が抜け出したことに気づいたんだろう。マルゲが血相を変えてこちらへ駆けてくるのが見えた。


「どうなさったんですか!? 急にお姿が見えなくなったので心配もうしあ――」


「マルゲぇ~っ」


 恐れもなく真っ直ぐに私へ向けられたまなざしに、心の堤防が決壊する。


 突然、ぼろぼろと泣き出した私を、マルゲが優しく抱きしめてくれる。


 邪悪の娘である私を怖がらないのは、マルゲとマルゲのお母さんだけだ。「たとえ邪悪の娘だとしても、お乳を飲んですやすや眠るこの子はふつうの赤ちゃんと変わらない」とマルゲのお母さんが助けてくれたから、いま私はこうして生きてられる。


 だんなさんが怪我をして介護が必要になって退職した時も、こうして娘のマルゲを私付きの侍女に推薦してくれたから、私は絶望に塗り込められずに毎日を過ごしていられる。


「お嬢様、どうなさったんですか? 急にこんな……」


 戸惑った声を上げながらも、マルゲが優しい手つきでよしよしと背中を撫でてくれる。


「もしや、奥様にお会いになって……!?」

 もやり、とマルゲから黒い靄が立ち昇る。


「ううん。いいの」

 ぷるぷるとかぶりを振って、ぎゅうっとマルゲにしがみつく。


「マルゲ、いつもそばにいてくれてありがとう」


 ほこりを払うように手を動かすと、黒い靄が四散する。


「お嬢様ったら……」


 柔らかく声を緩ませたマルゲが、ぎゅっと抱き返してくれる。その声にはもう、怒りの残滓ざんしは欠片も感じられない。




 予言の聖者の言葉は、正しかった。


 邪神の娘と呼ばれる私に、誰も確認なんてしたことがないけれど――。


 本当は、私は黒い靄を祓える破邪の聖女の力を持っている。


 でも、それを誰にも話したことなんかない。


 だって……。毎日、水垢離をしないといけないなんて、それ何の苦行――っ!?

 そんなの、絶対に嫌っ!


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