第11話 堅石さんと「あすなろ抱き」
夕食を食べ終わり、僕がキッチンで食器を洗っていると、堅石さんがリビングのソファで本を読んでいた。
いや、本は本でも、あれはラノベだ。
学校のようにブックカバーをつけてないので、表紙が見えるからすぐにわかった。
ソファの背にもたれかかることなく、背筋がピンと伸びてとても姿勢正しく読んでいる。
そして読んでいるのは、ラブコメ系のラノベだ。
堅石さんが読む漫画やラノベは、全部僕が持ってるもので彼女に貸していた。
隣同士の部屋で住むようになってから一ヶ月ほど、彼女は結構な速度で僕が持ってるラノベや漫画を読んでいく。
それでもまだまだあるくらい、僕は漫画やラノベを持ってるけど。
皿洗いなどが終わり、僕もリビングに行って彼女の隣に座る。
「空野さん、ライトノベルの作中に出てきた用語について、一つ質問をしてもよろしいでしょうか?」
「なにかな?」
「この『あすなろ抱き』なるものは、どういったものでしょうか?」
「あー、それね」
これは説明が難しいなぁ。
「簡単に言うと、バックハグみたいなものだよ」
「バックハグ……後ろからハグをされる、つまりここの場面で言えば、主人公がヒロインの後ろに立ち、ハグをしたということですか」
「そうだね」
「なぜ『あすなろ抱き』というのでしょうか?」
「うーん、語源とかは僕もあまり詳しくないけど、有名な作品の題名から取った名前だった気がするよ」
元は漫画だったけど、違うドラマで有名な俳優がそれをやってから、人気になったというのは聞いたことがあるかも。
「そうなのですね。バックハグではなく『あすなろ抱き』という固有名詞になるくらい有名なのはすごいですが、どのようなものかはわかりづらいですね」
「まあ、言われてみればそうだね」
一般的な名詞じゃなく、知る人ぞ知るみたいな感じだ。
「空野さん、やってみてはいただけませんか?」
「ん? やってみる?」
「はい、あすなろ抱きを」
「……僕が? 誰に?」
「もちろん、私にです」
「堅石さんに!?」
思わず驚いてそう声を上げてしまったが、堅石さんは特に表情を変えることなく頷く。
「はい、よろしいでしょうか?」
「いや、その、こういうのってそういう男女関係にある人達がやるもので……」
「そういう、とは?」
「交際関係にある男女ってことだよ」
「ですがこの作品の主人公とヒロインは交際していないのに、『あすなろ抱き』をしていますが?」
「そ、それはそういうお話で、盛り上がっててね……」
堅石さんが純粋すぎて、説明しづらい。
「その作品を読んでたらさ、主人公はヒロインのことが好きで、ヒロインは主人公のことが好きでしょ?」
「はい、この二人以外の登場人物が『早くくっつけよ』と言っていますが、私もそれに同意します」
「そ、そうだね。だから二人は両想いだから許されるんだよ。男の人がいきなり付き合ってもない女性に、後ろからハグしたらダメでしょ?」
「そうですね。しかし私と空野さんの場合は、当てはまらないのでは?」
「えっ?」
「私は空野さんにしてもらいたいと思っているので、問題ないかと思います」
「うっ……」
な、なんかすごい勘違いしてしまいそうな言い方だ……!
違うぞ、僕、これは堅石さんが「あすなろ抱き」というのを経験してみたいだけで、別に僕のことを好きなわけじゃない、うん。
「空野さんは、私にしたくないですか? それなら、諦めますが……」
「うっ、いや、したくないわけじゃないけど……!」
「では、したいですか?」
「……したいかしたくないかで言えば、前者です」
「では、問題はありませんね」
くっ、論破されてしまった……!
本当に僕が堅石さんに「あすなろ抱き」をすることになるとは。
「どうすればいいでしょうか? 座ったままでも出来るのでしょうか?」
「いや、立った方がやりやすいのかな……」
「ではそうしましょう」
お互いにソファに座っていたが、立ち上がって準備をする。
といっても堅石さんは僕に背を向けるだけ、僕は……心の準備だ。
「いつでもどうぞ」
「う、うん……!」
僕は堅石さんの後ろに立って、おそるおそる手を前に回す。
堅石さんは高身長でスタイルがいいけど、一応僕の方が少しだけ高いから、堅石さんの右肩あたりから右腕を前に回し、優しく抱きすくめる。
左腕は堅石さんのお腹あたりに添えて、そして堅石さんの左肩に僕の顔を乗せる感じにすると……。
「っ……!」
「これで、完成でしょうか?」
「う、うん、形としては、そうだと思います」
ヤバい、心臓が破裂しそうだ……!
めちゃくちゃ近いというかもうくっついてるし、彼女のサラサラした髪と顔がすぐ隣にあるから、すごいドキドキする。
「……なんだか、動悸がします。ですが嫌な感じではなく、心地よい感じです」
「……そ、そっか」
そ、それは、堅石さんもドキドキしているということかな……?
逆にそれを聞いて、僕もさらに胸が高鳴ってきてしまう。
「……」
「……」
えっ、これいつまでやってるんだろう?
ぶっちゃけ早く離れないと、僕の心臓がもたない気がする。
「堅石さん、その、もういいかな?」
「あ、はい。『あすなろ抱き』というものを理解しました。しかし、まだもう少しやってほしいのですが……」
「えっと、理解は出来たのに?」
「はい、お恥ずかしいですが、空野さんに『あすなろ抱き』をされると、とても動悸がするのですが、とても心地が良く、落ち着きます。動悸がするのに落ち着くという矛盾が起こってますが、嫌ではありません」
堅石さんはそこまで言うと、すぐ隣にある僕の顔の方を向いた。
「あともう少し、してくれませんか?」
「……わかりました」
こんなことを言われて、「嫌だ」と言えるほど僕は無神経じゃない。
だけどそれだけ聞くと本当に、なんだか恋人みたいな感じがして心臓がバクバク言うんだよね……!
違うぞ、僕、堅石さんは僕を「お兄さんみたい」と言ってた。
だからこれはおそらく家族に抱きしめられて、安心するといった感情だ。
決して恋愛感情なんかじゃない。
勘違いするな、勘違いするな……。
僕は心の中でそう唱えながら、堅石さんを「あすなろ抱き」し続けた。
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