第五幕 彼が願うものーⅤ

「貴方が何を取材したいのかによるね。店の概要が知りたいだけなら、これで取材はおしまい。これまでに店を訪れた客についての話を聞きたいのだとしたら、先にも伝えたように、承諾いたしかねる。実際に願いを叶える様子が見たいのなら――ハナダに捻られた腕に貼る湿布でも願ってみるかい? せっかく代金も支払ったことだしね」

 冗談交じりのトータの提案に、グレッグは腕をさすりながら、口をへの字に曲げた。

「湿布も悪くはないけれど」

 彼は呟く。腕から手を離し、ペンを掲げてトータに見せつける。

「取材を思い立った時から、聞きたいことは決まっていた。何を願うのかでも、店のルールでもなくて、この店そのものと店員についてだ。何故こんな店があるのか。誰が作ったのか。どうして君たちがここで働いているのか。俺はそれが知りたくてたまらない」

 先までのおどけた表情を消したグレッグの真摯な視線を、トータは真っ向から受け止めた。

「客に語るようなことじゃない。面白おかしい話でもない」

「そんな」

 突き放したトータの返事に落胆し、再び落ちそうになるグレッグの肩を、続くトータの言葉が支える。

「だから、僕はハナダを連れてこなかった」

「え?」

 素頓狂な声で聞き返し、グレッグは目を丸くした。挑発めいたトータの表情が、グレッグの目にくっきりと映し出される。

「奪ってみたらどうだい? 僕が持っている、《この店について語りたくない気持ち》を」

 トータは親指で、己の胸元をトンと突いてみせた。

 グレッグは開いていた口を閉じ、やや間を置いてから、指先でぽりぽりと頭を掻く。

「妙な具合になってきたな。つまり、なんだ。君の中にある、『この店のことを秘密にしておきたい』という意思を奪い取ったら、君は自ら、店について語り始めるってことか。そして俺は、この店について語りたくなくなる、と。本末転倒な気がするぞ」

「それはどうかな。貴方の目的は、他の誰かにこの店の話をすることではなくて、この店について記事を書くことのはずだ。だったら、話はしなくても記事にはできるのだから、目的は果たせるよね」

「そう、なのか?」

 グレッグは眉根を寄せ、頭を掻くついでに髪の毛までもぐしゃぐしゃと掻き回した。

 トータはグレッグの心境を見透かしているかのように、懐柔の言葉を追加していく。

「客の願いが叶うように僕が助言をする、まして、願いそれ自体を提案するなんて、例外中の例外だ。料金割引についても同じ。貴方の目的は、普通の客とは根本から違うからね。だから僕としても、双方の願いが巧く落ち着くよう協力するに吝かでない」

 頭を左右に大きく振って、グレッグはトータの言葉によって麻痺してきた脳に必死で喝を入れる。

「あえてそんな助言をするくらいならば、そんな回りくどいことをしなくても、普通に語ってくれれば済むことじゃないか」

「僕が店についてぺらぺら喋りたくないのは本心だからね。それでも、客の願いを叶えるのがこの店だ。貴方が店のルールに則って願うのならば、僕はそれを拒むことはできない。正直に言えばね、僕は、貴方の願いの影響で僕らが不利益を被らないよう、予防線を張っているんだよ」

 グレッグは「ううん」と悩ましげに低く唸った。

 店の情報を願うようグレッグに提案したのは、トータ自身だ。トータが本気で店について語りたくないのならば、無理矢理にでもグレッグを追い返せば良かったにも関わらず、である。難しいことではなかったはずだ。この店には、ハナダという豪傑がいるのだから。

 怪しい。少なくとも、無断で事務所の玄関先を撮影していたグレッグ以上には。

 だがそれ故に、余計に気になって仕方がない。

「トータ君は?」

 唐突にグレッグは尋ねた。トータは薄く微笑んだまま小首を傾げ、視線で先を促す。

「トータ君は、俺から何を奪うつもりだ? ここは、願いの交換取引をする店なんだろう」

 グレッグの指摘が非難の響きを含んでいたのは、いつの間にか彼を取り囲んでいる、居心地の悪い空気を振り払うためか。だが、霧のように霞のように捕らえどころのないその空気は、グレッグを取り撒いて離れない。

 その空気を生み出す原因は、間違いなく、この少年。

「内緒」

 口元に人差し指を当てるトータに、グレッグは臍を噛んだ。子どもらしい仕草であるはずなのに、連想するのは天使ではない。悪魔だ。

「ご指摘通り、貴方と僕は何かを交換をすることになる。けれど、交換は基本的に平等だ。この程度の願いであれば、貴方が不利益を被るとしても然したることはないはずだよ」

 さも事も無げに付け加えられて、グレッグは腕を組んで考え込んでしまうが、やがて、ふー、と、長く息を吐いた。

 緊張か不安か、それとも期待のためか。グレッグの鼓動が早くなり、冷や汗が頬を伝う。それなのに、口元には何故か、にやりと笑みが浮かんだ。

「《トータ君が持っている、願望交換局について語りたくない気持ちが欲しい》」

 誘導され、グレッグの口から吐き出された願いが、地下室の中に反響する。

 トータはグレッグの顔を見上げ、口の両端を僅かに吊り上げて。

「そうこなくちゃ」

 楽しそうに言った。

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