第五幕 彼が願うものーⅢ

 二杯目の紅茶をハナダに要望してから、グレッグは懐から手帳と万年筆を取り出す。手垢のついた革の手帳は、挟み込まれたメモでぶくぶくと分厚く膨れ上がっていた。万年筆のペン先を嘗めながらグレッグは語る。

「件のおばさんから話を聞いた時には、俺も全く信じていなかったんだ。だが、他のネタを担当している記者連中と話をするうちに気になり出した。古今東西、大小関わらず、あちこちの事件の背景に見え隠れする奇妙な店の噂が、ね」

 トータはソファに腰を下ろし、背もたれに体重をかけた。ふんぞり返る、と表現して差し支えないかもしれない。

「それらの事件と、店との関係については黙秘させてもらうよ。そういう決まりなのでね。彼らの話を信じるも信じないも、貴方の勝手だ」

「信じてみたくなったから、俺はここを訪れた。信じたら記事にするし、信じられなければメモを破り捨てるまでさ。今欲しているのは、この店についての情報だけで、他の事件については二の次だ」

 彼は欲張らない。勿体ぶる甲斐がない相手だ、とトータは思う。

 グレッグは身を乗り出し、メモ帳にペン先を置いた。準備万端の体である。

「それじゃあ、まず」

「待った」

 鼻息も荒く質問を投げかけようとするグレッグを、いきなりトータが遮った。何も尋ねていないのに、と、グレッグは憮然とする。

「まだ、取材を受けるとは言っていないよ」

 トータの言葉に、「やれやれ」と大仰に首を振るグレッグ。

「感触は悪くないと思ったんだけどな。店の宣伝にもなることだし。どうすれば許可がもらえるんだい」

「元より、僕には許可を出す気がない。宣伝なんてどうでもいいことでね。この店について詳しい話を聞けるのは、実際に店を訪れた、本当の客だけだよ」

 足を組み、その上に組んだ手を置き、澄まし顔のトータは素っ気ない。グレッグはペンを持った手でこめかみを掻きながら眉根を寄せた。

「つれないことを言うじゃないか。盗撮犯は客じゃないってことか」

「違うね。本当の客とは、即ち、願いを叶えに来た客だ。お茶を飲みに来た人も、壁を塗りに来た業者も、新聞記者も、この店の本当の客とは呼べないのさ」

「すると、俺が取材をするためには」

 グレッグはペンの尻を顎に当てて考え込んだ末に、ペン先をびしりとトータに向けた。

「願えばいいのか。《この店の情報が欲しい》と」

 トータは指を差し返し、口の端を上げて笑う。

「正解」

 グレッグは、よし、と拳を握って喜んだ。子どものような反応に微笑しながら、トータは念を押す。

「これから貴方自身が、今まで噂に聞いていたような、いわゆる『願いの交換』をすることになる。それでいいんだね」

「実際に、願いを叶えるところを見たいと思っていたからな。まさに願ったり叶ったりさ」

「そう」

 トータはカップに残っていた紅茶を飲み干すと、徐に席を立つ。

「予め伝えておくよ。今回の料金については、本来の値段の半額だけを頂くつもりだ」

「そうなのか? 割引なんてサービスがあるとは思わなかったな。取材経費で落とせるか怪しいから、ありがたい話ではあるが」

「と、言うのも、今回は僕たちの都合も絡んでくるからね。貴方の願いに関して、いくつか条件を付けたいんだ。その分、半額はこちらが負担する」

 グレッグに説明しながら、トータはハナダに目配せする。

 彼女には珍しく、ハナダは少しの戸惑いを見せた。常であれば、支払いは交換の直前だ。ほんのわずかに悩ましげに、それでもハナダは請求書を用意した。受け取ったグレッグは躊躇なく財布から紙幣を出し、ハナダに支払う。

「それじゃあ、やろうか」

 トータは言って、再度、ハナダに目で合図する。了解した彼女が、店の奥、天井から下がる房紐を引くと、壁際の黒い書棚がゆっくりと横滑りし、その下から、地下への階段が現れる。グレッグは無邪気に「おお」と歓声を上げた。

 ハナダが用意したランタンを片手に提げ、トータはグレッグを手招きする。グレッグは慌ててカップを空にして立ち上がると、首を伸ばして階段の奥を覗き込んだ。

 ひやりと冷たい空気がグレッグの肌を撫でる。

「ドキドキするねぇ」

 恐怖より、不安より、好奇心が勝ったと見えるグレッグは、顔を紅潮させて嬉しそうにコメントする。

 そんな男を眺めていたトータが、つと、ハナダに顔を向けた。

「ハナダ、今回は付いてこなくていいよ。上で待っていてくれ」

 彼女はいつになく驚いたようだった。少なくとも、トータにはそう見えた。

 しかしハナダは、特に追求するわけでも抵抗を示すわけでもなく、素直に頷くと、小さく片手を振って「いってらっしゃい」と告げる。

 トータはそんなハナダの顔をしばらく見つめると、くるりと背を向けて地下への階段を下り始めた。


 グレッグは二人を交互に眺めて当惑していたが、やがてハッと我に返ると、写真機が揺れないよう両手でしっかりと押さえながら、慎重にトータの後を追う。

 一人残されたハナダは、随分と長い間、階段の入り口を瞬きもせずに眺めていたが、やがて気を取り直してか、てきぱきとカップを片付け始めた。

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