第四幕 想いの行方ーⅡ

 男は少年の背と少女の肩に両手を回し、そのまま二人をぐるりと回れ右させる。自らも店に背を向けると、子どもたちを押して歩みを促した。

「さあ、もう気は済んだだろう。帰るぞ、二人とも。途中でお菓子でも買ってやろう」

「ち、ちょっと待ってよ、父さん」

 少年は慌てて父親の手から逃れると、再びトータのすぐ下の窓枠に飛びついた。少女も兄に倣って懸命に藻掻いているが、軽くいなされている。

「ここで間違いないよ。茶髪の小さな男の子に、黒い髪を三つ編みにした女の人。ね、嘘じゃなかったんだよ。ここでお願いしてみようよ」

 トータとハナダ、そして父親へと順に目をやりながら、少年は興奮気味に説得を試みるが、父親には取り合う気が全く無さそうだ。

「ハル、大概にしろ。そんな夢みたいな店が本当にあるわけがないだろう」

「でもパパ、ウィリアムズさんのおうちの家政婦さんが」

「ロージー、お前もだ。からかわれたんだと、何度言ったら分かる」

 父親は強い口調で我が子を諌めるが、少年は襟の後ろを掴まれてなお壁に貼り付き、少女は大きな瞳いっぱいに涙を溜めて今にも溢れさせそうである。

 そんな親子のやりとりを、半ば困ったように、半ば面白そうに見守っていたトータだったが、これでは埒が明かないと判断したのか、やんわりと口を挟む。

「君たちは、ここに用があって来たんだね? 法律相談事務所、もしくは――願望交換局に」

 トータはそのまま、口を噤んで三人の反応を待つ。少しの間を置いた後、トータの問いかけから今の状況を理解した子どもたちは、きらりと目を輝かせて破顔する。

 反して、父親は、愕然として言葉を失っていた。




 ハナダが常のように手際よく、四人分の飲み物を盆に載せて運んできた。

 ローテーブルを間に挟んで、一方のソファにはトータ一人が、そしてもう一方には、父親を中央に、親子三人がやや窮屈そうに収まっている。

 砂糖がたっぷり入られた紅茶を口に含んで、少年と少女は嬉しそうに顔を綻ばせたが、父親は狐につままれたような表情を、いまだに消せないままでいた。

「願いを交換する店。いやはや、まだ信じられないな。まるでおとぎ話だ」

 幼い兄妹の父親、イアン=クロージャーは、片手を添えた頭を左右に振って苦笑した。

「なんだよ、父さん、まだ疑ってるの? 僕たちが言っていたとおりじゃないか」

 少年、ハル=クロージャーが斜め下から父親を咎めると、妹のロージー=クロージャーも、頬をぷくりと膨らませて繰り返し頷き、兄に同調する。両脇から子どもたちに睨まれて、イアンは困り顔を隠せない。

 子どもたちにも分かるよう、優しい言葉を用いての簡単な説明を終え、乾いた喉を紅茶で潤していたトータは、親子の様子に「ふふ」と小さく笑った。

「ハル君。普通の大人の感覚なら、こんな店はインチキだと思うのは当然だよ。僕がお父さんの立場だったとしても、きっと信じなかっただろうな」

 トータにやんわりと諭され、ハルはしゅん、と項垂れた。対照的にイアンは、ほっと胸を撫で下ろしたようである。

「では、この店も」

「この店に限っては、インチキではないけれど」

 イアンがまだ言い終わらないうちにトータが素早く釘を刺し、途端、ハルとロージーが期待に満ちた面持ちをトータに向ける。あまりに正直で純粋な反応に、トータは再び笑いを漏らしそうになった。

 カップを机に置いて、膝の上で両手を組み、トータは改まって話し始める。

「さて。店を訪れた際のやりとりを聞くに、貴方たち、いや、ハル君とロージーさんには、何か叶えたい願いがあるようだ。それは、ここまで僕の話を聞いてなお、この店で叶えたいと思う願いなのかな」

「そうだよ、どうしても叶えたい! 僕とロージーだけじゃないさ。父さんだって、ただ話を信じていないだけで、叶えたい気持ちは僕らと変わらないよ。な、ロージー。父さんも」

 両手を胸の前で固く握り、ソファから半分腰を浮かした姿勢でハルは鼻息を荒くする。ロージーも兄と同じように手を握って首を縦に振るが、イアンは「それは、まあ」と、煮え切らない。

 ハルは父親の反応が不満なようだったが、非難をこらえて先を続ける。

「お金は、僕のお小遣いじゃ足りないと思うけど、父さんも出してくれるだろうし。それでも足りなければ、新聞配達でも靴磨きでもなんでもして、残りも絶対に払うから」

「おにいちゃん、わたしも! わたしの貯金箱も、こわしていいよ!」

 ほとんど立ち上がりかけのハルの勢いにつられて、ロージーもソファからぴょんと飛び降りて意気込んだ。一身に注がれる熱い眼差しが、トータには痛いほどである。

 イアンは長い溜め息をつくと、二人の服の後ろ襟を掴んでソファへと引き戻し、どさりと深く座らせた。

「分かった、分かった。お金の心配なんて、お前たちはしなくていい。父さんが払う」

 兄妹からわっと歓声が上がり、二人同時に父親の腰に抱きつこうとする。だが、イアンの発言はまだ終わっていなかった。

「ただし、この店が本当に願いを叶えてくれるなら、の話だ」

 子どもたちが不安げに表情を曇らせるのも構わず、イアンの細い目がトータを捉える。その視線は険しかったが、トータは逃げずに受けた。

「どうなのかな、トータ君」

 短い沈黙。トータはこれまでの柔和な笑みを消し、その代わりに、意味ありげな微笑を薄く浮かべて答えた。

「冗談や詐欺の類ではないと、先からお伝えしているはずだけどね」

「そうそう信じられるものではないと、私も先から言っているはずだ。手品のような楽しいインチキならまだしも、子どもたちを傷つけるようなことには関わらせたくない。まして不幸な目になど」

 イアンの懸念を聞き終えないうちから、トータは目を閉じ、首を小さく横に振った。開いた目で、再度イアンを見据える。

「僕らは誰の不幸も望んじゃいない」

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