第四幕 想いの行方ーⅤ
懇切丁寧とは言い難いトータの助言に戸惑い、ハルは棒立ちになってしまった。
こっそりと見上げたイアンの顔色が、驚くほど悪い。今は、父に答えを求めても意味が無いような気がした。ロージーは話が全く呑み込めておらず、ハルと父とトータの顔を、くるくると忙しく見回している。
決定権は自分に委ねられているのだと、ハルは思った。
「交換をするのは、僕一人だけ? 父さんやロージーも一緒に交換ができるの?」
尋ねると、トータはちょっぴり目を丸くして、ハルを寸の間見つめたかと思うと、優しく微笑んだ。
「セルマさんを独占したいわけじゃなくて、また四人一緒に暮らせるようになることが望みだものね。残念ながら、答えは『実際に交換をしてみないと分からない』だ。というのは、貴方たちが何を交換に出すことになるかを、現時点では知り得ないから」
トータの不明瞭な回答を、ハルは眉根を寄せて自分なりに咀嚼し、新たな質問をひねり出す。
「じゃあ、三人一緒に交換しようとして、それが上手くいかなかったらどうなるの?」
「それも分からない。交換自体が成立しないかもしれないし、三人のうち、誰か一人とだけ交換することになるかもしれない。全ては店の意志と、真実次第だ」
思わせぶりなトータの言い様に、ハルは表現し難い引っ掛かりを感じた。
『真実』とはなんのことだろう。ハルが知らない何もかもを、トータはすでに見透かしているのだろうか。歳はハルとほとんど変わらないように見えるのに。
そもそも、トータの話は曖昧な点が多すぎる。どこまで信じていいのか、それ以上に、本当にトータを信じていいのか、ハルにはまるで分からない。けれど。
ハルは大きく一度深呼吸すると、トータを見つめたままで呼びかける。
「ロージー。父さん」
二人の視線が、ハルの背中と横顔に注がれるのを感じた。妹の手をぎゅっと握ると、そのぬくもりが勇気になった。
「僕と一緒に、願ってくれる?」
ハルはまず、ロージーを見下ろした。妹の大きな瞳がさらに大きく、丸くなる。ハルの手を力一杯握り返して、ロージーは強く、頷いた。
同じように頷き返すと、次にハルは背後を振り返って、父親の顔を見上げる。
イアンの逡巡は、長かった。その間、ハルとは一度も目が合わなかった。それでも最終的に、イアンは力無く首を縦に振る。ハルはそれをイエスと受け止めた。
腹に力を入れ、フー、と、長く息を吐くと、ハルは再びトータに向き直る。願いはもう決めていた。
「《セルマ=クロージャーの現在の居場所、その正確な情報が欲しい》」
ハルの願いを聞いたトータは、心の中で密かに唸る。巧い願いだと思った。
やはり、この少年は聡い。母親そのものを求めるのではなく、居場所を知るだけであれば、現在のセルマの状況に結果が左右されることは無い。場所さえ分かれば、彼ら父子が自力で探し出せる公算も高くなる。
問題は、彼女の消息を知る者がこの世に存在しない場合の交換相手だが、人間一人が誰にも知られることなく消え失せる可能性は低いだろう。例え、もしも交換相手がいなかったとしても、その場合は、交換そのものが破棄されるだけである。
その上、ハルが求めているのは「情報」だ。国家機密などというならばともかく、今回の件に限って言えば、希少価値はさほど高くない。これならば、三人が代わりに手放すものも、それほど重くはならないだろう。
トータは誰にともなく小さく頷き、ちらりとハナダに視線を送る。彼女はいつものように合点して、そつ無くイアンに請求書を手渡した。
受け取ったイアンは、紙片を矯めつ眇めつ、いかにも胡散臭そうにハナダへと問う。
「何も起こらなかった場合には、返金してもらえるのだろうな?」
この期に及んで、とばかりに、ハルが父親を睨みつけた。尋ねられたハナダに代わって、トータは嫌な顔をするでもなく答える。
「実際に交換が行われた場合、例え結果が依頼人の希望に副わなくても、無かったことにはできないし、返金にも応じられない。けれど、なんらかの事情により交換自体が為されなかった場合には、新たな願いを聞く、または返金することも検討しよう。ただし、交換が成立したか否かの判断は、僕に委ねられる。その点は承諾して頂きたいね」
淀みの無いトータの返答と、子どもたちから注がれる厳しい視線に、イアンはたじたじと尻込みする。溜息とともに懐から財布を出すと、請求書の額面通りをハナダに渡した。
トータは支払いを見届けると、父子三人を地下室中央まで誘導し、横一列に並ばせる。真ん中にロージー。彼女を挟むようにハルとイアン。人形を抱きしめて怯えるロージーに、トータは優しく微笑みかけた。次にイアンへ視線を送るが、やはり目は合わないままである。
最後にトータはハルの顔を見て、眼差しだけで覚悟の有無を問う。少年は強張った表情ながらも、はっきりと強く頷いて見せた。
トータはポケットから鍵を取り出すと、正面の壁へ向かって歩を進める。彼を呼ぶ方へ。願いと願いを繋ぐ場所へ。
それは真正面、トータの腿ほどの高さにある、横に長い引き出しだ。
トータは静かにしゃがみ込み、片膝を床についた姿勢で、引き出しの表面をそっと撫でた。中心にぽっかりと空いた穴に鍵を差し込み、回す。
刹那。視界を埋め尽くしたのは、黄緑色の激しい光だった。
引き出しはひとりでに開いた。ガタンと、壁の奥から誰かに勢いよく押し出されたかのように。大きく開け放たれた引き出しから飛び出した光は、その場に留まるでも、漂うでもなく、一瞬で宙を走り抜けた。
閃光。いや。光線。
引き出しを中心として放射状に、横糸の無い漁網のように解き放たれた幾筋かの細い光は、トータの頭上を、左右をすり抜け、彼の背後で棒立ちになっている三人を襲った。三者三様の短い悲鳴が上がる。
ハナダは数歩離れた場所から、遠くの花火でも見物しているかのような面持ちでその光景を眺めている。
暗い地下室を飛び交う黄緑色の光は、ハルやロージーの眉間を撃ち抜き、弾け、火の粉のような欠片を零して四散する。誰にも当たらなかった光もまた、四方の壁にぶつかり、跳ね、そして闇に溶けて消えていく。
溢れ出る光の眩さに目を細めながら、トータは光源の最奥を見据えた。頭の中へと流れ込んでくる情報は、この店を管理する者だけに与えられる特権。
トータは見た。
交換したものを。
交換したひとを。
そして、真実を。
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