エピローグ

 キーンコーンカーンコーン

 目が覚めると、そこはいつもの教室の、いつもの俺の席だった。

 さっきまで果てしない青空の下にいたはずなのに、いつの間にか時刻はもう夕方で、窓の外を見ると辺りはもうオレンジ色に染まりきっていた。


 深く短い夢。


 そんなものを見ていた気がして、まだ頭がボーッとする。

 でも夢にしては妙にリアルで、鮮明で。

 あまりにも俺にとっては大切な記憶で、思い出すと胸が苦しくも温かい何かに包まれるような、そんな感じがした。

 それに机の上に置いてあるヒビだらけの瓶が、何よりもあの出来事全てが夢ではなかったことを裏付けてくれる証拠。


「あいつの物語……」

 俺が預かったあいつの存在全て。


 これから俺がやるべきこと。


「あら?真部まなべくんまだ残ってたの?」

 ガラガラっという音と共に教室の扉が開き、先生が俺の方に近づいてくる。

「なんだか寝起きの顔してるわねー。さてはずっと寝てたなー」

 俺の担任であり、現代文の先生でもあるこの人は、いつも明るく笑いかけながら何かと俺に話しかけてくる。

 クラスに馴染まず、授業にも出ない面倒な生徒代表みたいな俺に関わってくる不思議な人。

 そんな唯一の味方にも、俺は結局どうしていいか分からず、つい冷たく当たってしまっているのだが……。

「そういえば真部くん、進路希望の書類は提出できた?まだ出してないの、多分真部くんだけなんだけど」

 俺の顔を覗き込みながら先生は言う。

 そんな先生がどことなくあいつに似ているような気がしたからか、はたまたただの気まぐれか。

 いつもの俺だったら無視して教室を出るはずなのに、今日は何故かこの人と少し話してみたい。そう思ってしまった。

「あのさ……」

「ん?どうしたの?」

 相変わらずのニコニコ笑顔を向けてくる。

「先生は、この世に存在する物語が忘れ去られてしまう時って、どんな時だと思う……?」

「え?」

 普段は話しかけても無視する俺が口を開いたことに驚いたのか、不思議そうな顔で首を傾げる先生。

「どうしたの突然?」

「いや、だから、その……。物語が忘れられていく理由ってどんなのがあるのかなと思って……」

 先生の話を遮って脈略の無い質問をぶつけてしまった自分自身に驚いて、つい言葉が詰まる。

 そんな俺を見て、先生は何故かいつもよりもさらに明るく笑いながら、静かに俺の前の席に腰を下ろした。

「うーん、そうだねー。やっぱり戦争とか災害とか起こると物語を読む機会がそもそも減るんじゃないかなー。呑気に楽しんでる暇も余裕もないだろうし」

 物語なんて別に生きていくための必需品じゃないしねー、と先生は窓の外を見つめながら言う。


 生きていくための必需品じゃない。

 確かにそうだ。


 物語を読んでも空いた腹は膨れないし、乾いた喉が潤されるわけでもない。

 物足りなさを感じたとしても、物語が存在しなくたって俺たちは生きていける。

 でもやっぱり、あの砂浜に打ち上げられたガラス瓶の山の光景を思い浮かべると、そんな言葉で片付けられてしまうのはどこか理不尽すぎて胸が苦しくなった。

「真部くんはどう思うの?」

「え?」

「いや、だからそんなこと聞く真部くん自身は、その質問に対してどんな答えが正解だと思っているのってこと」

 いつもの笑顔で俺の目をじっと見てくる先生。

 その表情がどことなくやっぱりあいつに似ている気がして、俺はつい下を向く。

「俺は……」

「うん」

「その、何が正解とかは分かんねぇけど」

「うん」

「毎日新しい情報に溢れてて、何かに追い立てられるように生きてて、目的もないまま日々を過ごしてると、そうゆう大事なものってどんどん忘れてくような気がして……。戦争とか災害とかそういう大きな出来事ももちろんそうだけど、忘れ去られていく理由は、もっと身近なところにあるんじゃねぇかなって」


 目の端に夕日に当たってキラキラ光るガラス瓶が見える。


「それでも俺は、自分にとって大切な物語くらいは大事に覚えておきたいなって」


 そう心に決めたから。


「なんか真部くんかっこいいこと言ってるねー」

 頷きながら俺の言葉一つ一つに耳を傾けてくれる先生。

 ニヤニヤ笑いながら「ヒューヒュー」とからかってくるから、つい顔が赤くなって「うるせぇ」と悪態をつく。

 それでも、こんなおちゃらけたフリをしていても、この人は俺のことをちゃんと見てくれているから、俺もついこんな話を先生にしたくなったんだろう。

「なんか今の真部くん、いつもより輝いてていいね」

「は?」

「普段は毎日がすごくつまらないみたいな感じなのに、今の真部くんはなんだかスッキリした表情してる」

 胸の中のモヤモヤが取れたのかな?と笑顔で先生が言う。

「今日の現代文の授業、受けてくれてすごく嬉しかったよ。あの言葉、クラスのみんなに向けても言ったけど、一番は真部くんに届いて欲しかったから」

 そういえば今日の現代文の授業。珍しくちょっと出てみようかな、なんていう気分になってぼーっとしながら聞き流してた。


「先生はね、思うんだ」


 授業の終わりに一人一人と目を合わせる勢いで教卓からクラスを眺めていた先生。

「今みんな自分の人生にすごく悩んでいて、どうしていいか分からなくて、辛い時もいっぱいあると思うけど」

 俺もあの時先生と目が合った。そんな気がした。

「あなたの人生という物語の主人公はあなた自身だから」


 あなたの思うように、自由に描いていっていいんだよ。


 先生のあの言葉が妙に心に引っかかって、ありのままの自分を認めてもらえたような感じがして、頭からどうしても離れなかった。

 目の前に座る能天気そうなこの先生も、俺より明らかに子供だったあいつも、なんでこんなにも人の心にスッと入り込んでくるのか。

 それでもこの感覚が実はそんなに嫌じゃないってことを、俺自身も認めざる追えないのだが。


「ちゃんと届いたよ」


 先生の目を見てしっかり返す。うまく笑えてたかは知らないけど、とりあえず気持ち程度には微笑んで。


「ちゃんと届いた」


 俺の言葉に先生は頷き、ゆっくりと立ち上がる。

 いつの間にか夕日は沈んでいて、窓の外は藍色に染まり始めていた。

「よし、もう遅いし真部くんもそろそろ帰りなさい」

 背伸びをしながら先生はドアの方に向かっていき、その後ろ姿を俺はなんとなく見つめる。

「あ、そういえば」

 扉に手をかけながら先生は歩みを止める。

「物語は忘れ去られても、消えたとしても、きっと繰り返し語られるためにいつかまた現れると思うな」

「え?」

「さっきの話の続き」

 真正面を向いたまま、こっちを見ないまま、先生は「だってさ」と言葉を続ける。


「たとえガラスが砂に戻っても、砂だっていつかまた巡り巡ってガラスに戻るんだから」


 世の中そういうものだもん。


 ガラガラという音とともに教室の扉が開き、コツコツと先生が遠のいていく足音が微かに聞こえる。

 教室に残されたのは俺と一本のガラス瓶。

「物語なんて普段読まないんだけど、たまには読書でもしてみるか」


 読んでみようと思った。

 あいつの物語を。


 覚えておいてやろうと思った。

 あいつがあいつでい続けるために。


 そして語ってやろうと思った。

 世界中が忘れてしまっても、きっと俺が伝えれば、あいつの物語はきっと誰かの心に残るだろうから。

 きっといつか誰かを救うだろうから。


 それが俺がようやく見つけた、俺のやりたいことだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

永遠に語る 針音水 るい @rui_harinezumi02

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ