人形公女

夜道に桜

人形公女



人形公女。


周囲では私の事をそう呼んでいるらしいのです。


らしい、というのは実際に私の耳で聞いたことはなく、私の専属メイドであるクラリスが泣きながらに、教えてくれたからです。


彼女曰く、何でも私は、無慈悲で冷酷で人間の心を持っていない、人形のような小娘だとかなんだとか。


心外でした。


皆、そんな風に私の事を思っていただなんて。


傷つき、三日はそのことで頭が一杯で、胸が苦しかったです。


だけど、それでも私はいつものように早朝に起きて、クラリスに身だしなみを整えて貰い、父様が私に課した多種多様の稽古や仕事に励み、それを一通り終えると、床に就く……。


そのような決まり切った日常を過ごしていました。


ええ……毎日。


だけど、それがいけなかったのかもしれません。


その態度が、周りに私が感情を持っていない、人ならざる『人形』のような人物だという印象を与えてしまったようなのです。


そこまで行くと、私でも周囲が一歩距離を置いて、冷たい視線を向けてくるのが分かりました。


私はこの事態を抜け出したいと強く思いました。


だけど、私にはその術がどうしても分かりませんでした。


私には、エミリという一人の妹がいました。


エミリは、私とは違い、感情表現が豊かで、愛嬌もあって、皆から好かれる性格でした。


(私もエミリみたいに……でもどうやって?)


いくら考えても、私には『皆から好まれる自分』の姿が点で想像がつかないのです。


そして、ある日思い切って、クラリスに聞きました。


その時の彼女の顔はとても嬉しそうで、私の手を取って「ええ! ええ! 必ず、私が公女様の汚名を晴らします!」と意気揚々に部屋を飛び出していきました。



ーー


次の日でした。


いつものように稽古を終えて、床に就こうとすると、こっそりクラリスが袋を持って部屋に入ってきました。


そして、袋の中から一着の服を取り出し、胸をどん、と大きく叩いて、「明日は稽古もありません。この服に着替えて、街に行きましょう! 案内は私がします!」と言ってきました。



その服は、無地で、地味でした。

今まで、私が着たことのない類のものでした。


そもそも、私は父様の許しを無く、外出することは宜しくなく、それを破ることなど、とてもとても出来ることではなかったのです。


だから、クラリスには悪いけど、服は大事に保管して、話を断ろうとした時、クラリスは私に言いました。


「確かに公爵様の言いつけを守らないことは、悪い事です。ですが、私はメアリー様はそれでも一度……一度だけでいいですから……」


そこで、クラリスは一度、言葉を切って顔を俯かせて黙ってしまいました。


「クラ……」


「私を一日だけ信じてはくれないでしょうか」


……私はその時、彼女の発言の真意がわかりませんでした。


信じる?


私はクラリスを信頼していました。


だからこそ、自分の悩みを打ち明けた訳ですし、全くもって彼女の云わんとすることが理解できませんでした。


しかし、その時の彼女には、そう……何というのでしょうか……有無を言わさない迫力のようなものがあり、私はその勢いに気圧されてコクコクと頷きました。



ーー


次の日。


何も稽古の入っていない休日。


私にとって休日とは、部屋の中でただ読書をすることぐらいなのですが、その日はクラリスとの約束の日。


私は、部屋の端の誰も目の届かない引き出しにこっそりと隠してあった、クラリスの無地のワンピースを取り出し、着替えました。


そして、クラリスと共に、街に繰り出しました。


「今日は私の無理に付き合ってくれて有り難うございます! 公女様!」


「……ええ」


私は、クラリスの服の袖の端を親指と人差し指で掴んで、彼女と共に一日、色んなところを回り、出会いもありました。


結論から言うと、その日はとても楽しく、刺激的な一日でした。


クラリスには、こんな日を設けてくれたことに感謝してもしきれません。


しかし、楽しい時間は終わりを迎えました。


帰宅すると、父様が私を待っていてました。


父様は激高していました。


やはり、父様の許可なしで家を抜け出すことは不味かったのです。


私は罰として、3日間部屋から出ることを禁じられ、クラリスはメイドの職を解任された……とのことでした。



クラリスが私の元を去ってから、しばらく私の心は沈みました。


ただ、それでも毎日は冷静に一日……一日と経っていきます。


私は、また元ある日常へと戻っていきました。


いや……それは語弊があるかもしれません。


私の生活にはもうクラリスは居ないのです。


父様が選別されたメイドは、クラリスとは違い、私に対して何も言ってきません。


決まりきったメイドとしての業務を淡々とこなすのです。


『優秀』なのでしょう。


ただ、私にはそれが物足りなかったのです。


彼女と接している時、私は……そう手応えのないと言ったらいいのでしょうか……。

『モノ』と会話をしているのではないか、と時々錯覚し、独り言を言っている気分になるのです。


そして、その時、同時にーー他者から見た私も見えているのではないか、とも。


そう考えると、ぞっと背筋に悪寒が走り抜けました。


ーー


四六時中、私を襲う不快な感情。


私はこの感情を誰かに知ってもらいたかったのです。


ですが、誰に?


クラリスを失った私には、頼る人物がいません。


誰も、私に対して面と向かっては会話をしてないからです。


もどかしい。


日に日に私は精神が擦り減っていき、四六時中私は頭痛に苛まれ、私は自室に引き籠るようになりました。



ーー


「メアリー姉様。大丈夫?」


ベッドで横たわっていると、部屋の外でエミリが心配げに声を掛けてきました。


私が返事を返さずにいると、エミリは音もたてずに部屋に入り、私の元に寄ってきました。


「どうしたのですか? どこか体調でもよろしくないのですか? 父様も、使用人も皆、姉様を心配しているわ」


「……」


エミリは、心の底から心配しているわ、とでも言うように目を腫らして、私の両手を握ってきました。


だけど、私は知っています。


彼女のこの態度が演技であることを。


エミリには、どのような立ち振る舞いで、どのような事を言えば、うまく立ち回れるのか、生まれた時から、完全に、完璧に、知っている子でした。


この時、私の元に寄って来たのも、こうすれば周囲からの評価が高まることが分かっての行動だと、私は、頭を締め付けられるような痛みの中で、ぼんやりと、どこかエミリを遠くから見ているようなーー俯瞰の状態の中で思いました。


ただ、それを口にすることも顔に出すこともしません。


言っても、次に彼女が言うことは決まっているからです。


だから、私は彼女から背を向けるように、寝返りをうとうしたのですが。


「そんなのだから、姉様は失うのですよ」


突然、エミリが今までの優しそうな口調から一変させて、私の耳元で、声色を落としてそう言ったのです。





「……エミリ?」


私は、思わず身体を起こして、エミリを二度見しました。


「あはっ、姉様。姉様でも、そんな顔をするのですね? 安心しました」


「エミリ……」


エミリはどこか私を見下すように笑っていました。


「メアリー姉様。姉様は優秀です。何でも卒なくこなす……いえそうじゃないですね。何でも完璧にこなして、私は姉様に何一つ敵うことはありません」


「……」


早口で、言葉とは裏腹に、私を罵るように唾をまき散らすエミリの形相は、まるで積年の積もりに積もった思いを一気に吐き出しているかのようでした。


「私は、姉様にどこか憧れの念を抱いていました。私も、姉様のようになりたい、私も……」


そこで、一度エミリは喉をゴクンと鳴らして、私をキリっと睨んできました。


「ですが、それは叶わぬ夢です。私はメアリー姉様にはなれません。どうしても。そう思うと、心は軽くなり、気づいたんです。姉様の唯一つと言ってもいい欠点に」


「……」


クスクスと笑うエミリ。


私は何も言い返さず、ただエミリの言い分を聞くことにしました。


「姉様には『心』がないんですよ。どんな時も、どんな状況でも、姉様の心は氷のように揺らぐことはない。例え、私が地獄の業火にこの身を焼かれようとも、メアリ姉様は平然と私が燃えゆく様を傍観なさるでしょう? 人じゃないんです。姉様は。………………そう、まるで人形みたいに。姉様も分かってらっしゃるんじゃないですか? だから、私は心を持つように努めました。積極的に、疑似的に。大抵の人は感情で動きます。喜んで、怒って、悲しんで、泣いて。それらによって、突き動かされるんです。それが出来ない姉様は、他の全てが完璧であっても、ダメです。ダメダメです。クラリスの件だって、いくらでもやりようはあったのでしょう。あのいかれた父様からクラリスを手元に置いておく方法は……。私なら、黙っていません」


私の両手を包みこんでいたエミリの手が、その時、冷たくなったような気がしました。


分かっていたことではあっても、いざ目の前で口にされてしまうと、傷口を掘り返されたような気分になりました。


「エミリ……貴方……そんな事言いに来たの?」


私の声は、ひどく震えていました。


私は、エミリが思っているほど、心のない人間ではありません。


血の通った人間です。



「えぇ、全てを一つ、一つ、姉様が失っていく様を見るのは滑稽です。今日はそれだけを言いに来ました。では、私は失礼します。先約がこの後、あるので」


思いを全て口に出したエミリは、手を握るのを止め、椅子から立ち上がり、部屋を出て行きました。





一人になった後、しばらく私は茫然自失しました。


何度も何度も、エミリの言葉がこだまのように反響し、だんだんと私は『俯瞰』から引き戻され――ワンワンと初めて泣きじゃくりました。




そして翌日。


エミリは、エミリも、屋敷から出て行きました。


隣国の悪名高きフィーン伯爵家に嫁いで行ったのです。




それを私に聞かせてくれたのはお父様です。


父様の命令に忠実なメイドに、私を部屋に連れてくるように言ったのです。


父様は非常に上機嫌で、真っ赤なワインが入ったグラスを右手に掲げて、私に向かって、


「メアリー。朗報だ。お前に言っておくことがある」


「……何でしょうか? ……父様?」


私の言葉に元気はなく、聞き流す程度でした。


ですが、父様の次に言った言葉の内容は、あまりに耳を疑う内容でした。


「エミリを嫁に行かせた。お前に比べれば、愛想しか浮かべることのできない使えない娘だったが、ようやく使い道ができた」


「…………今……何と?」


実の父が娘に対して言うべき言葉ではない。


私はこの時、心の奥で何かが、ガラス細工が内部からピキ……ピキ……と割れるような音が聞こえたように感じました。


「聞こえなかったのか? エミリを嫁がせたと言ったのだ。相手はフィーン伯爵の次期当主だ。家としてはやや格落ちするが、エミリという事を加味して目を瞑った。伯爵もその事は十分分かっているだろう。祝儀は弾むそうだ」


ピキッ


「お前もそろそろどこかに嫁がねばな。私が探してやる。きっと高く売れるに違いない。ハッハッハ!」


「……」


ピキン。


何かが完全に壊れた音がしました。


そして同時に胸の奥底から激しく燃え上がるような火が舞い上がり、氷が溶けていくような感じがしました。


これがエミリの言っていた『怒り』と言った感情なのでしょうか。


父はエミリも私も娘としてみていなかったのです。


許せない。


発言を取り消して欲しい。


私にもエミリにも。


思うに、エミリのアレは私に対する叱責であり激励の言葉だったのでしょう。 


要領よく立ち振る舞おうとしたけれど、結局父の手のひらで転がされていただけの彼女なりの。


……立ち向かわなければ。


今、ここで父の言いなりになれば、私はずっとこの先も人形のままでしょう。


私は人間です。


人形じゃない。


街にだって父の許可なく出かけてみたい。


自由になりたい。


言うんだ、今。


息を大きく吸い込んで――


「お断りしますわ。お父様」


「――――なっ!? 何と言った、今?」


鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするお父様。


生まれて初めて父に反抗した。


でも何も後悔はしない。


私は今、誰にも縛られない自由への第一歩を踏み出した。


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