第三幕 言葉にするには難しいーⅢ

 男の真っ直ぐな視線と数秒間対峙してから、トータはとうとう、苦笑した。

「いちいち驚かせてくれる人だね。人を殺せない殺し屋だって?」

「ああ。私は生まれてこのかた、人を殺せた試しがない」

 膝の上で手を組み、力無く肩を落とす男。トータはぴくりと片眉を上げる。

「その口ぶりからすると、殺しを試みたことはあるようだね。先ほどの自信を見る限り、狙撃の腕が問題というわけではなさそうだ。ならば心理的原因かな。いざ殺す場面になると怖気づいてしまう、だとか」

「標的に照準を定め、実際に引き金を引いた回数ならば数え切れない。手元が狂ったことは一度も無い。付け足すと、私は人を殺すことに対して、抵抗感も躊躇も恐怖も無い」

 堂々と言い切る男の表情からは、殺し屋としての矜持がはっきりと見て取れる。

 トータも本気で言ったわけではない。この男、どこか超然としたところがあり、人を殺すことをなんとも思っていないと言われれば、それが本心だろうと妙に納得させられるのである。

「それではなぜ、貴方は人が殺せないのかな」

「分からない」

 情けない返答を寄越し、大の男がしゅんと萎れた花のように項垂れるので、トータは大仰に長い溜息をついた。上体を起こしてソファに浅く座り直すと、男に顔を近づける。

「具体的な話を聞かせていただこうかな」

 殺し屋は口を真一文字に結んで、トータの顔を見つめ返した。

 こくりと首肯し、素直に了承する。

「開業して最初に受けた依頼は、裏街を取り仕切っていた男の殺害依頼だった。人気ひとけの無い裏路地で、無防備にも一人で人を待っている背中を、十メートル後方から狙った。ところが」

 殺し屋は右手の親指と人差し指で銃の形を作ると、トータの左胸に狙いを定める真似をした。手首のスナップを利かせ、発砲直後の反動を再現する。

「私が撃った瞬間、標的は犬に吠えられて腰を抜かした。銃弾は素通りした。銃声と悲鳴と犬の吠え声を聞きつけた部下達が飛んできて、私の初仕事は失敗に終わった」

 男は虚ろな顔でのろのろと腕を下ろした。

 トータは笑い出しそうになるのを必死で堪える。ハナダの動じなさがこれほど羨まれたことが、未だかつてあっただろうか。

「次の標的は、銃弾が左胸に直撃したにも関わらず死ななかった。直前に賭博で大勝して、懐に分厚い札束が入っていたらしい。三人目は後頭部を狙ったが、狙撃のタイミングで標的の背後に老朽化した照明が落ちてきて弾を防いだ。眠っている標的を、一メートルの至近距離から撃ったこともある。あそこまでアクロバティックな寝返りを見たのは、後にも先にもそれっきりだ」

 笑いの波が引いていくにつれ、トータは妙な徒労感を覚え始めた。ローテーブルに肘を突いて、痛み始めた頭を指三本で支える。

 淡々と、抑揚も無く、殺し屋、いや、「殺したいが殺せない屋」は語り続ける。

「銃以外の殺害方法を試みたこともある。崖から突き落とせば、岸壁から突き出した木に引っ掛かって落ち損ねる。洗面台で窒息させようとすれば、栓が壊れて溜めた水が無くなる。胸に突き刺したナイフは、どこでどう間違えたのか、手品用の玩具にすり替わっていた。先日などは、心臓を患っていた男に薬を盛って病死に見せかける計画を立てたが、実行前夜に唐突に病が完治した」

 次から次へと出てくる、男の「殺人失敗談」。さながら喜劇だと胸中で感想を抱きながら、トータは呆れ果てて口を挟んだ。

「そんな調子で、よく生計が立てられるものだね」

「殺し以外の仕事であれば、しくじったことはこれまで一度もない。諜報活動などで十分やっていける。だが、私はあくまで、殺し屋なのだ」

 真剣そのものの切実な瞳で、男はトータを見据えた。

「分かるか、私の願いが。私は、人が殺せる殺し屋になりたいんだ」

 トータは、その眼差しを真っ向から受け止めると、一度目を伏せて口元に手を当て、じっくりと思考を巡らせてから顔を上げる。

「一応、話は分かった。確かに貴方の言ったとおりだ。貴方の願いは、なんというか、言葉にはし難い」

 トータは観念して認めた。

 この店において、客は、何かを手に入れる、もしくは手放すことで願いを叶える。しかし、この男の願いを叶えるためには、何を交換すればいいのだろう?

 間の悪さだろうか。それとも運だろうか。どちらにせよ、「殺人」という場面でのみ発揮される類のものではない。男が「人を殺せない」決定的な要因、もしくは、「人を殺すことができる」確実な要素など、果たして存在するのだろうか。

「この店は、変なところで融通が利かない。欲望のままに下手な願いを叫んで、取り返しがつかないことになった客は、これまでにも大勢いる。まあ、僕も分かっていながら、強いては止めないのだけれど」

 両掌を耳の横まで上げて、トータはお手上げの意を示した。おどけたような微笑を浮かべて、あえて尋ねる。

「さて、貴方はどうする? 運に任せて、適当な言葉で取り繕ってみるのも一つの手だ」

 男はじとりとトータを睨んだ。とは言っても、殺気立ってはいない。むしろ、気落ちしているように見えた。

「助言は無し、か。けれど諦めろとも言わない。私は人殺しを宣言しているのにな」

「願う、願わないは客の自由さ。この店の主である限り、僕は客の願いを聞き続ける。貴方に道徳を説くのは、警察か教師か神父か、貴方を育てた誰かにお任せするよ」

 トータはそこで発言を締め、冷めたカップを受け皿ごと持って、のんびりと紅茶をすすり始める。トータが客の決断を待っているのだと、殺し屋は察したようだった。

 男は、もう水しか入っていない氷嚢をハナダに返すと、両膝に手を置いてじっと床を見た。

 考える。十秒。二十秒。ほとんど瞬きもしない。

 一分近くが経過した頃、男はゆっくりと目を閉じ、そして開いた。

「時間を取らせた」

 静かに告げて、彼はソファから立ち上がる。

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