第四幕 想いの行方ーⅢ
僅かたりとも揺らぐことの無い、どこまでも深い緑の瞳に、イアンはぐっと気圧されてたじろいだ。二人の間にぴりりとした緊張が走る。
ハルとロージーは首を忙しく左右に回し、向かい合う二人から滲み出す険悪な空気に戸惑っているようだったが、やがてその息苦しさに耐えかねたのか、ハルがやや大げさに明るい声を張り上げた。
「父さん、とにかく話だけでも聞いてもらおうよ。僕もロージーも、傷ついたりなんてしないさ。このまま何もできずにいるよりは、可能性があることならなんでも試してみたほうが、あとになってから後悔しないはずだ」
ハルはイアンの膝に両手を置いて揺さぶり、ロージーも父親の背広の袖をぎゅっと掴んで、下から顔を覗き込む。トータの底の知れない瞳とは全く違う、どこまでも澄み切った二人の瞳に、イアンは再びたじろいだ。
そこにトータが便乗する。
「実際に依頼をするか否かは、客の自由だ。納得のいく説明が得られなければ、全て無かったことにしてお引き取り頂いても構わないし、僕らは何も聞かなかったことにする。僕がどれだけ力説したところで、イアンさん、貴方は僕を信用できないのだろうけど。願いによっては、この店には賭けてみるだけの価値があると思うよ」
それが決定打となったようだった。イアンは子どもたちとトータから目を逸らして俯き、しばらく思案に沈んでいたが、やがて、疲れ切ったように長く息を吐いた。
「ハル」
彼は改まって息子の名を呼ぶ。机上の冷めかけた紅茶を取り、ソファに深く座り直した。
「トータ君に話してみなさい」
たちまち、ハルの顔面に喜色が広がった。ロージーと紅潮した顔を見合わせて頷き合う。
諦めたように目を閉じ、黙って紅茶をすすり始めた父親に代わり、ハルはトータに真っ直ぐ視線を合わせ、待ちかねたとばかりに口を開いた。
「《母さんに帰ってきてほしい》。それが僕らの願いだ」
トータは片眉をわずかに持ち上げた。父子の背後に控えるハナダが、ゆっくりと一度瞬きする。
「それは、切実だね」
短いトータの感想。
玉葱でも刻んでいるかのように目を潤ませているロージーに気遣わしげな視線を送りつつ、ハルは両膝の上で拳を固く握りしめ、明瞭な口調で続ける。
「母さんの名前はセルマ=クロージャー。いつもきれいで優しくて、僕もロージーも父さんも大好きな、最高の母さんだよ。でも、四ヶ月前に出かけたきり行方不明なんだ」
そこでふと思い出したように、ハルは胸ポケットから細い鎖がついたロケットを取り出し、トータに差し出した。蓋を開くと、中にはセピア色の小さな写真が収められている。何かの記念日にでも写真館で撮影したのだろう、一家四人が寄り添い合って笑い合う、温かみ溢れる一枚だった。
今よりさらにあどけない顔つきのハルとロージー。イアンは現在と比べ頬がふっくらとして健康的に見える。
そして、イアンに肩を抱かれて微笑む、豊かな赤毛の小柄な女性。彼女がセルマか。
「ママは、わたしとお兄ちゃんに、いい子にしてるのよ、って言ってお出かけしたの。それからずっと、ずーっと、帰って来ないの」
人形を両腕に掻き抱いて、ロージーは声を震わせた。人形が着ている服は、ロージーが着ているワンピースと同じ布地で作られている。母親の手作りなのかもしれない。
四ヶ月。まだ幼い子どもたちにとっては、途方もなく長い時間に違いなかった。
トータは暫く写真を眺めてからロケットの蓋をそっと閉じて、ハルの手の上へ丁重に戻す。ポケットにロケットを収めるハルの所作は、大切な宝物を扱うそれだった。
「手がかりは何か? 警察には」
トータからイアンに向けての問いである。眉間に深い皺を刻み、イアンは弱弱しく頭を振った。
「妻の実家、親戚、友人関係、行きつけの店まで、思いつく限り尋ね回ったよ。警察にも届け出たし、彼らは協力的だったけれどね。だが、どれだけ探しても、なんの手がかりも音沙汰も無い。セルマはあまり外向的ではないし、一人で黙って姿を消すとも考えにくい」
イアンはそこで、一旦言葉を切る。続く言葉は、鉛のように重く沈んでいた。
「なんらかの事件に巻き込まれたというのが、警察と私の見解だ」
ハルとロージーが不安げに父の顔を仰ぎ見る。イアンは膝の上で組んだ手に顎を乗せて俯き、黙り込んだ。
トータは口元に手を置いたまま、しばらく瞬き一つせずどこかを見つめていたが、やがて一人静かに頷くと、残っていた紅茶を飲み干し、すっとその場に立ち上がった。
そうして彼は、掌を見せて片手を伸ばす。あたかも、父子に救いの手を差し伸べるかのように。
「試してみる価値はあると思うよ。セルマさんが貴方たちのところに帰ってくる可能性も、低くはないだろう。あとは、貴方たちの覚悟次第だ」
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