第四幕 想いの行方ーⅦ

 ぼそりとイアンが呟く。息子であるハルはまだ声変わりをしていなかったが、それでもどこか、父親に似た声をしていた。だが、今しがた発せられたイアンの声は、溌剌としたハルの声とはあまりに大きくかけ離れている。

 人間は、ここまで感情の籠らない声を出せるものなのか。

「分かるよ。いや、分かった」

 トータはあえて言い直す。どれだけ目を合わせようと試みても、イアンの視界に収まっている気がしなかった。

 イアンは独白のように、ぼそぼそと小さな言葉を口から零す。

「失敗するだろうと、そう思っていた」

「そうだろうね。でなければ、こんな交換を認めるはずがない。本来であれば、決定権は貴方にあるのだから。けれど貴方は父親という立場上、可能性を不意にするわけにはいかなかった」

「分かるはずはないと。ハルとロージーの気が済めば、それでいいと思ったのに。なぜこんな店が存在するんだ。なぜ二人は店を見つけてしまったんだ。なぜ、君たちは、ペテン師であってくれなかったんだ」

「僕とて問いたい。なぜ貴方は、子どもたちが信じるとおりの実直な父親であってくれなかったのか」

 トータの貫くような鋭い語気に、イアンは突如、はっきりと目に見えて反応を示した。今にも落ちそうだった瞼が見開かれ、トータの緑の瞳を憎しみも露わに睨みつける。

 しかしトータは動じない。いつになく強い口調で、畳みかけるように喋り続ける。

「セルマさんは、偶然、ちょうどこのタイミングで家に帰ってきたわけじゃない。彼女は、おそらくは行方不明になった四ヶ月前から、ずっと貴方たちの家の中にいたんだ」

「黙れ」

「では彼女はなぜ、自宅にいながらその姿を認められなかったのか。どこに身を隠している? どうしてわざわざ隠れなければならない? 答えは簡単だ。セルマさんは、自らの意志で行方をくらませたわけじゃない」

「黙れと言っている」

「そして、あの子たちに母親の居場所という情報を提供した交換相手は、一体どこの誰なのか――」

「黙れ、黙れ、何も言うなあああぁぁぁっ!」

 イアンは両手で耳を固く塞ぎ、天井を仰いで絶叫した。ガラガラに割れた声が喉から迸り、不快な響きが地下室に木霊する。

 それでも、トータの幼い声は容赦なく、イアンの脳へと突き刺さる。

「彼女の居場所を知っていたのは、他の誰でもない、貴方だ。イアンさん、貴方は妻であるセルマさんを殺害した。そして彼女の遺体を、自ら家の壁の中に塗り込めたんだ」

 それは、場の空気を一瞬で凍り付かせる告発。

 ハナダが、ほんのわずかに顔色を変えた。まるで急に小雨が降り出したかのような些細な反応ではあったが、それでも確かな変化だった。

「奥様を、殺した?」

 控えめな困惑の声に気が付いて、トータはハナダに目を向けた。苦々しげに答える。

「そうだよ。そうとしか考えられない。先の交換は、彼ら父子三人と、彼ら以外の誰かとの間で成立したんじゃない。兄妹二人と、イアンさんの間で行われたんだ。なぜそうなったのか。セルマさんの居場所を知っていたのは、この世にただ一人、イアンさんしかいなかったからさ」

 イアンは耳を塞いだまま、その場に膝から崩れ落ちる。目の焦点は合わず、ただでさえ悪かった顔色は見る見るうちに土色になっていく。ブツブツと唱え続ける何某かの言葉は、呪いのようにも、祈りのようにも聞こえた。

 それはいずれにしても、この世の者でない何かに捧げるもの。

 イアンの異常な様子を目の当たりにして、なおもトータの言葉の雨は止まない。しのぐ傘も屋根もない地下室で、ただ雨は、イアンの頭上から冷たく強く降り注ぐ。

「夫が妻の消息を知っているのは、何も不思議なことじゃない。けれど疑問が生じる。どうして子どもたちに何も教えない? 警察に助力を求めてまで、知らないふりを通しているのはなぜか。理由は明白。やましいことがあるからさ」

「やめろ」

 イアンはとうとう面を上げた。トータは構わず、一方的に続ける。

「伝えられない理由は、様々あるだろうとは考えたけどね。酌量の余地がある事態もあるだろうと。けれど、子どもたちが先ほど得た情報に、貴方の今の様子。残念だ」

「違うんだ、私は」

「違う? 何が? 家の壁の中で、セルマさんが幸せに暮らしているとでも?」

「そんなつもりはなかったんだ、殺すつもりなど!」

 激高し、声を激しく荒らげてから、イアンはハッとして口を押さえた。

 トータはこれみよがしに溜息をつく。

「認めてしまったね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る