第12話 堅石さんから「あすなろ抱き」


 時計で見れば数分後、しかし体感で一時間ほど経った頃、ようやく堅石さんが「ありがとうございます」と言った。


「十分堪能しました」

「そ、そっか、よかったよ」


 ようやく離れることが出来た……ほっとしたような、残念なような、複雑な気持ちだ。


「『あすなろ抱き』、素晴らしいものでした。空野さんはどうでしたか?」

「えっ? ど、どうって?」

「私はとても良いものだと認識出来ました。空野さんはよかったですか?」

「あ、はい、その……よかったです」

「具体的には?」

「ぐ、具体的に!?」

「はい。私は空野さんが後ろから腕を回してくれてぎゅっとしてくれたことにより安心感があり、空野さんの少し固くも温かい身体が背中に当たることによって心地よさが増したのですが、同時に鼓動が激しくもなりました。総合的にとても良かったです」


 す、すごい具体的に言われた……!


 恥ずかしいことを言ってるはずなのに堅石さんは堂々としている。

 なんで僕だけがこんな恥ずかしい気持ちでいっぱいなんだ……。


「それで、空野さんはどうでしたか?」

「ぼ、僕はその……堅石さんを抱きしめたら、すごく柔らかくて、いい匂いも、して……」


 ほ、本当にこんなことを言っていいのか?

 だけど堅石さんはとても真面目に聞いているみたいだし……。


「最初はすごく緊張して、あまり安心感とかはわからなかったけど……離れる時に寂しいって思ったから、その、やっぱりくっついてると、心地よい安心感はあった、と思います」

「そうですか……それはよかったです」


 堅石さんはニコッと笑った。

 くっ、ここでそんな可愛らしい笑みはずるい……!


 しかし何やらすぐに考え込むように顎に手を当てた。


「……今思ったのですが、『あすなろ抱き』は前で抱かれる人と、後ろで抱きつく人がいますよね」

「そうだね」

「別に女性が前で、男性が後ろというのは決まってないですよね」

「……そう、だね」


 とても嫌な予感、というかこれは絶対に……。


「空野さん、ぜひ次は私が後ろから抱きつく役をやらせてください」

「……はい」


 もうここまで来たら、堅石さんのやりたいようにやらせよう。


 僕が背を向けて、堅石さんが後ろから抱きつこうとする。


「空野さん、少しかがんでもらえませんか? このままでは空野さんの肩の上から腕を回せません」

「うん、わかった」


 膝を曲げるというよりは、足を広げて僕は低くなった。


「はい、そのくらいで。では、抱きます」

「う、うん……」


 堅石さんの透き通った綺麗な声でそんなことを言われると、さすがにドキッとする。

 さっき僕がしたのを真似するかのように、全く同じ腕の回し方で抱きしめてくる堅石さん。


 そして堅石さんが回した腕に力を込め、ギュッとした瞬間――。


「っ……!?」


 僕の背中で、押し付けられた大きな何かが、むぎゅっと形を変えた。

 背中というよりは肩や首あたりに当たっているそれは、堅石さんが部屋着という薄着なのもあって、感触がほぼダイレクトで伝わってくる。


「どう、ですか?」


 左を向けば頬と頬がくっつきそうな距離にある堅石さんの顔、そんな距離でボソッと囁かれた言葉にぞくっと背中に電気が走る。


 これは、いろいろと、ヤバい……!?


 抱きしめられる安心感とかはもうわからない、それ以上に背中に当たるものと、すぐ近くに綺麗で可愛らしい顔があるのが、もう僕の心臓がバクバクと動きすぎて壊れそうだ。

「……空野さん? どう、なんでしょうか?」

「っ……!」


 僕の反応がなかったからか、さらに強く抱きしめられ、耳に息がかかるほど近くで囁かれる。

 背中に当たるそれが、さらに押し付けられて形を変えて――。


「も、もう無理!」

「えっ」


 僕はしゃがむようにして堅石さんの腕から抜け出した。

 これ以上は、もういろいろと限界だった……いや、もうほぼ限界を超えていたけど、なんとか耐えた。


「空野さん、どうしました? 顔が真っ赤ですが、体調が優れないのでしょうか?」

「い、いや、別に体調が悪いわけじゃないから、大丈夫だけど、違う意味で大丈夫じゃなかった」

「そう、ですか……私の『あすなろ抱き』は、よくありませんでしたか?」


 堅石さんが無表情ながらも、少し気を落としたようにそう聞いてきた。


「ちが、あの、よ、よかったんだけど……!」

「ですが、『無理』とおっしゃって、逃げてしまいました……」

「あ、そ、それはね……」


 そういう意味の「無理」じゃなかったんだけど。

 説明するのはとても恥ずかしい、だけど堅石さんが勘違いしたまま落ち込むのは絶対にダメだ。


「堅石さんから後ろから抱きつかれるのは、僕にとって刺激的すぎて、その、嫌じゃないんだけど、耐えられないって意味で、無理ってことだったんだよ」

「刺激的……どのような刺激があったのですか?」

「えっと、僕、耳が弱いみたいで、耳元で囁かれるとぞわぞわするのと……その、胸が、背中に当たってて、それが……刺激が強かったです」


 自分の顔が真っ赤になっているとわかりながら話した。


 堅石さんの顔が見れずに顔を逸らしていたのだが、いつもすぐに返事をする堅石さんが、なかなか返事をしない。


 チラッと堅石さんの方を見ると……。


「っ……!」


 堅石さんは頬を赤らめて、恥ずかしそうにしていた。

 まさかそんな顔が見れるとは思わず、目を丸くして見つめてしまった。


「っ、す、すいません、取り乱しました。それに私のきょ、胸部が空野さん背中に当たってしまったということで、深くお詫びいたします」


 堅石さんはいつもよりもお堅い言葉遣いになりながら謝ってきた。


「い、いや、僕の方こそ、ごめんなさい」

「空野さんが謝る必要はありません。私がワガママで『あすなろ抱き』をやりたいと言いましたので、このような事態が起こったのは全て私の責任です」

「うん、まあ、どっちも悪いってことで」

「空野さんがそれでいいとおっしゃるなら」


 数十秒ほど、お互いに恥ずかしい思いをしてどちらも喋らない、気まずい雰囲気が流れた。

 その空気を切ってくれたのが、お風呂が沸いた音だった。


「……空野さん、お風呂が沸いたようなので、入ってきてもよろしいでしょうか」

「う、うん、どうぞ」


 堅石さんが着替えなどを持って、お風呂場へと向かった。


 僕も一息つくのと顔の熱を冷ますために、冷蔵庫から冷たいお茶を飲んだ。


「はぁ、だけどまさか堅石さんがあんなに動揺するなんて。だけどそりゃそうか、女の子なんだし、胸が当たったら恥ずかしい……ん?」


 あれ、だけど堅石さんって、僕に裸を見られても平気だったよね?

 裸エプロンをしてたし、僕の後ろで全裸になって下着を渡してきたこともあった。


 だけど胸があたることは、恥ずかしい、のか?


 ……どういう基準なんだろう、それは。


 もちろん胸が当たることは恥ずかしいと思うけど、裸を見られることよりも恥ずかしいのか?


 いやだけど大事なところを隠せば大丈夫って言ってたから、裸を見られるのは恥ずかしいのかな。


 ……すごい大きくて柔らかかったな。


「はっ! ぼ、煩悩退散!」


 このままだと変なことを考えてしまうから、僕は堅石さんがお風呂から出てくるまで、筋トレをすることにした。



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