第五幕 彼が願うものーⅣ

「こいつはまた、壮観というか、見物みものというか」

 暗い地下室の全貌を存分に目に焼き付けながら、グレッグは興奮もしきりに感想を漏らした。彼の右の人差し指は、カメラのシャッターを切りたくて仕方がないのだろう、写真機の上でうずうずしている。

 他所ではまずお目に掛かることはない、無数の引き出しに埋め尽くされた地下室の壁。その異様な光景に驚愕する者、畏怖する者はこれまでにも数多くいたが、ときめきが隠しきれない、という彼のような反応は稀である。トータにしてみれば、不愉快ではないものの、拍子抜けの感が無くもなかった。

「『驚異、引き出しだらけの地下室!』……うーん、安っぽいな。『願いが詰まった引き出し』、駄目だ、全然面白くない。この独特の雰囲気を読者にそのまま伝えるには……」

 指で唇を撫でながらぶつぶつと呟くグレッグは、早くも記事の見出しを練っているらしい。トータは暫く、彼の様子を面白そうに眺めていたが、やがて徐に切り出した。

「この店の名は『願望交換局』。その名の通り、ここは願いを叶える店ではなくて、願いを叶えるために、他の誰かと交換取引をする店だ。その点についてはご存じだったかな」

 グレッグは写真機から手を離し、いそいそと手帳とペンを取り出す。

「初耳だね。いや。願いを叶える代償に、客も何かを失うらしいということは、なんとなく察していたけれど。そうか、それは交換という手段だったのか」

 素早くペンを走らせながら、ふんふん、と納得するグレッグ。

 トータは目を瞬かせた。この男、抜けた言動から受ける印象に反して、理解が早い。試すつもりで、一気に説明する。

「依頼者と、他の誰かの所有物の交換を仲介するのがこの店だ。交換できるものに大きさや性質の制限は無い。物理的に存在しなくても問題無い。交換可能な相手はこの世界にいる人間のみだけれど、相手はこの場にいなくても構わない。また、交換に相手の同意は必要としない。交換相手は依頼人が自由に選ぶことも、店に任せることもできる。依頼人は、自分が手に入れるものと、自分が差し出すもの、そのどちらかしか決められない」

「ふんふん。つまり、例えば単に《あのオモチャが欲しい》でもいいし、人を指定して《ジャックが持っているあのオモチャが欲しい》でもいいわけだ。普通は交換できないような、物質として存在しないものを求めることもできるし、交換に応じてもらえそうにないようなものでも、無理矢理奪ったり押しつけたりできる、と。それで、《ナントカが欲しい》という願い方をするならば、《カントカを人にくれてやる》と、同時に願うことはできないのか」

 さらさらとメモを取りながら要領よく噛み砕いていくグレッグに、トータは苦笑し、内心脱帽した。

「今までに来店したどんな立派な肩書きの客よりも、ずっと飲み込みが早いよ。新聞記者にしておくのが勿体ないね」

 グレッグは手帳から目を離してトータに視線を合わせると、ぷくりと子どもっぽく頬を膨らませる。

「さすが新聞記者だと言ってもらいたいもんだ。どっかのお偉いさんなんかと違ってね」

「おっと、それは失礼」

 二人は互いに皮肉めいた笑みを浮かべ、おかしそうに肩を揺すった。

 トータは笑いを収めると、両腰に手を当てて問いかける。

「それで、貴方の願いは一体、なんだったかな」

 促されたグレッグは授業中に発言をする学生のように、勢いよく挙手をした。

「この店の取材がしたい。だから、《トータ君が持っている店の情報が欲しい》かな」

 なるほど、とトータは頷く。靴底で床をコツコツと叩いた。

「その願い方は、間違ってはいない。ただ、この店は僕にも確信が持てないことが少なからずあってね。例えば、記憶や情報のような、共有が可能な願いについてだ」

「と、言うと?」

「普通、自分が所有するものを交換に出したら手元には残らない。けれど、情報は教えるだけで相手に与えることになるから、自分の手元にも残る。この店で情報を願う客には、ただ単に知ることだけが目的の人と、その情報を相手から奪う、つまり、相手が忘れることが目的の人がいる」

「違いは、情報を元から持っていた人が、交換後もその情報を覚えているか否か、ということか」

「そう。問題は、交換の結果、情報が完全に奪われる実例が少なくないということだ」

 グレッグはパチンと指を鳴らした。地下室に乾いた音が響く。

「そうか。トータ君が持っている情報が欲しい、と俺が願うと、君がこの店について忘れてしまう恐れがあるわけだ。それは君も当然困るだろうし、俺が取材をする意味も無くなる。確かに、そいつは危ない賭けだな」

「そういうことさ」

 グレッグは話が見えた爽快感からすっきりとした笑顔になるが、ほどなく、がっくりと肩を落とした。

「それじゃあ、俺はどうやって取材をすればいいんだ?」

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