第14話 堅石さんとハンバーグ
「空野さん、今度の土曜日、メイドの薫さんが家に来ます」
「……えっ?」
金曜日、世間では花金と呼ばれるほど解放感がある曜日に、堅石さんからそんなことを言われた。
一緒にソファに座ってテレビを見ていたのだが、堅石さんの方を向いて話をする。
「明日ってことだよね? えっ、メイドのかおるさん?」
「はい、私の実家でメイドをしていただいていた、薫さんです」
「その方が、堅石さんが住んでるこの部屋に来るってこと?」
「はい、そうです」
メイドさんか、本当に実在するのか。
秋葉原でそういうカフェがあるというのは聞いたことがあるけど、実際に仕事としてあるというのは聞いたことがなかった。
「じゃあ土曜日は、僕はこの部屋に来ない方がいいかな?」
「……そうですね。それもありますが、もう一つ相談したいことが」
「相談したいこと?」
「はい。実は私の一人暮らしを最初から最後まで反対していたのは、薫さんなんです」
「そうなの?」
「私を小さい頃から見てくださった方なので、私に家事が出来ないということを知っている方だったので」
「あー、そうなんだ」
確かに僕も今まで見てきたけど、これほど出来ないとわかっていれば、一人暮らしをさせるのは不安だよな。
「だから明日、おそらく薫さんは生活を見に来るのでしょう。家事がちゃんと出来ているか、しっかり一人暮らしが出来ているかなどです」
「そ、そっか」
「しっかり出来ているところを見せて、薫さんを安心させたいのです。だから空野さん、協力して欲しいです」
メイドの薫さんにしっかり出来ているところを見せたい。
なるほど、それはわかるのだが……。
「家事が出来るところを、メイドさんに見せたいってことだよね?」
「はい、そうです」
……無理じゃない?
堅石さんが今、一人で出来る家事って掃除くらいだよ?
いや、掃除も立派な家事なんだけど、それ以外が壊滅的すぎる。
これから出来るようにしようって言ったって、明日来るって話だから時間が足りない。
「堅石さんが見せられる家事って、掃除だけだよね?」
「今のところ、掃除しか出来ません」
「だよね。今から明日までに、料理、洗濯とかを出来るようになるのは、さすがに無理があると思う……」
「そ、そうですか……」
ああ、あの堅石さんが目に見えて落ち込んでしまった……!
だけどさすがにあと一日、いや、あと半日程度で料理も洗濯も出来るようになるのは無理がある。
料理だったら一品だけ作れるようになるとかならまだしも……いや、やってみるか?
「堅石さん、短い間でも一品だけなら、料理は学べるかも」
「っ、本当ですか」
「うん、一品だけ作れても料理が出来るようになったとは言いづらいけど、成長はしてるとは言えるから」
「はい、それなら薫さんも少しは認めてくれるかもしれません。ですがもうすでに二品は出来るようになっています」
「えっ?」
「卵かけご飯とお味噌汁です」
「う、うん、そうだね。じゃあ三品目を覚えようか」
「はい」
卵かけご飯とインスタントのお味噌汁を一品と数えるのは難しいけど、今はいいか。
とりあえず、少しでも前向きになってくれたようでよかった。
「じゃあ何を作りたい?」
「……では、ハンバーグを」
「ハンバーグ?」
そこまで難しくないし比較的覚えられやすいとは思うけど、堅石さんがハンバーグを食べてるのを見たことはまだない。
もしかして好きだったのかな? もともと堅石さんはお肉系は好きだとは思ってたけど、まだ作ってあげたことはなかった。
「ハンバーグは好きなの?」
「はい、好きです」
「そうだったんだ。言ってくれれば作ったのに」
夕飯の時は堅石さんに「今日は何がいい?」とか聞くことがある。
その度に堅石さんはしっかり要望を言ってくれた。
だけど今までハンバーグと言ったことはなかった。
「ハンバーグは、薫さんとの思い出の味なのです」
「思い出の味?」
「はい。小さい頃、私の誕生日に両親が仕事が忙しくて家に帰ってこなかったことがありました。それで私は恥ずかしながら不貞腐れてしまいまして。だけどメイドの薫さんはとても優しく、その日は日曜日で仕事じゃないのにもかかわらず家に来て、私のためだけにハンバーグを作って一緒にご飯を食べてくださったのです」
堅石さんは当時のことを思い出すかのように少し目線を下げていた。
いつも無表情の堅石さんだが、今は柔らかい雰囲気で少しだけ口角を上げている。
「あの時食べたハンバーグが忘れられず、いつも誕生日の時はハンバーグを食べると決めているのです。だから無意識にハンバーグを頼まなかったのかもしれません」
「そっか……」
なんだか心温まる、とてもいい話を聞いた。
だからメイドの薫さんが来た時に、ハンバーグを作ってあげたいっていうのも、堅石さんの優しさが出ていて、すごく微笑ましい。
「じゃあメイドの薫さんのために、ハンバーグを頑張って作ろうか」
「はい、頑張ります。なのでご指導のほどよろしくお願いします」
「うん、こちらこそ」
ということでちょうど夕飯時なので、一緒にハンバーグを作ることになった。
ぶっちゃけ一緒にハンバーグを作るんだったら、僕が全部食材を切って、ひき肉をこねたりする部分を堅石さんに任せればいい。
だけど堅石さんは、全部を一人で作れるようになりたいようだ。
「だから私が包丁で食材を切ってもよろしいでしょうか?」
「……う、うん、そうだね」
正直、めちゃくちゃ怖い。
お皿を三枚連続で落として割った堅石さんに包丁を持たせるのは、怖すぎる。
だけど包丁を持たないことには食材は切れないし……。
「堅石さん、気をつけてね? 包丁は本当に危ないから、細心の注意を持って扱ってね」
「もちろんです。死んでも落とすことはありません」
「うん、落とさないようにするのはいいけど、柄の部分を両手で持たなくてもいいから」
そんな持ち方で食材は切らないし、それだとなんとなく刺すイメージしか湧かないから目の前にいる僕は命の危機を感じてしまう。
「堅石さんは右利きだから普通に右手で持って、左手は猫の手をして食材を押さえる感じだよ」
「こうですか?」
「うん、そうそう。じゃあ玉ねぎを切ってみようか」
ハンバーグには必ず入れる玉ねぎをまず切っていく。
「うん、そう。ゆっくりでいいからね」
「はい」
「そうそう、意外と出来るね」
少し失礼かもしれないけど。
「小中学生の頃に家庭科の授業で少しだけ学びましたから」
「ああ、そうだよね。僕もやったよ」
それだったらなんで包丁を両手で持ったのかわからないけど、今は置いておこう。
卵かけご飯やインスタントお味噌汁を料理と言っちゃう堅石さんにしては、意外と手際よく玉ねぎを切り終わった。
「目が、痛いです」
「ああ、そうだよね。大丈夫?」
堅石さんは涙を流していたので、ティッシュを持ってくる。
こんな時も無表情だからすごいな。
「知識として玉ねぎを切ると『硫化アリル』という成分が蒸発して目の粘膜に付着し刺激を与えるということは知っていましたが、ここまでなのですね」
「僕はそこまで詳しくは知らなかったけど、さすがだね」
「しかし玉ねぎを切るという作業は無事完了しました」
「うん、頑張ったね」
ティッシュで涙を拭いて、次の作業へと進んでいく。
僕が思ったよりも意外と料理をこなしていく堅石さん。
「ハンバーグの作り方は一度、薫さんに聞いたことがありますので」
「ああ、そうだったんだね」
お肉をこねながらそう話す堅石さん。
やっぱり堅石さんにとって、ハンバーグは特別なものみたいだ。
そして約一時間後、ハンバーグが出来上がった。
「完成しました」
「とってもいい感じだと思うよ!」
「少し不恰好な形になりましたが、許容範囲でしょうか」
初めて作ったわりにはとても綺麗に作れたと思ったけど、もう少し上手く作りたかったようだ。
向上心があるのはいいことだけど、初めてでここまで出来たのはとてもすごい。
「じゃあ食べようか」
「はい」
付け合わせなども適当に作っておいたので、お皿に盛ってテーブルに持っていき、一緒に食べ始める。
堅石さんは食べてすぐに目を見開いた。
「っ……美味しいです」
「うん、美味しいね」
とてもシンプルに作ったけど、やっぱりハンバーグは美味しい。
堅石さんはいつもよりも柔らかい雰囲気のまま食べ進めていき、すぐに食べ終わってしまった。
僕も一緒に食べ終わり、「どうだった?」と聞いてみる。
「美味しかったですが、やはりと言うべきでしょうが。薫さんが作ってくれたハンバーグには及びません」
「うーん、僕は食べたことないからわからないけど」
「ですが……自分で初めて苦戦して作ったからでしょうか。とても感動しました」
「……そっか。多分メイドの薫さんも、喜んでくれると思うよ」
「そうだと、私も嬉しいです」
少し不安そうにしながらも、喜んでくれることを思い浮かべたのか、少しだけ笑みを浮かべた堅石さんだった。
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