第二幕 彼女のほしいものーⅤ

「すごい、すごいわ、とても気に入ったわ! これをつけてダンスを踊ったら、いったいどれだけの人間が私を羨むかしら」

 完全に宝石の輝きの虜となったマーガレットは、首飾りの下に手を入れて、その重みと、シャラシャラと耳に快い響きにうっとりと目を細める。

 しかしそこで、ふと、気が付いた。

 絢爛豪華な首飾りの下に、もう一つ、小さな首飾りが存在していることに。

 見覚えのある小さな宝石と、単純で貧相な装飾の感触を指でなぞり、マーガレットは目を瞬かせる。

「どうして、まだこれが。交換したのに」

 よくよく目で見て確かめようと、手鏡を取り出して首元を映し、まじまじと覗き込んだ。鏡の中には、首飾りと一緒に、己の顔が映り込む。

「――っ!」

 それは、床に取り落とされて鏡が割れる音と、全く同時。

 絹を裂くような凄まじい絶叫が、地下室に響き渡った。

 およそ人のものとは思えない、耳をつんざくおぞましい声に、トータは首をすくめる。

「あ、あああ、ああ」

 床に膝から崩れ落ちたマーガレットの唇が激しくわななき、言葉らしい言葉が出てこない。見開かれた目は焦点が定まらず、両手を添えた頬からは一切の血の気が失われていた。


 マーガレットの顔は、いや肌は、老婆のように醜く変貌していたのである。


「何よこれ、何なのよ!」

 彼女は顔中を、首元を、腕を、肌という肌を、手当たり次第に撫でさする。透明感のある乳白色だった皮膚は瑞々しさを失い、かさつき、灰がかった白に変色している。張りのあった頬は痩せこけ、骨の形がくっきりと浮かび上がっていた。  

 目尻にも額にも口元にも深い皺が幾筋も刻まれ、なお余った皮が重力に負けて垂れ下がる。きめ細かで滑らかな皮膚は見る影もなく、顔中の至るところに大きな肝斑がまだらに汚く浮いて、まるで泥でも跳ねたかのようだ。

 それらを確かめる両の手すらも、痩せて骨ばり、節くれだって、皺だらけの弛んだ皮膚で申し訳程度に覆われていた。

 割れた鏡の破片を覗き込んでは、自分の容姿を目の当たりにすることに堪えきれず目を逸らし、しかしすぐにまた、何かを期待して鏡に顔を映し込み、そして拒絶する。

 血走った目で愚挙を繰り返すマーガレットを遠巻きに眺め、トータは詩の暗唱でもするかのように、つらつらと淀みなく語る。

「この世界には、どれだけの人間がいるだろう。その中で、外見を気にする人がどれだけいるだろう。瞳や鼻や眉、耳、唇、前歯に首、指に胸に肩幅。自らの体の部品の微々たる大きさの違いや、太さ細さを気にする人が、一体どれだけいるのだろう」

 マーガレットが大きな目を欲した時、その交換相手となった人物は、「今より小さな目」を欲していた。

 鼻が低いと悩む者。唇が薄いと不満を抱く者。胸が大きすぎると考える者。

 彼女の願いのほとんどは、この世界のどこかに、真逆の願いを持つ者が存在するものだったのである。

 マーガレットの体の各部は、より彼女の理想に近くなるよう、都合よく変化していたわけではない。彼女と願いを交換した誰かの体の各部と、そっくりそのまま挿げ替わっていたのだ。それも、肌や大きさが彼女と酷似している人間のものと。

 これまでのマーガレットは極めて運が良かった。少なくとも、トータはそう思わざるを得なかった。

 もしも店が気まぐれを起こして、同じ部位同士を交換しない場合があったのなら、彼女の鼻が二つに増えたり、指が合わせて二十本生えたり、逆に、体のどこかが欠損してしまう事態もあり得たのだから。

「同じ人間に生まれた以上、生まれつきの事情や病や怪我が無い限り、目や鼻や耳は誰でも所持しているだろうさ。けれどね」

 トータは淡々と続ける。視界の中心に据えるのは、マーガレットの首で誇らしげに輝く品。

「この広い世界の中でも、女王様が持っているような豪華で素敵な首飾りを持っている人なんて、数えるほどもいない」

 マーガレットが、トータに向けてゆっくりと首を回した。

 古いゼンマイ仕掛けの人形のような、固く、ぎこちない動きだった。

「どういう、ことよ」

 今や彼女の声までも、しゃがれて年老いたように聞こえた。トータはあえて丁寧に解説する。

「貴女が元々持っていたような目や鼻を欲しがる人ならば、世界には大勢いるようだ。だから同じ部位同士を交換できた。だから願いは貴女の希望どおりになった。けれど、そんな豪華な首飾りを持っているような人間が、わざわざ貴女の地味な首飾りを欲しがるとでも?」

 マーガレットの目が、瞳孔が、驚愕で開かれていく。構わず、トータは容赦なく続きを紡ぐ。

「貴女はこの店に願ったね。豪華な首飾りが欲しい、と。貴女が手に入れたその首飾りの本来の持ち主が、代わりに望んだのは安っぽい首飾りなんかじゃあない。その人物が失ってしまった、外見上の若さだよ」

 あの、血のような紅い光に照らされながら、トータが店から得た情報。

 五十年ほど前であれば大層美しかっただろう、広大な豪邸に一人寂しく暮らす、上流階級の老婦人。

 煌びやかで豪奢な最高級品のドレスと、女王にでも献上できるような見事な首飾りで着飾っても、往年のような輝きはどこにもない。もう誰も見初めてくれない。口説いても、褒めそやしても、振り返ってもくれない。もしも若さが取り戻せるのであれば、こんな首飾りなど惜しくもなかったに違いない。

 今頃、うら若い娘の肌を得た老女は、「奇跡が起きた」と歓喜にむせび泣いていることだろう。

 トータの補足を聞き終えたマーガレットの虚ろな視線が、ぼんやりとトータを捉える。その目に宿っていたのは、もはや正常な光ではなかった。

「かえしてよ」

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